石巻市桃生町と登米市津山町柳津の境にあります脇谷閘門にお邪魔しました。
桃生地区で1月24日、動く市長室を開いたところ『脇谷閘門付近の登米市と石巻市の境界線の再確認を求めた意見があった。「土木遺産である閘門などの95%は石巻地域にもかかわらず、さまざまな地図で半分が登米市地域と誤って表現されている」と指摘。1899年の境界石碑で証明されているといい、変更に向けての働きかけを求めた。』とのこと。
…新聞を読んでも何のことかわからなかったので、現地に行ってみました。
先人はこの辺りの山を削って閘門を作り、川の流れを変える大工事を行ったとのこと。
神社。閘門ができる前は川の流れが渦を巻いており、安全に舟が通れるようにと多くの参拝者があったとのこと。
神社の裏から山に登り、途中、峰(石巻市と登米市の境)沿いに進むと茶臼山の山頂に行くことができる。城跡らしき石垣もあるとのこと。
関係者の方に閘門を案内していただきました。
迫力ある水の流れでした。
閘門が完成した昭和6年の石碑「締切」とあります。
明治32年(1899年)の境界石碑
川の中央に境があり、川の形を変更した後も境はそのままであることが多い…ということは、閘門付近はほぼ石巻市側になるのですが、何らかの理由で登米市の土地ということになっている部分があります。
国土地理院の地図がそのように表示しているので、他の地図もほとんどそのようになっているが、本当は違う。とのこと。
閘門敷地内には他にも、桃生郡(桃生)と本吉郡(津山)との境を示していた石碑がありました。
閘門の内部を見せていただきました。昭和6年にはこれが完成しており、当時は手動で動かすこともできた。とのこと。
この機械も含め、土木遺産とのことです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%84%87%E8%B0%B7%E6%B4%97%E5%A0%B0
ちなみに、現地にある看板の内容は所々間違いがあるとのことでした。