奈良の旅のはじめに



私は聖徳太子に会いたくて奈良に参りました。日本の仏教はこの聖徳太子なくしては語れません。

うめちゃん雨安居中

↑真ん中が聖徳太子の肖像と言われていますが…。



西暦500年代半ばに仏教は日本に伝わりました。その後、日本古来の神様信仰のみを継続するか、または外来の仏教を取り入れるのか、という議論がおこりました。議論の中心は当時権力争いを繰り広げていた、蘇我氏と物部氏、さらに中臣鎌子(後の藤原鎌足)です。そこに天皇家の相続争い、朝鮮半島や隋などとの外交が絡み、非常に緊迫した情勢でした。
そんな時代背景の中、西暦572年(または573年及び574年諸説あり)太子は生ま
れました。太子はこの権力闘争と謀略渦巻く政治の中枢で西暦593年に摂政となり、仏教を積極的に取り入れ、大国隋に小野妹子を派遣し外交手腕を発揮します。そしてここから仏教が本格的に日本に根付いてゆくのでした。

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↑こちらの精悍な男性が小野妹子さんです。



なんだか歴史の教科書を思い出しますね。


このくらいの予習をしていざ奈良へ…新幹線



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↑取りあえず私の旅の味方はこれだけでした。


ところが行ってはみたものの、奈良の旅は非常に中身が濃く、当然ですが、その時間だけではとても学びきれるものではありませんでした。その為、ただ今復習しているところです。


何を復習しているかと言いますと…
まずはお寺や神社の成り立ちについてです(自分でも感心します。受験勉強をもっとしとけば…しょぼん)。
こんなにも素晴らしい世界一の建造物がたくさんある日本を誇りに思うと同時に、知り
たい欲求がわんさか出てきたのです。そしてその答えを見つけようと思い、本を買ってはみたものの、読むほどにますます疑問が出てまいりました。



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↑法隆寺の五重塔。世界最古の木造建築。


その中でもとりわけ不思議に思ったのが、

「日本にこれだけすごい建造物をつくった原動力とは一体何だったのだろう…
という事です。
これは法隆寺を見ている時に感じて、案内して下さった尾崎さんにお聞きしま
した。そのお答えは、
「当時は、占いとか迷信などを純粋に信じていた時代です。例えば疫病などが
流行れば、このような建物を造り災いを鎮めようとしました」
ということです。
本を読んでみると、世界遺産の『東大寺』などはそのような背景があったよう
です。建造には全国各地から沢山の人々が集められました。そして、疫病だの、重い税の取立てだのと、もともと苦しい人々の生活はさらに困窮を極めていったという事です。



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↑東大寺南大門。圧巻です。



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↑東大寺御本尊。大きいです。


それでも都作りや神社仏閣造りはすすめられました。今ではそんな莫大な費用はもちろん、材料もありませんから絶対に造れません。
現在、その素晴らしく貴重な、また歴史を学ぶことが出来る建造物を見ること
が出来るのは、それらが大切に保存されてきたからだという事を知りました。

たとえば、法隆寺は100年毎の大修理、300年毎の解体修理がされてきたそうです。

人々のお寺や神社を大切に思い愛する気持ちに感動致します。今も奈良のあちらこちらのお寺で修復工事が行われています。


このような文化遺産に対する保存活動は世界各地で行われていますね。
人々の愛の力は偉大だと改めて思いました。


そして、これらの遺産を大切に保護し、後世の人類にのこすことが私達の使命だと、と~っても深く実感致しました。



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↑東大寺南大門前の石碑。


あれれ…「はじめに」で一回終わっちゃっいましたにひひ
次回からは、私が訪れたお寺を一つ一つ見ていただこうと思います。


次回も読んでね音譜




参考文献・資料出典
『斑鳩の里から平和の声』尾崎義美さんのホームページ
『聖徳太子の本』(学研)
『読むだけですっきりわかる日本史』後藤武士(宝島文庫)
『聖徳太子の秘密』関裕二(PHP文庫)
『古代日本誕生の謎』武光誠(PHP文庫)
『池坊』ホームページ