二本映画を観た。観る前に感じたインスピレーションはありあまるほど完璧で、型にこっくりとはまるそんな映画に出会えた。
午後は中学の友だちと五人でチーズフォンデュをつついて、めがねのレンズで花を咲かす。九年間はあっという間、そんなことを言ってしまう私たちは二十一歳。積もり積もった話たちは会えてなかった溝を埋めるようにわきあがり熱を持つのはやはり青色。
そのあと上野に向かい元職場のひとたちと会い、しらふで啖呵をきるわたしを微笑してくれる雰囲気にのまれそうになる。いったい、おもしろさとはなんだのだろう、センスの交錯がスクランブル交差点の信号みたいに通り抜ける。
終電を逃しほぼ同世代と大井町でカラオケボックスに入る。ケージに入れた鳥を逃がすために、その結局不毛な二段階のために、わたしはなにをしていたんだろう。言いたいことを我慢するのはむずかしいなんて、美術は美しいという嘘の当たり前と一体化しているよ。
世界で排出される二酸化炭素、そんなものよりも重い足取りを引きずっていたら、朝に目が合ったヨークシャーテリアはおつかれ、と労をねぎらってくれた。また、道端に咲いていたサクラソウはばかたれ、と罵声を浴びせてきた。
今のわたしにはおんなじことばに聞こえた。