友人に勧められて読みました。
ヤマシタトモコ「違国日記」
あらすじは
主人公槙生(まきお:女性)は、ある日大嫌いな姉が死んだ知らせをうける。遺体確認へ向かうとそこには姉の一人娘の朝(あさ)がいた。葬儀の席で囁かれる心無い親族の言葉を浴びせられる朝を見るにみかねて勢いで引き取ることに。本当なら人見知りで誰かが「居る」ことすら煩わしい性質であるにも関わらず、その日から二人暮らしが始まり、朝はそんな日々の「日記」をつけ始めた…
この槙生には本当に共感ばかり。
「あたりまえ」ができない
彼女は極端な人見知りで、孤独を愛し、誰とも違う感性を持っている。けれど、実の姉から「どうしてこんな“あたりまえのこと”ができないの?」という非難に長年さらされ、トラウマにまでなっている。
「あたりまえ」ということ。
掃除ができる。電話ができる。誰かと一緒にいることができる。人の面倒を見ることができる。大人としてのふるまいができるetc
これらができることを多くの人間が「あたりまえ」で「普通のこと」だという。そして、それが「あたりまえに」できる人間は勘違いする。
「“あたりまえ”は皆できるのが“普通”なのだから、できないのは本人の身勝手な思いがあるからでしょ?」
と。
「なんでできないの?(本当はできるのに、ふてくされているのでしょ?)」
「なんでできないの?(本当はできるのに、私を困らせているんでしょ?)」
本当に「できない」を理解できない以上、これは平行線。
槙生はこの件ひとつとっても「人は違う人間である以上理解しあえない」ということを身を以て知っている。
だからこそ。
天涯孤独になった朝の「孤独」について、最初から「理解できない」と明言する。
朝は「孤独」が嫌いで、人見知りもしない。実母(槙生の姉)との暮らしで、「あたりまえ」を疑わず、まさに母のように「なんでできないの?」と槙生に問う。ただし、彼女はまだ成長途中で素直だ。槙生の語る槙生の中の真実を、反発しながらも受け止めて、やがて「彼女は自分とは違国にいる」ことを理解する。
人は皆違う。だから完全にわかり合うことはできない。
皆「自分」という国の中での「法律」「文化」「言葉」を持っている。そこに根付いた感情を含め、その道程で導かれたものを完全に理解するということは誰にもできない。
でも
そばにいることはできる
槙生は彼女の孤独に寄り添わない。彼女に同情し愛することもしない。
けれど、彼女の心身の疲労には敏感で、守っていきたいと思っているし、自分と違う彼女の「心」はその「心のまま」でいいと教え説く。
何度も何度も語られる「違い」。そして「違い」があっても「思いやることはできる」という事実。
朝は「違う」ことに戸惑い、怒り、やがて自分だけの「悲しみ」をみつける。
人が誰かと関わっていくということは、こういうことなのだと、優しい気持ちになっていきます。
このお話では様々な人物がこの2人に関わってきます。その中でも注目の二人。
●槙生の元恋人「笠町くん」
この二人の関係はすごく好き。一度は別れた二人だけれど、二人ともに成長したことで、新たな関係を築いている。
笠町くん、いいなぁ。槙生に鍛えられ(笑)、思考がとても柔軟で、ある意味一番「大人」だ。でも、惚れた弱みの可愛らしさもあって、彼の槙生への視線にはニヤニヤしっぱなしだったりします。
●朝の友人「えみり」
朝の古い親友で、実の両親が家族ぐるみでつきあっていた唯一の友人。自分の「普通でない」思いを自覚してからは、槙生の語る言葉を心の支えにしているが、それに気づかず「あたりまえ」をふりかざす朝との会話にうんざりしている。
朝は、彼女の「事実」を眼前にして、素直な気持ちで「偏見」と「自分」との隔たりに気づく。
人はみな自分の「違国」の住人だ。
かくいう私自身、あまりに違う価値観をもつ彼を
あ、この人宇宙人なんだ!(◎_◎;)
と理解してからは色々な意味で楽になった。
「やーめた」とあきらめるのではなく、ただあるがまま「その人にとってはそうなんだ」と受け入れる。
この感覚が皆に浸透すればこそ、人に優しい世界ができるような気がしている。
今後も楽しみな作品です。



