【悟りブログ】善悪⇔生死 | U-yaオフィシャルブログ Powered by Ameba

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☆POPシンガーU-yaのPOPな生活♪

この世界は、アダムとイブが禁断の果実(善悪の実)を食べた事により、
神がその罰として、

労働する苦しみや、
女性なら"傷み"を伴なう出産、
そして究極な罰は本来は永遠だった生命に死ぬ屈辱を与えた。

と、聖書では言われているそうです。

それらの事を僕なら別名3次元(善悪、病気、死のある世界線)と呼んでいますが、

これからは地上天国(別名5次元)になると言われています。
5次元とは、善悪のない⇔病気するしない、死ぬ死なない、のない世界線なんだと僕は解釈していて、

それは神が何万年もの間に与えた罰を、
もうなくそう(神の許し)としているんじゃないかと思っています。

なのに、僕達人類のほとんどが、
3次元が当たり前の世界を今日まで生きているので、
神はもう許しを与えているとは気付かずに、
これからも3次元を生きていこうとしていってるような印象を受けます。

どころか、最近はなんだか、
その善悪が強まっている気がします。

強まった事により、
この数年は、ウイルス、戦争、災害と僕達は、隣り合わせの生死に悩まされている気がしていて、、

ではなぜ強まるのかと言うと、

神がもうその罰を受けなくていいよって人類に投げ掛ければかけるほど、
この人類の"集合的無意識"に"反発現象"が起こり、

例えば誰かがここにはモノを捨てていいよ!と言われると逆に捨てたくなくなる!
みたいな事が全人類規模で起きているが故に、

逆に善悪が強まる事態となっているのではないか?と、感じています。

これは僕の勝手な解釈ですが、、


最近、僕は身内の声に従って生きるほど、善悪が弱まるのか、
楽しい楽しくないの中間くらいの幸せ(ニュートラル)を感じる事が多くて、
そんな時ってYahoo!のニュースを開けば、
善悪の少ないニュースばかりで(死とか病気とか事故にまつわるニュースが少ない 又は皆無なイメージ)、
ですが、人間関係や何かの出来事をきっかけにして善悪が強まってしまうと、
Yahoo!のニュースはいきなり、誰かが死亡!みたいなニュースが目に飛び込んだり、
良いニュース、悪いニュースが極端に現れる気がします。

3次元は善悪の強い世界線。
5次元が善悪の弱い(ニュートラル)世界線。

な気がしていて、

地球は実際は一つしかないけれど、
まるで地球が二つあるかのように、
それぞれの世界線での起きる出来事や常識やルールが丸っと異なる印象があります。

僕は今まで、
善悪、病気、死の世界は嫌気がさすくらいにたくさん見てきたので、
もうあまり引き寄せたくない、平和でいたいので、
神の許しの世界でもある善悪の弱い5次元という世界線にいたいものです。

死者がその後に行く道って、

・輪廻転生→死を体験し、もう一度善悪の世界をやり直す。

・無→生まれ変わる事もなく死んだ後もない。

・5次元→善悪のない=生死のないニュートラルな世界線。つまり死も体験しないままその世界線に"生きたまま"タイムリープする。
3次元の世界線にいる人たちの目にはその死者は死んで見える(遺体)

のどれかなんだと思います。

おそらく僕がいつも悟りブログで取り上げている身内の声こと身内は、
5次元の世界線にタイムリープしたんじゃないかと思っています。
こちら(3次元→善悪"生死のある"世界線)側から見る身内は"死別風"となっていますが。

だから、身内がこの3次元という、善悪のある、生死のある僕の世界線では死んだ時に、
「え?私は死んでるの?今リハビリステーションにいるよ?」
と僕に"身内の声"を通して話してきたんじゃないか?と思っています。

でも中にはその事を、
身内は死んだだけなのに、この地上を彷徨っていて、だから死を自覚していないその死んだ身内が僕にそう言ってきてるんじゃないか?

と僕に言ってくる人も今日までにいました。

確かに輪廻転生する前に彷徨っているパターンもあるかと思いますが、
僕の身内の場合は、その彷徨っている霊魂というよりは、
本当に、死の体験もしていないまま、5次元という世界線に"生きたまま"ワープしてしまったのではないか?と思っています。

なぜなら、そのリハビリステーションに行ってから今日までの背景がリアルで、
もしも彷徨っているんだとしたら、
その住んでいる街、条件、人物像、その通っている病院(もう5次元という善悪の弱い世界線な為、軽度な気がしています。)などが、
鮮明に説明できないと思うからです。

ですがそれも僕の思い込みで、本当にただ霊魂として彷徨っているだけだよ?
と言われたら、それまでなんですが。

ただ、僕は彷徨ってはいなく、5次元という世界線にいるんだろうな?と思うその身内の声に従って生きていくと、
それこそ僕自身も、5次元の善悪のない世界線に、
タイムリープしていっている気がするんです。

そして、タイムリープしていけばいくほどに、
やはり身内は霊魂として彷徨っているんではなく、
5次元という善悪のない、神の許しの方の世界線にいて、
そこに僕の事を日々、導いてくれているんじゃないかなと感じています。

そんなこんなで導かれて導かれて、最終5次元にちゃんと到達した時に、
また身内に再会できるような気がしているんです。
ただ、再会出来た時に、
3次元にまだいる人達から見た僕って、
もしかしたら死んでいるのかもしれないですね?
でも僕自身は、死の体験もしないまま、
その善悪のない⇔生死のない、世界線に、
気付かぬうちに、タイムリープしているような、
そんな気がします。


これからの地球は、5次元だけになると言われています。
それでも神の罰でもあったスタイルの3次元にしがみついて生きたい人達は、
いづれ2025年くらいには、
完全に5次元になってしまう地球からは追放(死ぬ)されて、
まだ3次元のまま存在している他の惑星に輪廻転生、又は、無(完全消滅)になるんじゃないかと思っています。
(※そのまだ3次元(善悪→生死のある)の他の惑星でまた数万年輪廻転生を繰り返す。)

そのどれを選ぶかは、
一人一人の自由意志だと思うので、
一番自分がしっくり来る位置に決まるのだと僕は思っていますが、

本当は全人類、皆、"地球の自然な流れと共に"、
5次元に行きたいんだと思いますし、
そこがきっと、
アダムとイブが食べてしまった禁断の果実によって神が罰を与える前の、
本来、人類が生きていた、いるべき場所、
なんだと僕は思っているので、

引き続き僕は、
全人類がその本来の場所に戻るきっかけになれたらいいなという思いで、
"悟りブログ"
書いていきますね。


P.S...
ジブリの新作、
"君たちはどう生きるか"
という映画は、
3次元と5次元の世界を上手く描いた映画な気がします。
ドアの向こうにある世界は5次元なんだと思いますが、
あの映画の主人公は最後、僕には"悪意→善悪"があるから、
まだ5次元には行けない、と、3次元に戻る事により、その主人公の自由意志が3次元を決める事により、その主人公の中では5次元という世界線は消滅してしまう、という解釈で僕はあの映画をそう感じ取っていました。
皆、人それぞれの解釈あるとは思いますが。

それでも、あの映画に出て来る神様みたいな存在は、その主人公に、
君がいつか悪意→善悪のない世界、
に変えてね!
お墓は悪意の石(善悪→生死)だよと主人公に伝えていたのが印象的でした。

当時、あの映画を初めて見た時には、
ちょうど、身内の声を通して、
3次元や5次元などを知らされている時だったので、
同じような事を伝えている宮崎駿さんに僕は救われた記憶があります。
なぜなら、当時、悟りブログも身内の声も、妄想など叩かれる対象となってしまっていたし、それで友達も離れてしまっていて、
そんな自分を責めたりもしていた時期だったので、
あの映画を見た時に、自分は間違ってはいなかったんだ!同じような事に宮崎駿さんも気付いて、伝えている!
と、
嬉しかったんです。

ですが、その映画で宮崎駿さんも僕と同じように叩かれていたので、
流れが自分と同じ過ぎて、
更に納得してしまっていました。
反対に、僕や宮崎駿さんの感じている事は本当だ。時代がついていっていないだけで...と、
思いました。

今では、
たまに"悟りブログ"のコメント欄に、
ブログに救われます!というお声も頂けて、

もう僕の行いが合っていても、間違っていても、
それで救われる方がいるのなら、
もうそれならいいや!と、
開き直っています。

正義を伝えると必ず批判されてしまうのが、
この世の中の常だと僕は悟っています。