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フリーランス翻訳者の 「英語で生きる」

中学校の義務教育課程で英語に初めて出会って40年、54歳にしてやっと英検1級、57歳で全国通訳案内士資格、59歳で国連英検特A級に受かり、そのまま勢いで30年以上続けたのサラリーマン生活に別れを告げてフリーランス翻訳者としての道を歩き始めたおっさんです。

以前にも書いたが、原作が英語の本を読む時は、翻訳の勉強のため極力原書と訳書を併読するようにしている。

 

原書をKindle電子書籍、訳書を紙版で買い、原書を読みながら訳書で訳を確認し、分からなかった部分はKindleのメモ機能を使って原書に訳や説明を入力しておく。

 

今回読んだのはミステリーの古典であるディクスン・カー著「死者はよみがえる」。

 

古い作品ということもあってか、読解に苦労する部分が多く、道の遠さを思い知らされた。

 

特に、聖書、シェイックスピア作品、ディケンズ作品、(自分が知らない)有名らしき詩、歴史的事実や人物、昔の犯罪事件の引用などが散りばめられており、これをインターネットがなかった時代に訳した人はどうやって調べたのだろうと思う。今回読んだのは数年前に出た新訳版だが、旧訳版と読み比べてみたいと思った。

 

また、古い作品だと言うこともあってか、現代作品に比べて分かりにくい言い回しも多かった。

 

お話そのものは、動機も犯人像も皆目見当がつかない連続殺人をめぐる本格推理劇。

 

クライマックスでは探偵のフェル博士が事件にまつわる「12の謎」を提起し、それを解明していく。

 

まるで精密機械を分解して仕組みを明らかにしていくような緻密な構成なのだが、最大の謎の中にほとんど反則とも言えるものが混じっていたりして、楽しめたものの「傑作」とまでは言い難い。

 

それはともかく、やっぱり聖書、シェイクスピア、ディケンズあたりは読んでおかねばと再認識。時間がいくらあっても足りない。

 

 

 

先日「◯◯な人は翻訳者に向いていない」という発言を不快に感じる、という趣旨の投稿をしたけど、聞いていて(読んでいて)うんざりする翻訳関係者の発言が他にもある。

 

それは、「こんなひどい訳を見た」、「こんなひどい仕事をする人がいた」という、他者の仕事ぶりに関する「文句」。

 

よくSNSで目にするけど、それって、わざわざ公開の場で言うことか?と思う。

 

そうした好ましくない仕事が発生した原因を分析して、何らかの教訓でも提示してくれるのならいいんだけど、感情のおもむくまま、改行もせずに腹が立った状況がびっしり書き込まれているものも目にする。

「自分はこういう人とは違う」というマウントでも取りたいのだろうか。

 

まるで井戸端会議で愚痴を聞かされているような気分になって、途中で読むのをやめてしまうことも多い。

 

読まなきゃいい話なんだが、つい目に入ってしまうことも多く、そのたびに、自分が懸命に挑んでいる世界ってのはこんなものなのか?と意気消沈してしまうことも少なくない。

先日の人間ドックでPSA値が高かったことを受け、今日MRI検査に行ってきた。

 

予約から1か月もかかったので、今日までどれだけ不安だったことか。毎日のように前立腺癌関連の記事をネットで読み漁り、「アスクドクターズ」にも有料登録して、色んな人のQ&Aを読みまくった。

 

検査に向かう前、いつもは1本しか立てない仏壇の線香を3本立てた。

 

そして結果。

非常に残念ながら、前立腺に「ごく小さな病変『らしき』もの」があるとのこと・・・。

 

医師が言うには、「半年、1年放っておいても問題ない」とのことだが、こっちは気が気ではない。ついに自分も「がん患者」なのか。

 

すぐに生体検査をして「癌かどうか確定することもできるし、しばらく様子を見ることもできる」と医師に言われて、すぐにでも生体検査をしようかと考えたが、実は自分は6年ほど前に心筋梗塞の発作を起こして以来、血液を固まりにくくする薬を飲んでいる。生体検査のためにはその薬をいったん服用停止しなければならず、その間血栓ができるリスクが高まるとのこと。

 

それを聞いて悩んでいたら、医師がその様子を見て、「悩むときはやらない方がいいです。3か月後にもう一度血液検査を見てそれで決めるのはどうですか」と言ったので、それに従うことにした。

 

自分のPSA値は4.3程度で、このぐらいだと癌が見つかる確率は「20%〜40%」ぐらいだとネットで見た。自分は悪い方の少数に入ってしまったらしい。まだ決まったわけではないけど、多分そうだろう(自分は、性格上どうしても最悪の事態を想定せずにはいられない)。

 

姉の件が一段落したところで、やっと心の鎖が少し軽くなったと思ったら、こんどは身体に鎖を掛けられてしまった。

 

「何でもありませんね」と言ってもらえたらどんなに良かっただろうと、無駄な妄想ばかりが浮かんでくる。

 

なんか身体に力が入らないが、引き受けている翻訳案件に無理やり取り組んだ。気分がすぐれない時は力を抜けたサラリーマン時代と違い、どんな時でも頑張らないと生活できないのがフリーランスの辛いところ。

今日は30年来の知り合いの女性(恋愛関係には至っていない)と外で飲んだ後、自宅で映画観賞2本立て。

 

本当は姉の件をカミングアウトして話を聞いて貰おうと思っていたのだが、彼女の楽しそうな様子を見ているうちに何も言い出せなくなった。

 

親族の葬儀があったとだけは伝えてあったので、「飲んでて大丈夫?」と聞かれても「うん、まあ・・・」としか答えられなかった。

 

夜、彼女を駅まで送り届けた帰り道、月がやたら明るかった。

今朝目が覚めて、スマホを見ると朝6時前に姉の入院している病院からの着信履歴が残っていた。

 

病院からこの時間に連絡があるのは、普通いい知らせのはずがない。

 

折り返し電話をかけると、姉が息を引き取ったことを知らされた。

すぐに妹に電話を掛け、葬儀屋の手配を含め、もろもろの手続きを済ませてきた。久し振りに疲れを感じる。

 

実は2か月ほど前に病院で姉の検査をしてもらったところ、癌が多数転移していて、手の施しようがない状況だとわかった。当然症状も出ていたはずだが、身障者の姉はうまく伝えられなかったのだろう。

 

それで緩和ケアに切り替えることにして病院を探し、1か月ほど前に入院したところだった。

 

姉が入院してから、いざ最期の時、自分は何を感じるだろうかと考えていた。

 

自分の人生を縛っていた鎖から解放された安堵感か。

それとも不幸な姉の人生を思っての悲しみか。

 

実際は、「何も」感じなかった。

不思議なほど無感覚だ。

 

かつては知り合いの披露宴に出て新婦の幸せそうな顔を見ると、自分の家に来たらあんな顔はさせてあげれらないだろうな、といつも考えていた。

その事情がなくなったわけなので、もっと若かったら、これから恋愛、結婚にも積極的になってみようかと思ったかもしれない。でも還暦を過ぎた今となってはそんな気力も意欲も湧いてこない。

 

子供の頃の家庭内の阿鼻叫喚の毎日が遠い過去になっているように、重圧から解放されたいという気持ちもいつのまにか忘れてしまったのかもしれない。

 

でも、心のトラウマは一生消えないだろう。

 

障害者のお子さんがいらして、その下に弟か妹を作ろうと考えている親御さんは、是非真剣に考えて欲しい。

 

子供達をすべて幸せにする覚悟が自分にあるのかと。

 

子供たちが欲しいものを与えるとか、楽しい経験をさせるとか、愛情を等しく注ぐとか、そんなことばかりではない。大事なのは、子供たち同士が、お互いに愛情と尊敬を示し、誇りを持って生きていけるように導くことだ。

表題のテーマ、良く目にする。

ネットではもとより、翻訳学習のテキストでも何度も目にした。

 

自分はこの話題を見るたびにうんざりする。

まだ駆け出しの身として、列挙されている「不適格条件」をひとつひとつ自分に当てはめ、該当するものを見つけると落胆する。

 

翻訳の道に足を踏み出したばかりの人はこのテーマを見てどう思うのだろう。

 

「よし、この部分を克服しよう!」という気持ちになるのか、

「あー、自分は向いていないかもしれないな・・・」と落ち込むのか。

 

自分のように後者に当てはまる人って結構多いように思う。

 

このテーマを口にする人はベテランが多い(初心者が語れる話ではない)のだけど、こういうモチベーションを下げる(少なくともその可能性はある)言い方はしないでいただけないものだろうか。そんなこと言ってなんか意味あるの?とも思う。

 

先日テレビで見たけど、新入社員が上司や先輩に一番言われたくない言葉のひとつが、「君はこの仕事に向いていない」だそうだ。

 

せめて裏返して、「翻訳者に必須の資質」とでも言ってもらえれば、そこを目指して頑張ろうというポジティブな気持ちにもなるが、「向いていない」という言葉はどちらかと言えばネガティブな気持ちを引き出すことの方が多いと思う。

 

ちなみに、自分が考える「翻訳者に向いていない」人というのは、「翻訳をしなければと思うと憂鬱になったり、ちょっと作業しただけでもすぐ疲れたり飽きたりして投げ出してしまう」人だけだと思う。

それ以外の、少なくとも翻訳に興味を持って、面白いと感じられる人は、向いているといえないまでも、向いていないことはないのではないだろうか。

先日、3年振りに人間ドックを受診した。

 

以前は会社で毎年受けさせてくれたが、2年前に転職した会社は福利厚生に人間ドックがなく、自腹で受けるのは面倒なのと費用負担が大きいのとで、つい先延ばしになっていた。

 

それを自分で自分の尻を叩いてやっと受けたが、なにしろ久しぶりだったので、悪いところが見つかりはしないかと、かなり不安だった。

 

その結果が昨日届いた。

 

当日緊張していたせいか血圧が若干高くてC判定だったものの、その他はほぼAとB。

 

ただし、1つだけE判定(要精密検査)があった。

それは前立腺。前立腺癌の判断材料として、血液のPSA値というのを測るのだが、正常値が4.0以下のところ、結果は4.32・・・。あとエコー検査の結果、「前立腺肥大」とのこと。

 

前立腺肥大については2年ほど前から自覚症状があったので、やっぱりかという感じ。

PSA値もそのせいという可能性はあるが、癌の可能性もある。

 

それで、今朝早起きして再検査のため病院に飛んで行った。

 

医者はあまり心配し過ぎないように、と言っていたが、MRI検査を受けることに。

でもそれが予約がいっぱいで、5月11日とのこと・・・。

 

医者は「急がなくても大丈夫」と言ったが、本人にしてみればやはり心配。

これから1か月以上の間、不安と闘いながら過ごさなければならないと思うと憂鬱。昨日からネットで「PSA」、「前立腺肥大」、「前立腺癌」などというキーワードばかり検索している。

 

姉の件、仕事、そして自分の体調と、精神的に身を削られるような毎日が続く。

還暦過ぎた人間はもっとのんびり過ごせるのかと思っていたが、自分の場合それにはほど遠い・・・。

 今日は字幕翻訳のトライアルに挑戦中。

 

 決められた時間内に取り組んで提出しなければならず、今日の正午から始めて明日の夜8時が期限。

 

 早めに昼食を済ませ、正午から本日の夜10時半過ぎまで、途中で気分転換に30分ほど入浴した以外は文字通り机に齧りついて取り組んでいるが、今回の課題は今までで一番難しいように感じる・・・。とにかく訳しにくい。

 

 自分が実力不足なのは重々承知しているので、今日中に一通り訳し終えて、明日は朝から期限ぎりぎりまで推敲に当てるつもりでいたが、あと残り字幕10枚ほどのところで頭がぼーっとしてきた。

 

 字幕翻訳は通常の文書翻訳とは違った頭の使い方をするので、さすがに疲れてきたのかもしれない。

 何か夢見心地のような感覚になってきたので、無理しすぎかもと思っていったん中断してビールと食事にした。

 

 もう今日はやめとくか・・・。

 

【追記】

(若干)アルコールを入れたら気分が楽になり、何とか寝る前に一通り訳し終えました。わずかでも残っているのと全部終わっているのとでは、明日の負担が大きく変わるので良かった。

妹と一緒に姉の診察立ち会いに病院に行ってきた。

妹とは普段ほとんど顔を合わせることはないのだが、いてくれて本当に良かった。

 

診断結果はやはり子宮頸がん。

それとともに、医師の口から衝撃的な言葉を聞いた。

 

これについては、迷惑が掛かる人がいるかもしれないので今は書くのはやめておく。いつか書くことがあるかもしれない。

 

来週CTを撮ってから、結果を見て治療方針の話があるそう。CT撮影は施設の人だけで対応してくれるそうなので助かる。

 

医師から聞いた言葉もあり、いろいろ考え込んでしまう。

やっぱりこういう時に自分を支えてくれる人がいればどんなに良かったかと思う。逆に、自分に課された運命を自分は乗り越えられなかった(本気で乗り越えようとしなかった)から今の状況があるわけなんだが。

 

悔いのない人生を生きるのは難しい。

今の日々がいかにかけがえのないものだったか分かる日が必ず来る。

 

だから特に若い人は(若くない人もだけど)毎日を大切に生きて欲しい。

 施設に姉の状況を聞きに行ってきた。

 

 出かける前、いつもの朝なら両親の仏壇に線香を1本しか立てないところ、今日は3本立て、お菓子まで供えて手を合わせた。

 

 途中の駅で妹と待ち合わせをして車で拾って貰った。車中いろいろ話をしているうちに気分が落ち着き出す。

 

 そして施設の医師との面談。

 結果、姉の子宮から癌細胞が見つかったのは確かだとのこと。ただ、病状を詳しく知らないと施設としても今後の対応に困るので、検査を受けさせるよう強く勧められた。

 

 話を聞いたら病院の手配も移動もすべて施設でやってくれるので、家族は立ち会うだけでいいとのこと。自分たちで連れて行かなければならないのかと思い、介護タクシーの心配もしていたので、それを聞いていくらか気が楽になった。

 

 検査を受けさせることに同意して帰路につくと、車に乗っているときに早速施設から検査の日程について電話が掛かってきた。急いでいる様子だったので、来週月曜に決めた。

 

 姉は3ヵ月前に検査をしたときは何も異常がなかったらしい。

 ということは発症したのも最近だと思われるので、初期であることを祈る。恐らく手術をすることになるだろうからまだまだ不安はつきないが、少しだけ先が見えたことでほんの少し平静を取り戻した。

 

 それにしても、施設の方たちは家族でさえ意思疎通が難しかった姉とちゃんとコミュニケーションを取っていただいていて、容態についても心配してくれていた。

 その様子を見て、目頭が熱くなった。それと共に、自分たち家族の人生に対して何とも切ない気持ちが込み上げてきた。