小学校4年生の娘を育てながら、中学受験に向けて塾に通わせている父親です。
最近、娘の勉強を見ていて、少し気になっていることがあります。
それは、算数の点数がなかなか上がっていかないことです。

正確に言うと、点数そのものというよりも、塾の中での順位や偏差値がなかなか上がらない。
むしろ、周りの子たちも同じように頑張っているので、少し油断すると相対的には下がって見えることもあります。
娘本人も、少しずつそれを感じ始めているように見えます。


学校の算数と、塾の算数はまったく違う
不思議なのは、学校のテストでは算数で100点を取ってくることです。
学校ではそれなりに良い点を取れる。
だから、塾に行く前の娘には、おそらく「自分は算数が苦手だ」という意識はあまりなかったと思います。
小学校の中では、算数ができない子ではない。
むしろ、普通にできている方だったのだと思います。
ただ、塾に行くと世界が変わります。
そこには、同じように中学受験を意識して勉強している子たちがいます。
問題も、学校のテストとはまったく違います。
満点を取ることが前提ではなく、平均点が50点前後になるようなテストもあります。
そういう環境の中で、娘は50点台を取ったり、順位が真ん中より後ろの方になったりする。
学校ではできていた算数が、塾では思うように点数につながらない。
そのギャップの中で、娘自身も少しずつ、
「もしかして、自分は算数がそんなに得意ではないのかもしれない」
と気づき始めているように見えます。
親としては、その気づき自体にも意味があるのかなと思っています。
自分の立ち位置を知る。
自分が何を得意としていて、何に苦手意識を持っているのかを知る。
それは、中学受験に限らず、これから先の人生でも大事なことだと思うからです。
得意な国語を伸ばすべきか、苦手な算数に向き合うべきか
娘は、どちらかというと国語の方が得意です。
本人もそれを感じているのか、
「国語をもっと伸ばした方がいいんじゃないか」
というようなことを言うことがあります。
それはそれで、間違ってはいないと思います。
得意なものを伸ばすことは大事です。
得意な教科があることは、自信にもなります。
ただ一方で、中学受験という現実を考えると、算数を避け続けるわけにもいきません。
特に算数は、苦手意識がつくと、問題を見た瞬間に止まってしまうことがあります。
娘も、少し難しい問題を出すと、途中で考えられなくなることがあります。
「うーん……」と固まってしまう。
だんだん不安そうになる。
少し情緒が不安定になるように見えることもあります。
考えるという行為は、脳に負荷をかけることなのだと思います。
特に、自分にとって難しい問題を前にした時は、かなりストレスがかかる。
でも、そのストレスを少し乗り越えた先に、考えが深まる瞬間があります。
「あ、そういうことか」
「あ、わかった」
という瞬間です。
この瞬間があるからこそ、算数は面白くなるのだと思います。


苦しんで考えることは、本当に良いことなのか
ただ、最近ここで少し迷いもあります。
これまでの自分の感覚では、算数は頭をひねって悩んで、苦しんで、その先に解けるものだと思っていました。
難しい問題を前にして、ああでもない、こうでもないと考える。
途中で行き詰まる。
それでも粘る。
そして、ある瞬間に答えへの道筋が見える。
この「解けた」という快感が、算数の面白さなのだと思っていました。
実際、自分自身もそういう経験をしてきました。
だから、娘にもある程度は頭を悩ませてほしいと思っていました。
一方で、最近は右脳的な学びや、感覚的な理解についての話に触れることもあります。
そこでは、苦しい方向に頑張るというよりも、もっと気持ちよく、楽しく、自然に学ぶことが大事だというような考え方も出てきます。
そう考えると、算数で苦しませながら考えさせることは、本当に良いことなのだろうか、という迷いも出てきます。
中学受験の算数は、かなり論理的です。
条件を整理し、筋道を立てて考え、手を動かして答えにたどり着く。
そういう意味では、かなり左脳的な学びなのかもしれません。
でも、人生全体で考えれば、感覚的に楽しむ力や、好きなものに自然とのめり込む力も大事です。
中学受験の勉強だけが、子どもの成長のすべてではありません。
ここが、親としては悩ましいところです。
中学受験という目標に向かうなら、ある程度は苦手な算数にも向き合わなければならない。
一方で、勉強そのものを嫌いにさせたくはない。
苦しいだけの時間にもしたくない。
このバランスが、とても難しいと感じています。


目指したいのは「アハ体験」のある算数
今のところ、自分の中での答えはまだ完全には出ていません。
ただ、ひとつ思うのは、算数を単に苦しいものにしたくないということです。
もちろん、難しい問題を解く以上、負荷はかかります。
考える苦しさもあります。
そこから逃げ続けてしまうと、力はつきにくいのだと思います。
でも、その苦しさの先に、
「あ、そういうことだったのか」
という発見があるようにしたい。
ただ正解を教えるのではなく、問題の構造を少しずつほどいていく。
どこでつまずいているのかを一緒に見る。
本人が自分で気づけるように、少しだけ道筋を照らしてあげる。
そういう関わり方ができれば、算数は少しずつ変わっていくのではないかと思っています。
親が一方的に、
「もっと考えなさい」
「なんでわからないの」
と言ってしまうと、子どもにとって算数は苦しいだけのものになってしまいます。
でも、
「ここまではわかってるね」
「じゃあ次は何がわかればいいかな」
「この数字は何を表しているんだろう」
と、一緒に紐解いていくことで、少しずつ考える道が見えてくることがあります。
その先に、小さなアハ体験がある。
その積み重ねが、娘にとっての算数の見え方を変えていくのではないかと思っています。


算数を通して、自分と向き合う時間
中学受験の勉強を見ていると、ただ点数を上げるだけではないものが見えてきます。
得意だと思っていたものが、実は外の世界ではそこまで通用しないと知ること。
苦手だと感じるものに向き合うこと。
周りと比べて落ち込むこと。
それでも、少しずつ前に進もうとすること。
これは、子どもにとってかなり大きな経験なのだと思います。
娘は今、算数を通して、自分の立ち位置を知り始めています。
そして、自分の苦手意識とも向き合い始めています。
親としては、点数が上がってほしい気持ちはもちろんあります。
偏差値も上がってほしい。
中学受験をする以上、結果をまったく気にしないわけにはいきません。
でも、それ以上に、苦手なものに向き合う中で、
「考えれば少しずつわかる」
「難しい問題でも、分解すれば見えてくる」
「わからない時間の先に、わかる瞬間がある」
という経験をしてほしいと思っています。
算数が得意になるかどうかは、まだわかりません。
偏差値がすぐに上がるかどうかもわかりません。
ただ、今は焦りすぎず、苦しませすぎず、でも逃げすぎず。
その間のちょうどよい場所を探しながら、娘と一緒に算数に向き合っていきたいと思います。