海のゆりかご | クラスタ民主主義システム研究室

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☆教育ディベートを推進しよう☆ ☆「complex system」で思考してみよう☆「ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室」からタイトル改題しました。 

「海のゆりかご」という言葉をご存知だろうか。




湾の内奥の浅瀬に広がる干潟を「海のゆりかご」と呼ぶ。


遠浅の干潟では、潮の干満によって海水が常時入れ替わり浄化されるのだ。


また、プランクトンが豊富で、貝や甲殻類の幼生や稚魚が育つ海域でもある。


こうした干潟に生息する魚介類や微生物が、海の浄化作用を担う。


牡蠣などの貝類を利用した水質浄化事業が行われているほどの常識である。


干潟を失うと湾全体の生態系が乱れることは、自明の理である。




いま、諫早干拓で漁獲量が激減した有明海を再生するためには何が必要だろうか。


それは、もちろん「海のゆりかご」である。


干潟自体を再生する必要がある。


排水門を開放し、淡水湖と化した調整池に海水を入れても・・・


諫早湾の干潟は再生しないし、有明海の自然も再生しない。




干潟を再生するためには、遠浅の浅瀬を作る必要がある。


今の諫早湾では、従来の遠浅の浅瀬は干拓されて陸地となっている


この干拓された陸地を海中に戻すか、新たな土砂の堆積を待つしかない。


では、いま淡水湖となっている調整池に土砂が堆積して干潟になるのだろうか?


それは否である。


調整池に土砂が堆積すると、それは調整池ではなくなり・・・


海面より低くなった干拓地は、塩水が浸水して作物が作れなくなる。




最大の問題点は、干潟の潟土が消滅してしまったことである。


無数の生物が生息した小宇宙は、もう消え去っている。


無数の魚介類もバクテリアも、そこには存在しない。


消えた自然は、開門して海水を入れても帰ってこない。




干潟の自然破壊、そして干潟再生の困難さは過去に例がある。


サンフランシスコ湾では、潮受け堤防を撤去した。


オランダでは、7kmの堤防を可動堰に変えて海に開放した。


そうしなければ、潮の干満で生命が息づく遠浅の海岸は再生しない。


排水門の開放では、何もかわらない・・・


ただ、調整池内の汚水を今より垂れ流すだけの話である。


いまさら調査する必要もない。


もちろん、諫早湾干拓が、こうした環境破壊を引き起こすことは判っていた。


だからこそ、山下弘文氏を始めとして多くの人々が必死で世論に訴えたのだ。


それなのに、世の人々も、マスコミも、政治家も、何も憶えてはいない。




有明海の自然を回復するためには・・・


潮受堤防を撤去して、土砂が堆積し、


新たな遠浅の海岸ができるまで待つしかない。


また、何千億円という工事費が必要になる。


再び堤防を撤去するために公共事業を行うかどうか・・


造成された干拓地を「地先干拓」に切り替える工事をするか・・・


開門する前に、まず事業仕分けが必要である。


堤防撤去工事の間、再び、有明海は汚染される。


自然が回復するまで、何十年の年月が必要となるのだろうか?




いま、九州近海の海中では、さんご礁が広がって、熱帯魚が泳いでいる。


再生している間に地球温暖化が進み、有明海では海苔養殖は不可能となるだろう。


そして・・・


昔、諫早湾に飛来していた渡り鳥たちは・・・


この地上には、もう二度と帰っては来ないのである。




昔、FNETDでの議論を、少なくとも二人の国会議員に読んでもらった。


が、彼らは何もしなかった。


日本に熟議はあるのだろうか・・・


日本に議論はあるのだろうか・・・


私は、そんなもの、存在しないと思う。




いま、国会議員もマスコミも、開門の是非しか言わない。


これまで、日頃、何をしていたのか。


そして、今から何をしてくれるのか。


また、皆が政争の具にするだけで、議論など決してしないのだろう。


それが日本、それが日本人だから。


ウサギ