最近、体が明らかに重くなった。

これはもう気のせいではない。

朝起きてベッドから起き上がるとき、ほんの一瞬「よいしょ」と声が出るし、階段を上るときもどこか体が鈍い。

靴下を履くときも、以前よりほんの少し慎重になった気がする。

こういう小さな変化というのは、ある日突然やってくるわけではない。

気づいたときには、もう日常の中に溶け込んでいる。

原因はとてもシンプルだ。運動不足、そしてラーメンの食べすぎ。

分かっている。分かってはいる。

だが、分かっていることと実行できることの間には、なかなか大きな距離がある。


40代に週1ラーメンは、正直なところ体に優しい選択ではない。

昔はそんなこと、まったく気にしていなかった。

20代のころなんて、昼にラーメン、夜にラーメン、締めにまたラーメンという日すらあった。

それでも翌日は普通に元気だったし、体重のことなど考えたこともない。

若いころの体というのは、本当に都合よくできている。

食べたいものを食べて、夜遅くまで働いて、それでも朝には普通に動ける。

 

だが40代になると、体はきっちり帳尻を合わせてくる。

現に、ここ1年でベルト穴は2つ分成長した。

「ベルト穴が増える」という言い方をすると少し前向きに聞こえるが、要するに腹が出たということだ。

しかもただ出るだけではない。ベルトの上に、浮き輪のように肉が乗る。

これがなかなか精神的にくる。

ズボンを履いて鏡を見ると、「あれ、こんな体だったか?」と思う瞬間がある。

数年前の写真を見るとさらにショックを受ける。

「いやいや、これは光の加減だろう」と自分に言い聞かせるが、だいたい嘘だ。

現実は思ったよりも正直で、そして残酷だ。


そして追い打ちをかけるように腰をやった。

ある日、椅子から立ち上がろうとした瞬間、腰に違和感が走った。

「ん?」と思った次の瞬間、じんわりと痛みが広がる。

動けないほどではない。だが、確実にそこにいる痛みだ。

立つのも座るのも慎重になるし、靴下を履くときも以前より時間がかかる。

靴を履くときなど、無意識に腰をかばう動きになっている自分に気づく。

何より厄介なのは、仕事中ずっと存在感を主張してくることだ。

 

自分は製造業のフリーランスエンジニアだ。

工場の設備や装置の設計、調整、トラブル対応などを仕事にしている。

現場に行くと、しゃがんだり立ったり、狭い場所に潜り込んだりすることも多い。

機械の裏側に体を押し込んで配線を確認したり、床に膝をついて微調整したり、体勢がきつい場面も少なくない。

腰が痛いから今日は休みます、というわけにはいかない。

フリーランスに「安静」という言葉はない。

痛み止め、湿布、そして最終手段の痛み止め注射。

文明の力を総動員して、今日も普通に仕事をしている。


一応、病院にも行った。

そこで医者の言葉は、どこへ行っても同じだった。

「健康にいい食事をして、運動してください」。

正しい。完璧だ。これ以上ないほど模範的な答えである。

だが問題はそこからだ。40代独身男にとって、その生活はなかなか実行難易度が高い。

まず運動の時間。運動する時間があるなら仕事をしたい。

フリーランスというのは、仕事をしていない時間がそのまま収入ゼロになる世界だ。

「今日は健康のために休みます」という選択は、精神的に意外とハードルが高い。

そして仕事が終わったら、何よりもまず寝たい。体力は若いころのようには回復しない。


そう考えると、残された現実的な選択肢は一つしかない。

ラーメンを減らす、という方法だ。

週1を、10日に1回にする。理屈は完璧だと思う。健康面でもまず間違いなく正解だろう。

だが問題は、その決意がどれだけ持つかである。

ラーメン屋の前に立った瞬間、すべての計画は揺らぎ始める。

暖簾が揺れている。豚骨スープの香りが漂ってくる。厨房から聞こえる湯切りの音。

あの瞬間、人間の理性は驚くほど弱い。

「今日は見るだけにしておこう」と思って店の前を通る。

だが気づくと、券売機の前に立っている。そしてボタンを押している。

未来が容易に想像できてしまうのが怖い。


それでも、少しずつでも体と向き合うしかない。

ストレッチを少しだけ始めてみたり、エレベーターではなく階段を使ってみたり。

本当に小さなことだが、やらないよりはましだろうと思っている。

ラーメンを完全にやめるつもりはない。それはもう、自分の人生の楽しみの一つだからだ。

新しい店を見つけて、スープを一口すすった瞬間のあの満足感。

あれは簡単には手放せない。

だから、ラーメンを愛しながら体も大事にする。そのバランスをどう取るか。

健康とラーメンの間で揺れながら、今日もまた仕事を終え、街のどこかに暖簾が揺れていないか、つい探してしまう自分がいる。40代独身男の終わりなき葛藤は、どうやらまだしばらく続きそうだ。