いま、自分ではメンタルが落ちてるなって思っています。
なので「考える余裕をなくそう」ということを優先しています。
本を読んだり、ブログを書いたり、ちょっと考えさせられる映画を観たり、
そんなことをしようって試みるようにしています。
そんなわけで、ちょっと考えさせられるドキュメンタリーのお話です。
こんにちは!!!
※このあと、作品のネタバレを含みます。
映画の内容:
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精肉とコーンの関係
- ファストフード産業の成長で、精肉業界は大手3~4社が支配するようになった
- 養鶏農家は大手メーカーに管理され、養鶏の実態は撮影すら許されない
- コーン産業が優遇されているのは、大企業が沢山買い付けるから
- スーパーの90%の食品には、備蓄に有利な大豆かコーンが使われている
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工場式畜産の闇
- O-157は、工場式畜産の劣悪な環境によって引き起こされた
- 被害者遺族による、農務省が工場を操業停止にするよう求める動きもなかなか進まず
- 高カロリーの食品が安くなっているのは、国の助成金の影響
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食品業界と健康
- 所得水準は、肥満や糖尿病の最大の予測因子になる
- アメリカの安いコーンに破れたメキシコの農民たちは、いまアメリカの精肉工場で安い給料で働いている
- 消費者のニーズを汲み取った大手食品メーカーは、オーガニック農家との契約に動いている
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企業 V.S. 個人
- モンサントなどの大豆メーカーによって、農家独自の種子洗浄・保存は難しくなっている
- 高効率の現代の工業農場は石油の価格高騰への耐性が低い
感想:
3つの場面が印象に残りました。
1つ目は、貧しい人ほど糖尿病になりやすいという事実です。
作中では、アメリカの低所得層の一家族が取り上げられていました。
その女性の話は、本当にリアルでした。
夫は糖尿病
視力を失ったら仕事ができなくなる
でも薬を買うと給料が飛んでゆく
ハンバーガーが身体に悪いのは分かってる
でも仕事が忙しくて料理を作る時間がない
八方塞がりってまさしくこのことだなあ。。。と思いました。
食べ物が安くなることを僕は基本的に喜びます。安いなら、安く買えたほうがいいに決まってます。
でも安いものを「選べる」ことと、「選べない」ことには大きな隔たりがあるなと気付かされました。
2つ目は、工場式畜産に対する「なぜ?」です。
自然に近い環境で豚や鶏を育てる農家のインタビューの一幕です。
人間は色んな事を学んでいるけど、
牛にコーンを与えていいか?とかは誰も考えない
みんな技術漬けになっていて、
「なぜ?」とは誰も問わない
「僕もこうなっていないかな?」とハッとしました。
物事のHowを考えるのは簡単ですが、Whyを考えることにはエネルギーを使います。なぜならそこには答えがないし、深い思考を必要とするからです。
しかし時には、自分のやっていることに対して「なぜ?」を問う力も必要です
作中での情報ですが、コーンや大豆ではなく、短期間でも牧草を与えればO-157の発生確率は格段に下がるらしいのですが、大手メーカーは絶対にそういう事をしないそうです。
3つ目は種子保存の話にまつわる訴訟の話です。
作中でディレクターは当時のモンサント社(現在はバイエル社が吸収)についてこう述べています。
モンサントはマイクロソフトに似ている
コンピュータの知的財産をマイクロソフトが握り
食べ物の知的財産をモンサントが握る
事実上、公共の種子などない
種子保存業者は告訴にあったら、ほぼ勝てません。個人対企業になると、資金力で圧倒的に不利で、裁判を続けられなくなるからです。
結局は安い食品に需要がある限り、安価で大量生産できる種子の需要は尽きず、農家はモンサントの種子を使うしかないのです。
ここまでの3つの話は繋がっているのです。
誰が悪いのではなく、気づいたらこの世界がそうあるだけだったのです。
少し陰鬱な内容が続きましたが、この作品の最後のメッセージは勇気を与えてくれるものでした。
それは「一人ひとりの行動で、世界は変えられる」というものです。
「食べる」という行動変容のチャンスは一日に三回もあります。みんながその機会を意識して利用することで、世界は必ず好ましい方向に動いてゆくはずです
少し傲慢な言い方になりますが、僕はそこそこの収入をもらっています。だからこそ、「世界のことを考えて食べる」ことを選択すべきだと思うのです。
僕だけでなく、先進諸国の人々の多くは同じ立場にいるのではないでしょうか?
「食べる」だけで世界が変わる。
それって素晴らしいことではないでしょうか?
以上です。また書きます。