九州豊後において、破竹の勢いで戦闘続行中の如水軍。
太兵衛や九郎右衛門の活躍が伝令で届けられる。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20141229/17/u-nation/5b/39/p/o0500026213173476144.png?caw=800)
そこに、善助が浮かない顔で如水のもとに。
この時点で如水は、関ヶ原における天下分け目の戦いが、
わずか一日で終わってしまった事を知る・・・。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20141229/17/u-nation/f1/c0/p/o0500026213173476606.png?caw=800)
この豊後における、如水最後の戦闘シーン。
エキストラの数も充実していて、かなり良い出来栄え。
また、この「如水の陣」については、
公式HPの「美術の世界」にも紹介されてますが、
かなり細かく作り込まれていました。
![78](https://stat.ameba.jp/user_images/20141229/17/u-nation/b2/f2/p/o0500034213173476954.png?caw=800)
如水カラーとも言える黒と白による「幔幕」、
あの独特な形をした「如水の兜」や、
竹中半兵衛の遺品でもある、あの「軍配」などなど。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20141229/17/u-nation/55/96/p/o0500034813173477269.png?caw=800)
そして、今は懐かしい備中高松城の時に造った、
戦場の地形を形どった模型=ミニチュアのジオラマとか。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20141229/17/u-nation/37/02/p/o0500033813173477513.png?caw=800)
黒塗りに、所々、金の装飾が施された輦(れん)は、
良く見ると、座る部分に背もたれも付いてるんですね。
時代考証的に考えると、ちょっとありにくいアイテムですが、
ドラマ的に見ると、雰囲気あるし、良い出来栄えですよね。w
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20141229/17/u-nation/89/79/p/o0500037613173477835.png?caw=800)
関ヶ原の戦いから、約10日後の9月27日、
逆賊を討ち果たした家康は、淀君と秀頼に報告。
![77](https://stat.ameba.jp/user_images/20141229/17/u-nation/9d/25/p/o0500026213173478381.png?caw=800)
逆賊とはいえ、元々は亡き太閤殿下の家臣、
情状酌量を訴えてみる淀君だったが、家康が許す筈もない。
それどころか「彼らを庇う者も同罪」と、淀君を威嚇。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20141229/17/u-nation/fc/83/p/o0500026213173478871.png?caw=800)
囚われの身となった安国寺恵瓊、小西行長、石田三成。
吉川、小早川を調略していた長政に対し、
「さすがは如水殿の息子!」と褒める恵瓊。
三成の肩に自分の陣羽織を着せてやる長政。
この有名なシーンの中、色々あったけど水に流そう~っていう台詞は、
う~ん、なんかダサイ、「粋」じゃないんだよねぇ。
あと、この場面、裏切った小早川秀秋くらいは、
登場させても良かったんじゃないかなぁ~
長政以外の武将を登場させる事によって、
より、長政の態度を鮮明に描くことが出来ると思うんですよね。
ちょっと、もったいないシーンだったかな。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20141229/17/u-nation/02/8c/p/o0500026213173479176.png?caw=800)
10月1日、安国寺、小西、石田の三人は、
洛中引き回しの上、六条河原にて処刑された。
戦後処理の最中、家康による論功行賞の結果、
「筑前52万石」を告げられる黒田長政。
>如水殿が九州でずいぶんと骨折ってくれたようじゃが、
>もう十分じゃと、お伝えくださらぬか。(家康)
>・・・はっ、。。。(長政)
慰労半分、皮肉半分、微妙な、お言葉。w
これは、結構、パンチの効いた台詞で面白かったです。♪(*'-^)-☆
▼軍師官兵衛:最終回 乱世ここに終わる 第3幕