2018年5月12日(土曜日)
調査登山『城山』
歩行距離:約5Km
登山口から戸町岳往復の歩行時間:約3時間(休憩含む)
積算標高差 上り:353m 下り:400m
ココウォーク茂里町に9時50分集合で集まり、二人とも早く集まったので
いつもは9時発の椛島行きに乗るのですが・・・。
登山する格好の人が結構集まってきたので?
8時50分発の晴海台団地行きに乗り平山へ移動。
毎日9時発の椛島行きのバスに乗って実家に行く家内に
後から聞いたら、登山客で始発から満員になったそうです![]()
長崎新聞に掲載された登山募集広告を見た人が集まっていたようです![]()
平山バス停下車、これから登る城山への登山口の方向を確認![]()
地図と実景と照らし合わせて九電岳路線12号鉄塔を探す!
登山口となる鉄塔を決めて路地を歩きました。
今回は迷うことなく登山口に数分で到着![]()
民家脇上にある登山口から入山![]()
比較的、踏み跡が多くてしっかりとした登山道となっていました。
九州電力岳路線12号鉄塔脇を通り城山へ登ります![]()
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角石に着きました!公有林と私有林の境界としておかれたのではないかと言われています。
角石からはなだらかな尾根路を歩きます![]()
尾根道の途中には境界石のようなものが埋められていました![]()
平山ルートは登山口からやや急な斜面が三つありますが、最後の急斜面を
登ると「城山」空堀西遇の石垣に着きました。
「城山」空堀西遇の石垣空堀
空堀の中を頂上目指して進みます![]()
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「城山」は山城跡になっているので、山頂はかなり広く平坦です。
中ほどの八幡神社跡の近くが頂上です![]()
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「城山」頂上に着きました![]()
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頂上の三角点、古くて何等三角点かわかりません![]()
山頂にて記念撮影![]()
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現在は「俵石八幡宮」の名称の新しい木製鳥居がありますが、
石の古い鳥居は「八幡宮」となっています。
善長谷へ下る時に通る石の鳥居、八幡宮は壊れて落ちていました。![]()
善長谷へ下る方向を示した標識、風雨にさらされ壊れてました。![]()
二人で善長谷へ下る方向を示した標識を修理しました![]()
補助ロープがはってある斜面を善長谷へ・・・![]()
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いつもは写真撮影をしているので私の写真はありません![]()
今回は調査登山の相棒に撮ってもらいました![]()
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登山道脇から左に入り「俵石」を見学、標識は雑草に隠れて解りにくです![]()
【城山の俵石】
俵石を見た後、善長谷に下る登山道に戻り善長谷教会へ![]()
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山道を下って行くとコンクリート路にでます。
右に下って行くと善長谷教会です。
善長谷教会に到着、いつ来ても素晴らしい眺望がまっています![]()
最近はイノシシが多くでるのでしょう![]()
注意喚起のビラが掲示されていました![]()
平山登山口で会った女性人達とまた会いました。
この人達は藩主用お水汲み山路をくだり善長谷教会にきたそうです。
雑談をしていると「二人で城山には何をしにきたのですか?」と聞かれたので、
長崎東部勤労者山岳会「7月7日の例会山行で平山から登るルート調査にきました」
と答えると、「私たちも7月7日に平山ルート登山です」と言っていました。
7月7日、また善長谷教会であえるかも・・・・![]()
【善長谷教会案内】
この地の歴史は文化年間(1804年)、
隠れキリシタンであった西彼杵郡三重郷樫山出身の甚助の子、佐八ら6家族が、
旅芸人を装いながら脇岬の木場ゆりさき(鯨浜付近)を経て
、この地を信仰の隠れ家としたことに由来する。
居住の条件として藩主用の水汲み役を果たすこと、
菩提寺の檀家に所属することが義務付けられた。
しかし、彼らにとってこれらの務めを果たすことは
表向きのことであって、信仰の形態は先祖から受け
継いでいる隠れキリシタンの信仰を堅持していくことにあった。
『善長谷』という地名の由来は、菩提寺六代当主、
賢外晋聞和尚が厳しい座禅の修行によって悟りの
境地に至ったことで知られる場所で、『善定谷』と
呼ばれるようになり、それがいつしか訛って
『善長谷』となったと言われる。
また『善長谷部落名起源考』によると、異教徒の
ことをラテン語で『ゼンチレス』、スペイン語で
『ゼンチョ』と発音することから『善長あるいは善丁』
の語源が生まれたのではないかと考えられ、最初は
仏教徒に対しての呼び名であったものが長い間に
変遷して、自分たちの住む地名になったのではないかと思われる。
明治維新以降、信仰の自由が公認されると、
それまで密かに信仰を守っていた当地の隠れ
キリシタンたちは、宣教師のカトリック信仰への
呼びかけに従い、大部分が集団でカトリックに
改宗したが、改宗を拒んだ一部のキリシタンは
西彼杵・三和村蚊焼郷岳路に移住した。
無原罪の聖マリヤに奉献されている現在の聖堂は
中町教会の主任司祭であった古川重吉師の指導に
よって、昭和二十七年五月三日に建堂された。
当時の信徒数約250名。
【アンジェラスの鐘】
善長谷教会からの眺望
善長谷教会から絶景をバックに記念撮影![]()
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下山路への入口が雑草で藪っていて解りにくかったです![]()
ゴールの菩提寺に到着![]()
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菩提寺から武家屋敷跡の路へ行く途中の水路にはメダカがいます。![]()
深堀美家屋敷跡をと通り深堀二丁目バス停まで歩き、バス停近くのローソンで
ビールを購入、乾杯
ココウォーク行にのり終点にて解散![]()



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