「まるこさんは他人に好かれる才能があるよね」
私は今年の春、夏に一人旅をしていて色んな人との出会いがあった。そのときの繋がりで小豆島から先日、うどんが届いた。という小話をしたときに言われたセリフだ。
ただ、私が他人に好かれるのは才能ではないと思う。美人でもないし、弁がたつわけでも芸ができるわけでもない、平々凡々な女子だと自覚している。特筆すべきことは一つだけ、それは私自身、他人を好きだということ。私の周りが他人に対して興味ないひとばかりなのかもしれないが、周囲と比べて私は圧倒的に他人に興味を持っていると自負している。でも好意の程度はそれほどでもない、広く浅い。ただそれはとてつもなく広いことも確かである。何もなくても不特定多数の人間に幸せであってほしいし、笑えるのなら動物にだって笑っていてほしい。
これは、他の人がヘラヘラと笑っていてくれれば自分の不真面目さも陰に隠れるだろう、という安直な甘えが転じただけな気がしてならない。
考えてもみてほしい。自分のことを好いてくれる他人に対して嫌悪感を抱く他人がいるのだろうか。いたとしても少数だと私は考える。ということは、私が他人を好きな分私も他人から好かれるのは相場通り、ということではないか。
「なんだ、それなら他人を好きになれば自分も周りから好かれるんだ、よしそしたら今日から10人ずつ好きになろう。そして毎日10人ずづ自分を好きになるひ他人が増えたら、10日で100人だ。」
ところがどっこい、そんな簡単に他人を好きになれるならこの世に喧嘩なんてないし、警察なんて要らないのだ。ではなぜ私はこんなに他人を好きなのか、それはまたもや私がダメ人間だからである。そう、ちゃんとしている人間は他人をそう簡単に好きになることはない。私の場合、他人を嫌いになれるほど、ダメなところを指摘できるほど、自分にダメな部分がないわけがないのだ。ダメな部分というかほぼダメなので、人様にダメというレッテルを貼るのに恐縮してしまう。そして、私が持ち合わせていない素敵な部分をみんな持っている。それを見つけただけで、私はその人のことを好きになるには容易いのだ。単純かつ無害だともよく言われるのは、こんなカラクリとも言えないカラクリ仕掛けのせいだったのだ。
結局私は「あなたのことをとても好きだから、こんなダメダメな私のことを少しでも好きになって」作戦を知らず知らず遂行しており、相変わらずのせこくおしつけがましい怠け者のままなのである。