後藤ゆうじの日々是決戦

後藤ゆうじの日々是決戦

ブログの説明を入力します。

突然の内閣解散…

これには正直、がっかり魂

いや、むしろ、汚ねぇなぁ…姑息だよもやもやもやもやもやもや

って思わせるくらい。

なんだと思ってんだよ、国民を。


だからなのか?

もしくはわざとそうさせているのか?

国民は政治に期待していない所以。


今回2/8投開票の衆院選挙の投票率はどうなることやらタラー


さて、またまた間隔開いてしまいました「後藤ゆうじ自伝的blog、子育て編」、始めますグッ


当時購読していた日本経済新聞。

そこで

『働く政治家募集』

という民主党の公募記事。


僕は何を血迷ったか、その時の思いというか世の中への憤りを原稿用紙5枚程度に綴り、かみさんに無断で送付。

どうせ何も起こらないと思っていたからおいで

そしたら数日後、返信(薄っぺらい封書1通)が届く。

どうせ、今回は見送りとか、厳選なる協議の結果とか言って、終わるんだろうなぁ…

と思いながらも、「是非選挙に出てください!」なんてことにでもなったらどうしよう滝汗アセアセ

ってあるわけない心配をしながら、恐る恐る開封し中身を確認。

ざっくりとした内容は、

“国政には時間やらいろいろと厳しいから、再来年に行われる地方統一選挙の候補者として民主党名簿に入れてもよろしいでしょうか?”

というような、あまりはっきり覚えてないですけども、そういった内容の返事であった。


返信用封筒が同封されていたので、僕はあまりシビアに考えず、またまた何を血迷ったか

「よろしくお願いします」

と返事をした。

さすがにこの時は、かみさんに相談した記憶がありますニヒヒ


その後、しばらく音沙汰もなく、1年が過ぎたであろうか。

2010年の7月頃だったかと思う。

面接をしたいと言うことで、当時新潟1区の衆議院西村ちなみ議員の事務所へ向かった。

何を聞かれるのかわからなかったけども、その時も思いの丈を話してこようと意気揚々。

無知というものって、本当に怖いものである笑い泣き

自分のことながら、今あらためて…


とある7月の日曜日の午後。

梅雨明けしたのか?していないのか?はっきりしない中旬。

直射日光がきつい昼下がり太陽

よりによって普段着ることのない、上下スーツの姿の僕。

事務所がある建物の階段を上り、入り口前で深呼吸。

と同時に、慣れないネクタイで少しきつめに締め上げられた首筋を、汗が滴るのを感じる。

額から首筋の汗をハンカチでさっと拭い、事務所のドアをコンコンと叩こうとしたその時、ドアがさっと開き、向こうから僕と同い年位の若者(とは言え、34、 35歳くらいの男性)が、180度向きを変え(僕には背中しか見えない)、大きな声で

「ありがとうございました!よろしくお願いします」

と腰を直角にサッと折り曲げ深々とお辞儀…

僕の存在には気づいていないのか、そのまま事務所を後にしていった。

僕はすれ違う彼を横目でチラッと見て、軍隊かよ⁇って心の中でつぶやいた。

で、その人と入れ替わるように、秘書らしきいわゆる中肉中背の男性の方にどうぞと促されるまま、事務所の中へ。

あまり大きな声で、ってのは自分の中でどうしても違うような気がしたからそこそこなボリュームで(事務所の広さはざっと学校の教室くらいでそこそこ広いものの)、そこにいた秘書はじめボランティアなのかわからないけど、高齢の男性が2人に聞こえる程度で

「失礼します。後藤ゆうじと申します」

と軽く会釈。


またまた中肉中背の方から

「少しここでお待ちください」

と、座り心地が良さそうとはお世辞にも言えないソファに腰をおろす。


緊張しながらも、察せられないように深呼吸と共に、顔をあげて事務所全体を見回してみた。

秘書らしき人含め、他の人も僕をチラ見して、なんともいたたまれない空気もやもやもやもやもやもや

冷房効いてんの?って思うくらい、また首筋に汗。


高齢の方の後方に茶色のドア。

おそらくそこから先が応接室で、そこに通されるのか?

はたまたこの場でこのまま面接なのか?

1人で勘繰っている自分。

そうこうしているうちに、そのドアが“ガチャッ”と開き、ポスターや新聞などで見る“西村ちなみ”議員本人が!!

真打ち登場です。


「暑い中、お疲れ様です。どうぞ」

と、イメージ通りと言っていいのだろうか?いかにも政治家です!的、堅い印象。


だけども僕は、そこで逆に目が覚めた気づき

よっしゃ、やってやろうじゃない炎炎炎

と、そのまま応接室へ足を踏み入れるのでありましたグー


次回へウインク

本日1/14(水)。

高市首相、衆院解散って匂わしただけで一気に株価が上昇上矢印上矢印上矢印上矢印上矢印



それと合わせて円安も加速滝汗



これをどう思うかは、人それぞれ。

喜ばしく思う人もいれば、頭が痛くなる人も…


いずれにしても、金融経済での話でしかなく、実体経済においてはあまり関係のない話。

むしろ日本は輸入大国だから、どっちかっていうと我々一般国民にとってはあまり喜ばしいことではなく、物価高騰にさらに拍車がかかるんじゃないかな?


さて、また随分と間が開きました『後藤ゆうじ自伝的blog第2章、子育て編』始めますウインク


随分と“イクメン”という言葉が世に浸透されるとともに、僕はふに落ちないことがふつふつと沸いて出てくる。

※その詳細は前回にも綴ったのでご確認ください。

・どうしてこんなに子育てしづらい世の中なのか?

・どうしてそんなことをみんな声に出さず我慢しながらやっているのか?

・それもこれも世の中がそんな風潮だからなんじゃないのか?

・そんな憤りをどう解消したらいいのか?

・それには政治に興味関心を持つことが大前提になるんじゃないか?


僕はそう考え始めたんです。

そしてその頃から経済新聞を読み始め(当時スポーツ新聞ばかり読んでいたんです)、現場仕事の休憩中、車の中でその新聞を読み、そして気になる事はメモに残し、休日には図書館へ行って関心事や気になる本を借りては読み、返しに行ってはまた借りて読む。

または本屋に行って政治経済コーナーの本を物色し買いまくり、読み漁るうずまきうずまきうずまき

30代前半から半ばにかけて、そんな日々を過ごしていました。


そしてだんだんと僕の中で「こんなことしていたら、気づいた時には子育てなんて終わっている魂とにかく急がないとマズいかもしれないアセアセ手遅れになるかもしれないもやもやもやもやもやもや


そんな焦る気持ちが、はやる気持ちが湧き上がってきたのですくるくる

そんな時、経済新聞の一面広告において



働く政治家募集!!


そんな記事があったのです。

2009年3月?4月?のことだったと思う。

当時、8月に衆院選を控えた民主党が政権を奪いにかかっていて、ブイブイ言わせていた頃の民主党による公募の広告だったのです。

僕は仕事の休憩中、それを目にして自分でもよくわからない湧き上がるものが一気に爆発。

帰宅後、その気持ち(子育てしづらい世の中や、同世代が政治への無関心だったり、をそのまま原稿用紙5枚ほどに綴り、郵送してしまったのです。

もちろん紀子(かみさん)には無断でニヤニヤ笑

無断というか、どうせ何も起こらないだろうなぁ…

なんて思っていたものでおいでニヤニヤ


ところが、思いもよらぬ方向へ進んで行くのでしたくるくる


次回に続きます。

本日12/31大晦日です。

今年もお世話になりましたラブラブ

そして来年2026年もよろしくお願いします餅


さて、後藤ゆうじ自伝的blog第2章、子育て編。

随分と間隔をあけてしまいましたアセアセ

申し訳ありませんでした笑い泣き


長女と次女がすくすく育っていく。

とてもとても嬉しく有難いハート

ただ、なんかこう“子育てってやりづらい”というか、“大変”ってわけじゃないんだけど、なんていうか、もっと臨機応変にできないものか?

誰もがみんなこんな思い(やりづらさだったり上の世代との感覚がズレているような憤り)をしながら子育てしているのか?

はたまた昔はどうだったんだろう?同じ感じだったのか?

そしてこれからもこの状況が続いていくのだろうか?


そんな時に、当時よく耳にするようになったのが…

『イクメン』

というワード。


子育てをするのに、ママさん側だけが産休育休を取ることによる、今までの仕事(キャリア)に支障をきたすことが問題視されてきた時代。

そして、核家族化も多くなってきた昨今、なかなかママだけでの育児ということが現実問題厳しいものになってきたこともあったんだと思う。

そこで旦那さん側にも、産休育休を取りやすい社会環境、労働環境整備の必要性がうたわれ始めてきたんです。


こうやって世の中がアップデートされていくことは間違いなくそうあるべきなんだろうけど、僕としてはどうしても腑に落ちないところがあって…


大して子育てに関与しないくせに、これを機に休みを取る“ずる賢いやから”が現れて来るんじゃないか?

“イクメン”ってまわりから重宝されたいがために、本当はやりたくない家事や育児をする奴が登場して来るんじゃないか?

逆に、子どもが産まれたばかりなのにどうしても休めない時や残業しなければならない時に仕事していたら、変な目で見てくる者も現れたりするじゃないか?

まぁ、考え過ぎなのかもしれないし、そんなことばかり言ってたら、何も変わらないと思うんだけどねデレデレ


だけどそもそも、そんな『イクメン』なんて言葉がないと育児に参与しないパパってどうなん?

人にとかく言われようが、育児したけりゃすればいいし、仕事しなければならないんだったら仕事を優先するしかないだろうし…


要するに、自分で考えて行動できないのか?

人がやってるとか、周りが言ってるからとかじゃなくてさ。

自分が正しいと思ったら、それを貫けばいいだけの話なんじゃない?って。


でもね、よくよく考えてみると、世の中がそうさせているんだよね(周りに合わせてしまうようなことだったり、あまり深く考えないで行動をしてみたり)。

自分一人だけの力じゃどうにもならない…って時、あるものね。


この辺りからなんです上差し

どうしたらもっともっと住みやすい、働きやすい、子育てしやすい「まち・地域・国」になるんだろう?

でもそれこそ人それぞれいろんな考えがあるんだろうし…

これ!!っていう答えはないよね。

だけど世の中を社会を、そこに近づけることはできるんじゃないか?

みんなで想いを声に出せば、世の中を動かすことができるのではないだろうか?

もっと政治というものに興味関心を持ってみたらどうなんだろう?

って。


そして僕は動き出します。


次回(来年2026年)に持ち越しますグッウインク

それでは皆々様、良いお年をお迎えください日本



本日12/5。
前回のお話から随分と間隔が開いてしまいましたアセアセ
そして気がつけば、今年2025年も残すところあとわずか滝汗
時が流れるのって、ほんと早いものですね。
こんなに時間の経過が早く感じられるのに、子育て中って随分と長く感じられるのは僕だけではないんじゃないかな?

さて「後藤ゆうじ自伝的blog」“第二章:子育て編”始めますOK
第二子桜子が生まれ、お姉さんになった凜子は一生懸命、妹桜子を可愛がってくれました。
そのおかげで(時にはちょっと待って滝汗ハッとか、それ危ないポーン!!とかヒヤヒヤもんがあったけどネ)、桜子は日に日にたくましく成長していきましたラブラブ


画):バレンタインの時に2人でお菓子の家を作って、自分たちで食べるデレデレ笑


すくすく成長と同時に、時に凜子&桜子のどちらかが風邪をひき熱を出し、苦しそうになったりする時なんかも当然ある。
紀子(かみさん)も僕も職場では中堅クラスになり、責任を持ちながらの仕事内容になったりもしていた。
そんな時にどっちが仕事を休むか?なんて、お互い子どもことを第一に考えてはいるものの、やはりどうしてもこの日だけは休めないんだよ…というような時もあるわけで。
それが引き金で言い合いになったり、半ば怒りながら出勤なんかした時もあった。

さらに凜子(桜子も)が保育園に入ると、仕事と子育ての両立の葛藤に拍車がかかる。
園生活1年間には、いろんな行事がある。
例えば、親子遠足、親子運動会、保育園のお祭りや保育体験、お遊戯会などなど。

こういった行事、どれもこれも魅力的だし僕個人的においては全てに参加したい。
こんなの一生に一度しかないからね。
せっかくだから育児を思いっきり楽しみたいハートってのが僕の心情。
必死に子育てされている親御さんたちには怒られるかな?
会社には
「娘の行事があるので休ませてください」
なんて言おうものなら
「そんなのかみさんに任せときゃいいじゃねーか」と言われる始末。
なにせ僕がお世話になっていた建築関係の会社っていうのは、ほぼほぼ男社会。
しかも僕より20歳30歳上の世代がバリバリ働いている業界だったからね。
語弊があるかもしれませんが、男尊女卑の社会がこの業界(僕より20〜30歳上の世代)にはまだまだはびこっていたのです。

この辺りからでしょうか…

僕の中で何か憤りというか違和感というかどこにどう伝えたらいいのかわからない気持ちが芽生え始めてくるんです。


共働きをしながらの子育て環境


に対して。


そしてその原因とは一体全体、何なのか?

僕なりにその原因究明に勤しんだ。

図書館に行き、本を読み漁り(当時あまりネットと言うものがなかったので)、自分なりに答えを見出していったのですグー


ではそれは何だったのか?

また次回に続けたいと思いますOK


昨日、次女桜子の17歳の誕生日お祝い

ハッピーバースデーお祝いケーキ



熊出没ニュースばっかりですね笑い泣き

確かに、怖いっちゃ怖いけど、ここまでくると、なんか逆に勘繰ってしまわない??

僕のまた悪い癖なのかもしれないけど、あながちそうでもないのかも上差し

いずれにしても、熊だって必死なんだよねデレデレ


さて、随分と間が開いてしまいましたが、『後藤ゆうじ自伝的ブログ』

今回からは第二章の幕開けですチョキ


というのも、これまで(子どもが産まれるまで)は、一言で言うと、

「自分のための人生」


でもね、ここから(子どもが産まれてから)は

「家族のための人生」


そう捉えているのね、僕。


というわけで今回から『後藤ゆうじ自伝的blog』

第二章の始まりですOK

ウインク


第一子誕生により、僕と紀子は喜びと不安アセアセと、将来のワクワクラブラブといろんな気持ちが相まって、3人で新しい生活が始まりました。



毎日毎日、僕らにいろんなことを教えてくれる。


そんないち親としていち人間として、常に“学び、学び”でした。


そんな僕らの不安とは裏腹に、彼女は(第一子:凜子)は、全く僕らを心配させるような事はなく(ときには熱を出したりといった、第一子親あるあるで「どうしたらいいんだろう?」状態に陥る時もあったけど)、すくすくと育っていってくれましたルンルン

心から感謝ラブラブラブラブラブラブ


そして彼女が2歳になった(2007年9月)その3ヶ月後2008年1月)、紀子の母が他界。



紀子にとっては中学校の時に既に父親を亡くしており、頼みの綱である母をも亡くしてしまった事は、とても受け入れ難い出来事だったと思う。


でも、そんな紀子を救ったのは紛れもない『凜子』であろう。



屈託のない笑顔と愛くるしい仕草で、母紀子を勇気づけてくれた。


そして紀子の母が亡くなった翌月(2008年2月)、第二子が紀子のお腹にいることがわかる。


凜子は妹ができることを心から喜んだ。

もちろん僕も。

そして紀子も母親がいなくなり、頼りどころが僕の両親しかなくなったけども、また2人でいや凜子も含め3人で第二子を無事出産することを願い、明るく笑顔で暮らしていこうと決めた。



そして2008年12月、第二子『桜子』誕生である。


凜子が桜子を可愛がってくれる。

頭を優しく撫でてくれたり、抱っこしたり(ちょっと怖かったけど笑笑)、時には寝かせつけを買って出たり。



とても愛くるしい。

どんなことがあっても守らなきゃ。

凜子、桜子、紀子、3人を僕が守る。


そう決心したものです。


ところが、僕の心の中に、いや、心の奥の奥の奥の奥底に、ほんの少し、ほんとチョットだけ、変なわけのわからない、憤りみたいなものが芽生えてくるのでした。


これって一体!?

次回へ続きます真顔