「こんなことをしている場合ではないのに」

そう思いながらも、指先は勝手にゲームを起動している。この矛盾をどう説明すればいいのだろうか。単なる意志の弱さで片付けるのは簡単だが、どうもそれだけではない気がする。

ふと思った。今のこの状況、ストレス、焦燥感。

私の脳は、無意識に何らかの「報酬」を渇望しているのではないか。

ゲームという存在を改めて観察してみる。

あれは、人間が手っ取り早く、かつ確実に報酬を得られるように精巧に設計されたシステムだ。

最初は極限まで難易度を下げて、小さな報酬を頻繁に与える。そこから少しずつ、気づかない程度のグラデーションで壁を高くしていく。

苦労の末に課題をクリアした瞬間、脳内に溢れる達成感。あの強烈な報酬を一度味わえば、脳がそれを欲しがるのはもはや生存本能に近い。

だとすれば、私がゲームに手を伸ばすのは、ある種「仕方がない」ことなのだ。脳が安直な快楽を求めて暴走しているだけなのだから。

ならば、対策は一つしかない。

ゲーム以外で、自分自身の手で脳に報酬を与えてやることだ。

きっと、世の中で「勉強が得意な人」や「努力家」と呼ばれている人々は、この報酬の設定が異様に上手いのだろう。彼らは、目の前の味気ない課題の中に、ゲームのような「達成感の種」を自ら埋め込んでいるのではないか。

意志の力で自分を縛るのではなく、脳に与える「報酬の出所」を書き換える。

その設計さえ上手くいけば、私の指先が向かう先も、少しずつ変わっていくのかもしれない。