傷つく事とは。ニュートラルな人は「比較や判断」「良い、悪い」がない、「このままでいい」。 | 思考が現実になる、パラレルワールド(平行世界)

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自分の現実は、毎瞬、元々あるパラレルワールドを、自分の思考・感情で、その波動域に移動して見ています。おかしいことに目覚めるかどうか、恐れか愛かで自分の世界が決まります。重要な時期です。

傷つく事とは。ニュートラルな人は「比較や判断」「良い、悪い」がない、「このままでいい」。


寿虎さん:

「傷つくことを言われた。

自分が心のどっかで、自分の事を「そうだ」と思ってるから!!&吐き出すため。

心のどっかで、自分を責めてる、自分をバカにしてる、自分を疑ってる、自分を悪者扱いしてる、自分を嫌ってると、必ず他人がその観念(思考)を、演じてくれちゃうんです。

何で演じてくれちゃうのか?というと、自分が自分を「そうだ」と思ってる事に気づかせて、そう思うのをやめさせるためです。

そしたらば!!そう思うのをやめるべし。どうやってやめるんですか?って?

根性さ!!、だって、言われたくないんだもん。思ってたら言われちゃうんだもん、じゃぁ、やめるしかない!!

実は自分で「自分はすごい」って思ってるのに、他人が「大したことない」って否定してきたから悲しいんです。

悲しいからムカつくんです。(怒りは悲しみのカモフラージュです)

だったらば!!もう、堂々と思おうよ!! 私はすごい、俺はすごい、そしたら世界が変わるから。

どっかに必ず「自分は大したことない」って観念があります。気づいていないだけなんです。

現実は100%自分の観念の反映なんです。

自分の観念に無いものは、絶対に現実化できないんです。

本当に「心から自分はすごい」と思ってる人はね、他人に「大したことない」って言われても屁でもねぇんです。

「よいよい、私のすごさが分からぬのは、そなたのセンサーが、鈍っておるからじゃ」くらいにしか思わないんです。

その人がなんと言おうとも、誰も認めてくれなくても、自分はすごいって知ってるから。

で、自分はすごい!って自分が知ってれば「誰かに認めてほしい」とは思わないんです。

だから「大したことない」って言われても、ぜ~~んぜん平気なんです。

「そんなことない!!」「わたし、すごい!!」って変えて行く。

自分の事を「すごい」って、思っていいんだ!!って自分に許可する。

自分を責めたり、疑ったり、バカにしたり、悪者扱いする、そんな観念、思考を手放して、変えて、自分はすごい、素敵、良い子って自分で思う事を許可するためなんです。

「大したことない」って言われたくないなら、自分の事を「大したことない」って思うのをやめる。

「自分すごい」って思う。

「腹黒い」って言われたくないなら、自分の事を「腹黒い」って思うのをやめる。

「自分、イイ子」って思う。

傷つく事を言われるのは、自分が自分に対して、傷つくことを言ってるんだって事なんです。

傷つく事を言われるのは、自分で自分の事を「すごい・素敵・良い子」って思う事を許可するためなんです。」



津留さん:「ニュートラルな人」

「どちらでもいいのだと、手放すことによって、あなたは自由になります。

純粋動機とは、「ただ、したいからそうする」と言ったものです。

すなわち、あなたの内なる源から湧き上がってくる行動欲求だけが純粋動機と呼ばれます。

純粋動機にしたがって行動している人には苦しみがありません。

そこに、比較や判断がないからです。

自分と言った個体意識を持ったまま、全体意識としての活動家へと変わります。

そんな人が結果を恐れることはありません。

「良いと悪い」がないからです。

ただ起きてくる結果を楽しめるようになってまいります。どんな結果もです。

良いと思ってしているわけではないのですから、悪い結果は生じようがないのです。

その方が都合がいいから、と思ってとった行動は、上手くいかなかったときには、都合が悪くなるわけですから、どうしても結果にこだわることになるのです。

したいことをしている人には、「恐れる結果」はないのです。

ニュートラルな人がこの社会を見ると、どのように映るかと言うと、「良い・悪い」という価値観が消えていますから、その証拠として、悲惨な事件がその人の中から消えていきます。

酷い出来事と言う認識が無くなっているからです。

全ての現象に意味づけをして判断しているのは、ほかならぬあなたです。

事故の認識の中で「大変だ」「ひどいことだ」と心騒がせているのです。

あなたが困難な考え方をしてるから、現実がそのように見えるのです。

外側に見えているものは、我々地球人の集合意識の反映です。それが今の社会です。

今まで私達は、外に平和を創ろうとしていました。

「もっと人に優しくしなさい」と言いながら、その人の心の中が葛藤でいっぱいだとしたら、その反映が外に現れてしまうのです。

それで、平和は訪れない。

内側が「原因」であって、外側に見える世界は「結果」ですから、いくら努力して結果の世界を直そうとしても、原因である自分の内側にある価値観を手放さないかぎり、変わっていかないのです。

意識がニュートラルな感覚になってくると、新聞から悲劇的な記事が消えていきます。

新聞が白紙に見えるということではなくて、そうした記事を事件と思わなくなるのです。

「ただの記事」なんです。

価値観がニュートラルになっているのですから、悲惨な事件と言いうモノサシを持っていないわけです。

例えば、木が茂っているように記事がみえるのです。

その意味や内容が消えているわけです。

木が茂っているのと同じことで、新聞を見てもただの模様があるだけ。

ちょうど象形文字を見ているような感覚です。

今の我々が象形文字を見ても動揺する事はありませんよね。

私達の記憶の中には、かなり否定的な言葉の概念があって、その言葉を聞いた瞬間に気分は暗くなるようです。

しかし、これから私達が進んでいく方向は、他人の言葉に傷つかなくなる方向です。

今まで私達は、どこに努力していたかというと、いかに周りの人を傷つけないようにするか、だったと思います。

「人を傷つけないようにしなさい」というのが、今の社会の価値観です。

ところがどうでしょう。人に嫌な思いをさせずに生きていくことができるかどうか。

どんなに気をつけていても、それは不可能です。相手の受け止め方によっては、こちらで傷つけようと思わなくても、相手が勝手に傷つく場合もあるからです。

正しい事とか、良い事をして、宇宙の真理に沿って生きていけば、人を傷つけないで済むはずだという誤解が私達にはあります。

すると人が傷つくたびに、「自分はまだダメだ」と思うわけです。

しかし、私達がこれから行くべきところは、人を傷つけない人間になる方向ではなく、他人の言動によって自分が傷つかなくなる方向です。

他人の言葉や環境、外にあるものから傷つかない人になるのです。

他人の行為から傷つかなくなると、どうなると思いますか?

人をあるがままでいさせてあげることが出来るのです。

では、どうすれば傷つかない人間になれるかと言うと「このままでいい」と思う事なんです。

この考え方でいると、絶対に傷つかない。

この信念を持っていると、だれかから「あなたはダメだ」と言われても、「あー、そういう風に見えるんですか、ありがとう」って言えちゃうんです。

「自分はこのままでいい」って確信していたら、人からなんと言われようと全然気になりません。

その人が「あなたはダメよ」という意見を持つことを許してあげることができるのです。

それぐらいおおらかになってきます。

私は「このままでいい」ことを一貫して言い続けていますが、どこまでいっても、この一言に行き着きます。

色々策を講じるよりも、自分の中にある「このままではいけない」という考え方を手放すだけです。いたって簡単です。

「このままではダメだ」を「このままで大丈夫」と書き換えたら、それで終わります。」

https://ameblo.jp/20110311hikari/entry-11572324802.html



傷つくことは、自分の中に、気にしている、劣等感などの観念があります。

誰が、なんと言おうと、自分の事を「すごい・素敵・良い子」って、思う事を許可する。自分は認めているって。

現実は100%自分の観念の反映なんで、言われなくなる、気にならない波動域に移動します。


ニュートラルな人。

ニュートラルな人は、「比較や判断」がない、「良いと悪い」がありません。

純粋動機、「ただ、したいからそうする」に、したがって行動している人には苦しみがありません。

どんな結果も、ただ起きてくる結果を楽しめるようになってきます。

「良い・悪い」という価値観が消えていますから、悲惨な事件がその人の中から消えていきます。

私達がこれから行くべきところは、人を傷つけない人間になる方向ではなく、他人の言葉や環境、外にあるものから傷つかない人になるのです。

他人の行為から傷つかなくなると、人をあるがままでいさせてあげることが出来るのです。

傷つかない人間になるには、「このままでいい」と思う事なんです。

自分の中にある「このままではいけない」という考え方を手放すだけ。

「このままではダメだ」を「このままで大丈夫」と書き換えることです。


バシャールが、4次元密度は、「自分を愛する」ことと、頻繁にメッセージしてます。

アメブロで「自分を愛する」ハッシュタグが、今16,614件で、みなさんが書いてることです。

自分を「すごい・素敵・良い子」て、褒めること、認めることでもあります。

自分を愛することは、他人を愛することになり、

ニュートラルな考え方の「比較や判断」がない、「良い、悪い」がない「このままでいい」は、人をあるがままで認める(無条件の愛)で、

ワンネス(すべてはひとつ)、統合の意識になるってことです。


寿虎さんのブログから「傷つく事を言われたら・・・!!」です。詳しくはブログをご覧ください。




傷つくことを言われた、何でだろう、もう言われたくない。どうしたらいいの!?

まず!!何でそんなことを言われたのか?というと、自分が心のどっかで、自分の事を「そうだ」と思ってるから!!&吐き出すため。

心のどっかで、自分を責めてる、自分をバカにしてる、自分を疑ってる、自分を悪者扱いしてる、自分を嫌ってると、必ず他人がその観念(思考)を、演じてくれちゃうんです。

何で演じてくれちゃうのか?というと、自分が自分を「そうだ」と思ってる事に気づかせて、そう思うのをやめさせるためです。

例えば!!「あんたなんか大したことない」と言われた時に「傷ついた、悲しい、ムカつく」という気持ちになったらば、あなたは、心のどこかで自分の事を「大したことない」と思っていたという事です。

そしたらば!!そう思うのをやめるべし。

どうやってやめるんですか?って?

根性さ!!

だって、言われたくないんだもん。

思ってたら言われちゃうんだもん

じゃぁ、やめるしかない!!

でね「大したことない」って言われて、悲しい、ムカつくって事はね、本当の本当は「私はすごい」と思ってるって事なんです。

実は自分で「自分はすごい」って思ってるのに、他人が「大したことない」って否定してきたから悲しいんです。

悲しいからムカつくんです。(怒りは悲しみのカモフラージュです)

だったらば!!もう、堂々と思おうよ!! 私はすごい、俺はすごい、そしたら世界が変わるから。

そんでね「私はすごい」って思ってるのに、大したことないって言われる。

認めてもらえない?あせるって人。

どっかに必ず「自分は大したことない」って観念があります。

気づいていないだけなんです。

現実は100%自分の観念の反映なんです。

自分の観念に無いものは、絶対に現実化できないんです。

本当に「心から自分はすごい」と思ってる人はね、他人に「大したことない」って言われても屁でもねぇんです。

「よいよい、私のすごさが分からぬのは、そなたのセンサーが、鈍っておるからじゃ」くらいにしか思わないんです。

だって、その人がなんと言おうとも、誰も認めてくれなくても、自分はすごいって知ってるから。

で、自分はすごい!って自分が知ってれば「誰かに認めてほしい」とは思わないんです。

だから「大したことない」って言われても、ぜ~~んぜん平気なんです。

だからね、誰かに「大したことない」って言われて傷ついたなら、自分が自分の中にある「私なんて大したことない」と言う気持ち、劣等感を見つけて手放す。変える。

「そんなことない!!」「わたし、すごい!!」って変えて行く。

自分の事を「すごい」って、思っていいんだ!!って自分に許可する。

傷つくことを言われるのはそれ↑をするためなんです。

自分を責めたり、疑ったり、バカにしたり、悪者扱いする、そんな観念、思考を手放して、変えて、自分はすごい、素敵、良い子って自分で思う事を許可するためなんです。

言われたくないなら、自分が思うのをやめる。

「大したことない」って言われたくないなら、自分の事を「大したことない」って思うのをやめる。

「自分すごい」って思う。

「腹黒い」って言われたくないなら、自分の事を「腹黒い」って思うのをやめる。

「自分、イイ子」って思う。

傷つく事を言われるのは、自分が自分に対して、傷つくことを言ってるんだって事なんです。

傷つく事を言われるのは、自分で自分の事を「すごい・素敵・良い子」って思う事を許可するためなんです。

さぁ!!やっていきましょうネ

「俺はすごい!!」と、思っていい!!

その気持ちが君を、すごいヤツにするんだ。

https://ameblo.jp/whoaretime/entry-12280696571.html

ありがとうございます
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森林光2

森林の中の光の撮影です。


こちらのブログもございます。「地球の愛と光・本来の姿へ
よろしければ、ご覧下さい。