闇と光 | 人生を愉しむとは

人生を愉しむとは

近頃は仏陀の教えばかりだね



私達人間には心という機能があるために、嬉しいことや悲しいこと、辛いことや不愉快な思いなど、その時その都度、その瞬間に入ってきた情報によって心には様々な感情が発生します。そしてその感情は刻一刻と形を変えて行きます。

ある方法で、それらの心の動きをよくよく観察してみると、私の考え方とか理念などという一貫した考え方に全く関係無く、常にコロコロ変わっていることに気づきます。まあ側から見ればカッコ良いものではありませんが、人間の心というものは、そういうシステムで出来ているのです。

それはそれで仕方が無いのですが、問題は私達凡人は、全くそれに気づいていないというところです。皆んな自分というものが在ると思っていますが、そうでは無くて、自分の持っている心という機械にただただ操られているだけということになるのです。

お釈迦さまは、そういう生き方では「生きるとは苦ですよ」と仰っているのです。多分。

それでそこから脱出する方法を教えているのが、仏陀の教えです。

多くの方は、日頃の憂鬱な毎日から抜け出すために、スマナサーラ長老の説く仏法に辿り着いたというところでしょう。今のネット社会の善いことだと思います。ラッキーです。

但し、残念ながら仏道を学んだだけでは、心は一切安定しないのです。学びだけでは、最初に書いた「人間=心に操られた機械」から一歩も抜け出せられないのです。

この機械から抜け出すためには、実践が必要なのです。実践とは「ヴィパッサナー瞑想」です。ヴィパッサナー瞑想とは、お釈迦さまの説かれた真理、四聖諦や五蘊などが本当かどうか、自分の心の動きを常に観察し続ける訓練法です。

そしてその先にあるのが、無常・苦・無我の意味が体得出来てくるたびに、少しずつ智慧がついてくることです。この地道な作業をずっとずっとやり続けて、そしてやっと煩悩・執着・自我が薄れてくるのです。

仏道をやっても上手くいかないとか、意味がわからないというのは、このヴィパッサナーが出来ていないのが殆どでしょう。

人間は欲や怒りが大好きなのです。文句ばかり言うのは、外のせいでは無く、文句を言うことに自分で酔いしれているのです。

ですから、本気で解脱したいなら、もっと学んで、真剣にヴィパッサナーを実践してください。

共に頑張りましょう。


生きとし生けるものが幸せでありますように


今日のお勉強↓

仏教では「無明」が暗闇なので、輪廻転生する衆生は皆、無明という暗闇の中にいるのです。「私たちは暗黒に陥って生きているのだ」と言われると、人のプライドを傷つけるかも知れません。暗闇の中に生まれ、暗闇の中で生きて、暗闇の中で死に、暗闇の中にふたたび生まれるならば、またそれを限りなく繰り返しているならば、誰一人として自分が暗闇に陥って生きていることに気づくはずはないのです。そう言われると必ず、プライドが傷つきます。


今日の癒し↓