『劇場版 PSYCHO PASS サイコパス』を観て見た夢 | クラスタ民主主義システム研究室

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先日から気になっていた劇場版サイコパスを昨日の夜みてきました。

最大多数の最大幸福を実現するためには世界のどこに境界線を引いたらいいのか…

日本という境界線内の幸せ?

ヨーロッパという境界線内の幸せ?

富裕層という境界線内の幸せ?

人間のクズたちを除いた境界線内の幸せ?

それがテーマのアニメです。日本のアニメは侮れません。。。



映像は暴力的でR15+指定になっていますが、こういうアニメを観て育つ世代に期待したいと私は思っています。

なぜここまで思想的に深いテーマを扱えるのか不思議に思っていましたが、最近のアニメは一部のシナリオライターが構想しているんですね。現実の世界と仮想の世界を連動させてスケルトン形成できる能力を彼らは持っているのだと思います。

そういう二人の脚本家が対談していました。やっぱり対話は大切ですね♪

虚淵玄×深見真の脚本家対談~「理詰め」と「カオス」の相乗効果~

虚淵玄はペンネームのようですが、虚(幻)の淵とは意味深ですね。彼は私が前に圧倒された魔法少女まどかマギカの脚本も担当していたことも今回知りました。

深見真はテレビアニメの脚本を手がけられていたようで「深見真のものかき日記」というブログも書いているようです。芸術家や文芸人が政権批判したり社会に訴えかけるような時は、このサイコパス・シリーズのような形で風刺して欲しいものです。

このサイコパスでの一つのテーマは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というものです。

『 私はむしろ、最初から自分の誤りを避けるため、他人の経験から学ぶのを好む。』
ドイツ宰相ビスマルクの言葉なんですね…

そして、この映画ではよく劇中で思想家や哲学者の「言の葉」が引用されます。

今回引用されていたのはマルセル・プルーストフランツ・ファノンでした。

奇しくもプルーストはフランス人でファノンはフランスの海外県で生まれた中南米出身の混血児…

ファノンの代表作は「地に呪われたる者」。フランスから独立するアルジェリア革命に身を投じていたんですね…。

フランツ・ファノン『地に呪われたる者』を解説した下記の記事には次のように書かれています。
http://homepage2.nifty.com/~islands/articles/fanon.html

以下、転載
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 彼はネイティヴ知識人がたどる「三段階のパノラマ」を描いてみせる.第一段階は,ヨーロッパ文化への完全な同化の時期.第二段階は動揺の時期で,ネイティヴの知識人は自らの,ネイティヴな過去を想起し,解釈し直そうと決意する.ファノンはそれを「闘争前夜の文学」と呼んでいる.

 そして第三段階は闘争の時期であり,「それまで民衆に埋没し,民衆と共に自己を失おうと試みていた原住民〔知識人〕は,今や逆に民衆を揺り動かそうとする.民衆の惰眠に特典を与えるのではなく,自ら民衆の覚醒者になり変わるのだ.闘いの文学,革命的文学,民族的文学だ」.「原住民知識人は早晩理解するだろう――人は文化を出発点として民族を証明するのではなく,占領軍に抗して民衆の行う闘いのなかで文化を表明するのだ,ということを」

 『黒い皮膚・白い仮面』の結語で,「私は<歴史>の虜ではない……私の生はニグロの価値の明細書の作成に費やされるべきではない」と叫んだ黒い膚の留学生ファノン,白さを求める「大いなる白の過誤」をも,黒さに耽溺する「大いなる黒の幻影」をもともに拒絶しようと苦闘していた青年医師ファノンは,いまやアフリカの解放闘争に身を捧げる革命家フランツ・オマル・ファノンとなって,新しい人間の文化の建設へと向かおうとするのである.

 『地に呪われたる者』の結語において,ファノンは宣言する.

 「<第三世界>にとっては,人間の歴史を再びはじめることが問題だ……もし人類の少しでも前進することを望むなら,もしヨーロッパの表明した人類の水準とはことなった水準に人類を押し上げようと望むなら,そのときは創造せねばならぬ.発見せねばならぬ」.

 この創造の意思,発見の意思こそが,普遍性の名の下に人間を支配し分裂させてゆくのではないような,真に普遍的な人間主義,<全的人間>の建設を夢見たファノンを突き動かしていた思想のエネルギーである.

 その<全的人間>は,ファノンが身を投じた脱植民地化の波の中で姿を現しただろうか? それを思うにつけ,私は,この高らかな人間主義の宣言にたどり着く手前のファノン,ヨーロッパとアフリカの間で,「人間」と「ネイティヴ」の間で引き裂かれつつ動くことをやめなかった若きファノンが,『黒い皮膚・白い仮面』の最後に書きつけた「祈り」を,ふたたび思い起こさずにはいられないのである.

「おお,私の身体よ,いつまでも私を,問い続ける人間たらしめよ!」
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「黒い皮膚・白い仮面」については松岡正剛氏の千夜千冊でも取り上げられていました。
http://1000ya.isis.ne.jp/0793.html

以下転載
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「黒人はその黒さの中に閉じこめられている。白人はその白さの中に閉じこめられている」。「ニグロは存在しない。白人も同様に存在しない」。「白い世界はない。白い倫理はない。ましてや白い知性はない」。

こんな激越なマニフェストが連発できる黒人はいなかった。自分で自分をニグロという黒人もいなかった。フランツ・ファノンが出現するまでは――。この言葉がどれほど激越なものであるかは、日本人が「黄色人種宣言」をしたことなど、かつて一度もなかったであろうことをおもえば、想像がつく。

「ニグロは自由の値を知らない。なぜならニグロは自由のために戦ったことがないからである」。この言葉の「ニグロ」を「日本人」におきかえれば、どうか。それはかつて一度も日本人が発したことのない言葉だ。誰も「日本人は自由のために闘ったことがない」とは言えては、いない。
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今の欧米対移民の対立や欧米への暴力的叛逆はどこに源があるのか…、それは黒人と同じように黄人の私たち東洋人も良く考えてみるべきだと思いました。。。

この劇場版サイコパスにはコンステレーションがあるようですから一見の価値があると私は思います。



そんな翌日の今朝、二度寝した時に不思議な夢をみました…

講演会で座長か挨拶をしなければならなくて、講演会場のホテルに降り立ちました。

door

いつも訪れているホテルなのですが、玄関に三つある入り口(中央の自動ドアと左右の開き戸)が全て壁で塞がれていて無くなっていました。

アレっと思っていると、みんなが左側に歩いていき違った入り口から入っていきます。

壁だったところに違った入り口があったのです。

その入り口をくぐると参加者が待合所で待っていました。

ちょっと先に進むと、そこには三台のプロジェクターと三台のスクリーンが並んでいて、ハ~ッ、ここで講演会があるんだなあ~と思ったところで目覚めました。

………
……


何か、、、通常の入口ではなく違った入口から入る必要があるんでしょうか?

久しぶりに見た不思議な夢でした♪

ウサギ