姉の納骨 | フリーランス翻訳者の 「英語で生きる」

フリーランス翻訳者の 「英語で生きる」

中学校の義務教育課程で英語に初めて出会って40年、54歳にしてやっと英検1級、57歳で全国通訳案内士資格、59歳で国連英検特A級に受かり、そのまま勢いで30年以上続けたのサラリーマン生活に別れを告げてフリーランス翻訳者としての道を歩き始めたおっさんです。

今日姉の納骨を終えた。

 

まったく嫌になるぐらい時間が早く過ぎていくが、5月の連休中に姉が亡くなってから早くも四十九日が経過した。

 

これで、自分の人生のほとんど全てに重くのしかかっていた要素が、完全に過去のものとなったわけだ。

 

終わりは実にあっけないもので、何か自分だけが取り残された気もする。あれだけこの俺を悩み苦しませておいて、一言のあいさつもなしか、という気持ちさえ湧いて来る(姉個人に対して、というわけではない。自分を苦しめた環境全てに対してだ)。

 

家族の事で、いつも心のどこかに引け目を感じて生きてきた。

映画や小説も「家族愛」をテーマにしたものは生理的に苦手だ。

歴史に「If」はないと言うけど、「もしああいう家族事情がなかったら自分の人生は今頃どう違ったものになっていただろう」ということはつい考えてしまう。