支援者さまのルーツを辿る旅に同行し、石巻市桃生町永井の山にお邪魔しました。

古い墓石が並んでいました。

江戸時代中期のものが多く見られました。

「昔はこの辺り一帯茶畑だった」という名残りか、お茶の花(?)が咲いていました。

しばらくすると一台の車が通りかかり
文化財保護委員による調査で「茶臼山の頂上近くにあると言われる城跡までの行き方を探している」とのこと。

たまたま一緒にいた地域の先輩が「子供の頃、茶臼山に登って石垣を見たことがある。山頂へは南側からでなく北側から登る道ならわかる」ということで、入口まで案内することとなりました。

三陸道整備の際、その山の入り口まで一緒に舗装整備されたものの、その後ほとんど使われていないような道でした。

地図的には、登山道入り口までは車で以下のように行くといいとのこと。

車を置いたら1kmほど登山すると、頂上付近に1反歩ほど囲った石垣があるとのこと。

航空写真で見ると、これかなという跡が確認できました。

Googleマップ上で茶臼と表示されている場所より少し西側で、登米市柳津との境にもなっているような位置です。


また、せっかくなので村田宗殖(萬好斎)の墓と言われる場所まで案内していただきました。
村田宗殖は政宗公の大叔父で、柴田郡村田三万石を治め村田城にあって一家に列せられていたものの、政宗公の時代に何かあって、桃生永井三百石に移されて来たとのこと。

文化財保護委員の方の話によると「萬好斎、永井の丘に眠る」という記録があるとのこと。

地域の方により、大切に守られているようでした。

地震の影響でか、今にも倒れてきそうな迫力があります。

当初、支援者さまのご先祖の墓石を確認しに来たのですが、この辺りでは珍しい苗字なので、おそらく村田宗殖(萬好斎)の家臣として一緒についてきた可能性が高いと思われます。