ベルクソンの精神のエネルギーを読んでいるが、難解でなかなか理解できない。
精神のエネルギー (平凡社ライブラリー)
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もっとわかりやすい解説はないものだろうか?とネット上を探してみるが、やはり、なかなか理解できない。
https://www.bun.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2011/08/rel-annual2008-no.5.pdf
しかし、たくさんの論文がネット上にもPDF化されていて、その筋の研究が盛んで、ベルクソンの評価は高いということは、門外漢の私にもわかった。
ベルクソンは、ヒトの精神が下す選択を逆円錐形の図式で表現している。そして、イマージュが繋がり合い、構造化されていき、その過程で、選択の自由、知的努力、不確定性、志向性、動的、時間軸、組織化、創出、二項対立といった点を観察している。
ベルクソンは精神のようすを動的図式(スキーマ・ダイナミック)ととらえ、この逆円錐を「意識の諸平面」と呼んだ。
また、物質と表象の中間にあるものを「イマージュ」と名付けている…。
まあ、兎に角、私のレベルには難しい…。ただ言えることは、用語は違えど、そこにある「念(イマージュ?)」は同じものが並んでいるに過ぎないということだろう。
私たちの精神は、もともと同じスキーマを使い回ししているに違いない…と私は考えている。
先日、私の母校の医学生が、歯科医師を刺した…。
医学を志す者が他人を傷つけるとは、けしからんのは間違いないが、正義を貫き通すために暴力を行使することは、ヒトには許されている…。昔は決闘していたし、北朝鮮がけしからんからとトマホークを打ち込むことが許されることもある…。
ヒトの精神が下す判断は、そんな風に相似している。
ただ単に、正義に照らし、許されなければ暴力を振るう…。
同様な道理で、正義にもとれば、多くのヒトは暴言を吐く…。
自分の女だと信じている相手を、ドン・ファンに寝取られたら、暴力を振るうのは男の正義ではある…。
好色漢の遊び人が悪いのか?
浮気する女性が悪いのか?
逃げられてしまった男が悪いのか?
その理は、まさに動的、流動的であり、一概に決めつけることはできず、そこには不確定性が在る・・・。
いずれにせよ、刃物で刺さず、殴るくらいにしていれば、犯人の医学生も人生を棒にふることはなかっただろうにと医学生を子に持つ親としては、悔やまれる。
そんな「悔やむ」という感情も、ヒトが繰り返し続ける、決まりきったスキーマでしかない…。
北朝鮮は、ミサイルと核爆弾の開発を止めない…。
それは悪いことなのだろうか?、なぜ止めないのだろう?、あとで悔やむのではないか?。
それとも彼らは成功体験に追従しているのか?
安保理の常任理事国である米露中英仏は、ミサイルと核爆弾開発を済ませているだけで、いま北朝鮮がやっていることは、彼らが既に行ったことであり、時間軸が違うだけに過ぎない。
時間軸が違うと、自分達がやったことは許されて、他人がやることは許さないのか?…
簡単に言うと…
俺はナイフを持って良いが、お前は持ってはいけない…という論理。
俺はミサイルで攻撃して良いが、お前はミサイルで攻撃してはいけない?
まあ、この世はすべからく矛盾している…。