蓮の花は地下茎で繋がっています。表面に見えているのは咲いた花だけですが、見えない泥の中では全てが繋がっている…
映画「ライフオブオパイ」で蓮の花の中に「人の歯」が入っていたことは何を表現しているかというと、食人したピシンが「人を食べたら骨や歯だけが残った」ことを暗示していたのだと思います。生き残るためにウサギを食べるように人を食べたら、人の中には骨という芯があった…
その一方で、蓮の花の中の芯は、細胞の「細胞質と核」を連想させてくれます。
前回の記事で、人間の体の中は「無限と永遠と創造」があることを書きました。
今の科学では、私たち人間の体の中では新陳代謝が行われていて、多くの細胞が生まれ、また死滅していっていることがわかっています。赤血球も皮膚の細胞も、生まれては壊れている…。日々、私たちがあずかり知らないところで創造が続いているわけです。
こうした細胞の核の中には、DNAでできたゲノムがあるわけですが、何処からゲノムは来たのか?、みなさん考えたことがありますか?
人間は人の一生は、一人の人間の誕生から死亡までだ…と私達は考えています。
しかし、本当にそうでしょうか?
私たちの人体の中では、細胞が生まれては死んでいくことが日々行われていて、生まれ滅びていく細胞の連続で私たち生命が維持されているのに、出産から墓に入るまでを「人生」と考えて良いのでしょうか。
実は、出産の前の胎児の時代も細胞は生きていますから、私たちの一生のうちでしょう。では、胎児まで遡れば良いのでしょうか。
さらに遡れば、受精卵の前の「精子」と「卵子」という細胞にも生命は宿っています。
私たちの体から取り出した一個のiPS細胞に人間を創造する力があるわけですから、実は受精卵も精子も卵子の中にも生命が続いているわけです。
よーーく考えてみると、人間は、ずっと無限に続いている「細胞の連続体」の中から、たまたま芽吹いた「一個体」に過ぎません。
太古から脈々と続いている「細胞の連続体」は地下茎であり、私たちのような独立した生命は地下茎から芽吹いた「一個体」の蓮の花に過ぎないのです。
人類に限らず、チンパンジーも、ネコも、うさぎも、植物も…、全ての生命は「蓮の花の芯」とも言うべき細胞の中に語り継がれている「ゲノム」という生命の設計図によって繋がっている…
現代科学で判ってきたように、iPS細胞一個に生命の種があるのであれば、地球上にある細胞全ては太古の昔から途切れる事なく永遠に続いてきた「繋がった生命体」なわけです。
おそらく、動物のお腹を裂いて胎児を見ていた古代の人々は、人を食べても、ウサギを食べても、植物を食べても、同じ自分の仲間を食べていることに、私たち現代人と違って気付いていたのだろうと私は考えています。
だから、動物と同じように、人間も生け贄にしていたんだと思います。動物も人間も違いが無いことに気付いていたので、動物を犠牲にしていた自分達にも犠牲を強いていたのかもしれません。
私たちがゲノムによって繋がる「生命体=創造主」から芽吹いた「泡のような花」に過ぎないとしたら、私たちの意識や思考の存在は、どう考えたら良いのか…
次回は、その意識の仕組みに迫ってみたいと思います。