利他と利己は共同体で共存している | クラスタ民主主義システム研究室

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☆教育ディベートを推進しよう☆ ☆「complex system」で思考してみよう☆「ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室」からタイトル改題しました。 

私は、最近、利己と利他の相互作用について考えています。


この問題は、釜石の奇跡という津波からの避難に関するNHKの特集を見てから考えるようになりました。日頃から、自分が避難することを最優先して、他の家族の安否を確かめに行かないように教育が行われていたため、釜石の小学生たちが誰も津波被害に遭わなかったという報道です。


この放送の中で、一人の小学生は祖母の安否を心配して自宅に戻っていたことが紹介されていました。その小学生は自宅に戻ったため津波に襲われましたが、幸いにも助かったそうです。利他的に祖母を助けようとして良かったのか、利己的に逃げることが正しい選択ではなかったのか…、そんな疑問が残りました。


また、津波が迫ってくる中、他人を救助しようとしている人を映した映像をユーチューブで見ました。その映像では、高台に既に逃げていた人が、津波が足元まで来ているのに坂を登れない老人を助け上げようとしていました。


壮年の男性が高台から下に降り、坂を登れない老人の手を取って助けあげようとした瞬間、津波が老人を飲み込み、助けようとしていた壮年の男性も飲み込まれてしまった映像でした。


このように、津波の合間に家族を探しに戻って命を落とした人々が沢山いたんだと思います。危険の中で自らの危険を顧みず他人を助けようとすることは、本当に道徳的に推奨すべきことなのか?。まず、自分の命を大切にすることも重要だと思います。


いま日本は利他社会に戻ることが推奨されています。皆がさらに多くの税金を払い、社会弱者を助けて相互扶助を推進しようというわけです。


ただし、これは日本という村社会だけの論理です。仲間である日本人同士が助け合う利他社会の具現化を目指しているに過ぎません。


なぜなら、日本の社会弱者は助けますが、他国の社会弱者を助けようとはしないからです。日本内の介護環境を整えて老人を援助しますが、ソマリアやアフリカで死に掛けている子供達は見捨てている…


これは「偏狭な利他主義」と呼ばれていて、仲間内だけの利他主義であり、仲間以外の他人は見捨てるわけです。共同体の内部は利他主義ですが、共同体外部に対しては利己主義で動いている…


つまり、一見は利他主義に見えても、同時に利己主義が行われています。


これは家族や一族だけは生き延びようとする場合も相似的で、仲間では利他的ですが、外部に対しては利己的なわけです。


こうして考えると、公務員が共済年金など自分たちの特権を守ろうと内部で利他的に共闘する姿も、仲間内では利他的ですが、外部に対しては利己的な一例と言えます。


共同体の内外で、利他的でもあり、利己的でもある…


実は、日本の社会は「偏狭な利他主義」で出来た共同体が非常に多いのです。


こういう観点から日本国全体を見てみると、どうなるでしょう?


日本は大量の国債を発行して財政を賄い、国民皆保険や介護を維持し、農業を守り、公共投資を続け、公務員給与や医師給与を維持し、子供手当を配給し、生活保護を行って、日本人同士で利他的に協調しています。しかし、日本が資本主義に基いて貨幣を増刷して景気や国内需要を維持し、日本国内の社会弱者だけを守って利他社会を続けようとしているわけです。


他方、日本国の外では、資本主義によってアフリカや中東などの発展途上国に存在する社会弱者から奴隷的に搾取し続けて、日本人は海外の社会弱者を見捨て続けているわけで、日本人は利己的に生き残ろうとしていることになります。


これから、日本は再び鎖国して日本人同士で相互扶助し、内部に利他的で外部に利己的な「偏狭な利他主義」で日本人が生き延びることを目指すべきなのか…


それとも外部に利他的で内部に利己的とも言える「寛容な利己主義」で生き残ることを目指すべきなのか?…、そのうち「寛容な利己主義」を考察してみたいと思います。