後藤ゆうじの日々是決戦

後藤ゆうじの日々是決戦

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本日4/20(月)。

今ほど岩手県の沖合を震源とするとまた大きな地震があった模様。

どうぞお気をつけてください。


さてさて前回の続きで「後藤ゆうじ自伝的blog、子育て編」始めます。

前回よりまた結構なスパンが開いてしまいました…

すいません。


12月24日締めで退職し、年末を家族とゆっくり過ごし、年明けとともに僕の政治活動(というか自分の名前と顔を売る行動でありこれは政治活動でもなんでもない)を始めた。

前回にも述べましたが、手書きのぼりを作り、朝7時半から交通量の多い交差点にその手作りのぼり持ち、4月に控える選挙の街頭演説の練習がてら月曜日から金曜日、雨の日も雪の日も。

笑顔と手振り行動バイバイ

それと意味のないお辞儀。

心中で「朝から申し訳ありませんタラーみなさんはこれからお仕事だっていうのに僕はこんなところで気色の悪い笑顔を振り撒き、自分アピールなんかしてしまって魂本当にごめんなさいお願い」と呟きながら、永遠と…

そしてたまに誰も聞くはずもないその時の想いを喋る。

これが選挙当選につながるのかなぁ…?

なんて思っていたんだけども、選対総指揮官からは「とにかく今は選挙に出る意向を西区民に伝えることが先決だ」

と言われていたので、それを胸にとにかく自分の顔と名前を知ってもらおうと…

とはいえ、選挙期間中以外(つまりは4/1〜4/9の選挙期間意外)は選挙活動は禁止されている。

要するに朝の辻たちに「後藤ゆうじ」と言う名前を掲げてはいけない。

襷やのぼりや立て看板などで。

それならのぼりには何を書いたのか?

そこは僕の当時の市議会議員になれたらこんな政策を実行したいものだったり、自分の素直な気持ちだったり。

そんな心の想いを手書きで、毎日車の通行通勤の人たちにお示ししていた。

例えば

「子育ち支援」※“子育ち”ってところがミソで、“子育て”応援は選挙なんかでは票取り目的で発信する候補者はたくさんいるけど、子育ちってのは子どもへの支援なのでなかなか票につながりにくいんだよね。

あとは

「お米を食べよう」

「若さで新潟市を変える」

こんな感じなものを日替わりで。

ここまですれば、おそらくこの人は選挙に立候補するんだろうなぁ…と察しがつくかと。

実際に選挙が始まりポスターが貼られた時

「あ、この人あそこで毎朝のぼりを持っていた人だ!」

なんてなることを願って。


はじめのうちは誰ひとり相手にしてくれませんでしたもやもやもやもやもやもや

だけど、不思議なもので1週間、2週間、1ヵ月もすると大勢の方が笑顔になってくれて。

中には車の中から手を振ってくれたり、窓を開けて大きな声で「頑張って!応援してるよ」

なんて言う声もちらほら聞こえたりして。

それはそれはとても励みになりましたし、嬉しかったです。

今でも忘れられませんちゅー


ただ、これだけではやはり現職の(名前と顔が既に多くの人に知られている現在の市議会議員)に比べれば、知名度なんかは月とスッポン。

選挙が始まって、ポスターが貼られた時、「誰これ?」って思われるのがオチなので、とにかく名前と顔を売らなければならない。

今現在のように「SNS」なんてものはあまりなかったので、せいぜいFacebookくらい。

 2011年の話ですから。

結局A4サイズのチラシを作り(もちろん自腹)そこにスーツを着た僕、名前はもちろん、プロフィールを細かく書いたり、新潟市政に思うことだったり、こんな新潟市にしたいグー

みたいなものを両面に綴って(決して“立候補します”なんてことは明示してはいけないんです。公職選挙法に引っかかりますから)印刷して、ひたすらそれをポスティングダッシュ

1人じゃ限界がありますそ、時間もかかる。

なので少なからず僕を応援してくれている当時のパパ友だったり、ママ友だったり高校の同級生だったり、親父お袋の知り合いだったり、そういう人たちにボランティアで助けてもらったことも幾度か。

ポスティングは日中にやると、少し煙たがれることもあるので、早朝にやってもらいました。

7時から8時くらいの1時間で500から1000世帯を一気にみんなでやる。

それをお休みの土曜日だったり日曜日だったり。

月2回程度6回くらいやったかな?


そのチラシには、選挙事務所の住所や電話番号が書いてあるので、時には返信が来たりしました。

「お身体に気をつけて頑張ってください」

「若い力が必要です。応援しています」

など、嬉しいメッセージをラブラブ

中には

「お前みたいなやつに何ができるんだ」

みたいなアンチなメッセージも含まれておりました。

やはりそういうもんなんだろうなぁ…と。

味方も増えれば敵も作ってしまう。

これが政治のイメージを悪くしてしまう所以でもあるなのかなぁ?なんて思いました。

正直、凹みはしましたけども、こんなことで凹んでたら何もできやしない!と当時36歳の僕は、自分にそう言い聞かせ、なんとか前に進むことをだけを考え、来る日も来る日も、自分の名前と顔を売ることに専念。


民主党の公認候補ということで、西村ちなみさんが新潟に帰ってくる時や、何か活動する時には、コバンザメのようについていき、西村ちなみさんの支持者に対して、僕の名前と顔を売る。

その人たちが西区在住かどうかは定かではなかったけど(ちなみさんは国政なので、新潟全域を管轄としていますのでね).。

それでも1%の可能性があるのなら、そういったところに顔を出し、挨拶をし、僕のやりたいことを2分から3分お話しさせていただきました。

どうだろう?3ヶ月の間に5回もあったかないかくらいだと思います。

そう考えると(今更ながら)、3ヶ月の間に名前と顔を売るということ自体、選挙を舐めたらいけないよ、と思われていたことでしょう。

それぐらい僕は未熟だったってことです。

それでも自分で決めた事。

やれる事はやったつもりであります。


次回は実際4月の選挙期間に入った、その時のことをお話しさせていただきたいと思います。


本日4/9。

中学校も始まり、騒がしかった春休みとは、うって変わって、穏やかな春桜になりました。


そんな時、とあるスーパーにて。

ギルティ炭酸たるものが陳列…タラー

こんなに大々的に滝汗

別に全否定するわけじゃないですけど、ここまでやる必要あるニヤニヤ??

このこと自体がギルティっすわもやもやもやもやもやもや


さてさて前回の続きで「後藤ゆうじ自伝的blog、子育て編」始めます。

前回より1ヶ月も経ってしまいまして…

すいません。


西村ちなみ衆議院議員事務所にて面接が終わり、1〜2週間経った頃だったか?

いつも通り仕事(当時は建築設備関係の仕事)をしていて、現場への移動中、自分の個人用の携帯に1本の電話が…

事務所の秘書の方からでした。

僕「もしもし後藤です」

秘書「先日はどうもお疲れ様でした。その結果を、電話で恐縮ですが、お知らせいたします。結果から言いますと、後藤さんを次回の市議会地方統一選挙市議会議員に民主党公認候補として擁立させていただきたいとと言う結果になりました。また詳細をお話しさせていただきたいと思いますので、日を改めて事務所の方までお越しください」


との事。

無知な僕にとって、はっきりしないことが。

最後に出てきた『擁立』とは何なのか?

よくわかんなかったんだけど、なんとなく自分が立候補することになるんだろうなぁ…ということは察しがついた。

これが2010年8月の話です。

統一地方選挙は翌年の2011年4月。

1年もありません。

1年どころか8ヶ月しかありません。

さすがに無知な自分でも

「大丈夫なんかな?選挙ってそんなもんじゃないよね?」

「挨拶回りとか、根回しとか…」


それよりも何よりも、まずやらなきゃいけない事は、今の仕事をどうするか?

民主党側からは、二足のわらじでも大丈夫だと言われておりましたが、自分の中でそれはありえないと。

そんなに器用な男ではないですし、やはりお互い迷惑になるような気がして、どちらか1本に絞るべきだろうなぁ…と。

このままサラリーマンとしてやるか?

新しいことにチャレンジするか…

はっきり言って、答えは1つ上差し


後者です。


4月から逆算すると、政治活動は少なからず3ヶ月必要だと思い、2010年、年内いっぱいで仕事を辞める。

そうなると、暗黙の了解的ルール「3ヶ月前に退社願い」を出さなければならないので、必然的に9月がタイムリミット。


残り1ヵ月、ここから僕は急ピッチにいろんなことを始めるアセアセ


ただ当時、工期が12月24日までの現場を代理人として仰せつかっていたので、その仕事だけは全うしようと思い、9月頭に退職願いを提出しその旨を社長に伝えた。

残りの3ヶ月間は、その代理人の仕事をしながらも他のプロジェクト等の引き継ぎ期間とした。


ここで予想はつくかとは思いますが、簡単に辞められるはずもありません。

なぜなら、僕が働いていたところは、建築設備関係👷

要するに


「自民党を支持している」


団体、組織、会社なんです。

地方新潟🍶であれば、なおさらのこと。

ましてや、自民党にとって最大のライバル「民主党」から出るとなったら、一筋縄にはいかない。

無知である僕でも、さすがにこれだけは理解していたが、そこは僕にとってははっきり言って、どうでもよかった。

僕がいたその会社やその他団体の名誉もあるかと思うので、詳しい事は割愛させていただきますが、居心地なんかあったんもじゃなかったです。

そして、なんとか12月24日を迎え、退社することができました。


年内(2010年12/25〜12/31まで)はゆっくり過ごすことにして、年明けから活動をすることにしたグッ


まず初めにやった事は、手書きで「のぼり」を作り、それを持って、とある場所の交差点に、毎朝7時半から8時までの30分間、辻たちをすることにした。

雨の日傘であろうが、雪雪の結晶であろうが毎日毎日。


こんなことが、政治活動なのか?と半信半疑の想いで行き交う車に笑顔で手を振りバイバイ、誰も聞いていない「演説(というよりも選挙本番のための練習)」を笑顔と共に。

時には、車の中から笑顔で手を振り返してくれたり、窓を開けて「頑張って〜応援してるよー拍手」なんて声もかけられて。

朝から嬉しくて涙する時もありました。


民主党の指示で、事務所も開設。

家賃、月50,000円のところを見つけて、そこで事務作業を。


選隊総指揮官(面接時に西村ちなみ衆議院議員の隣に座っていたご年配の男性)の指示のもと、僕は言われるがまま動く。

地方統一選挙が公示される4月まで、3ヶ月間、僕は何をしたのか?


そもそも何ができて何をしちゃいけないのか?

公職選挙法でいろいろありますので、その辺りを次回お話しさせていただきたいと思いますグッ

本日3月11日。
忘れもしない「東日本大震災大津波が襲った日」であります。
あれから15年。
あらためてお亡くなりになられた方、お悔やみ申し上げます。
またご家族やご親戚、今なお故郷に戻れず、避難所で生活を余儀なくされている方々、あらためて心よりお見舞い申し上げます。
そして2時46分、地震発生。
これもまたあらためて、黙祷。

この3月11日の出来事がなかったら、僕の人生はそこまで大きく変わっていなかったのかもしれません。
これを機にいろいろな考えや思想が芽生え、我々後藤家は行動に移したと言っても過言ではありません。
そのことについてはこの「後藤ゆうじ自伝的ブログ」に赤裸々に綴ってありますので(2011年以降の話はこれからになりますが…)、どうぞ遡ってご覧ください。
それではまたまた間隔が開いてしまいましたが「後藤ゆうじ自伝的blog、子育て編」を始めますグッ

2010年7月、当時政権与党民主党新潟1区選出衆議院議員「西村ちなみ」事務所を伺った。
一度お話を聞かせてほしいからということ(要するに面接)で、着慣れないスーツを纏い。

事務所にて待つこと5分くらいだったであろうか…
真打ち、西村ちなみさんが奥の扉の影からひょこっと現れ
「暑い中、お疲れ様です。こちらへどうぞ」
と。
秘書らしき方からも「どうぞこちらへ」と促されるまま、応接室へ足を踏み入れる。
そこには西村さんの他に、少しご年配の方がひとり(後でわかることなんだけど、この方が僕の選対総指揮者です)。

西村ちなみさんと、その年配の男性が座る対面にテーブルを挟んでの指示された椅子に腰掛け、早速話し合いが始まった。
皆さん、だいたいお察しだとは思いますが、志望の動機や今気になること、世の中に対して思っていること、そういったものを聞かれました。
僕は当然のことながら、その時の想いをただただ話しただけです。
僕ら同世代の子育て世代にはあまり政治や選挙には関心がないこと。
生活に直結してるのが政治なはずなのに…
ましてや我々のような子育て世代が政治にいちばん身近なはずなのに…
そういった憤りや、どうしたら関心を抱いてくれるのだろうか?みたいなことを淡々と喋ったことを記憶している。

西村ちなみさんの手元には僕の履歴書。
その隣にも履歴書らしい、A4サイズの紙が高さ10センチから15センチ程度の紙束(憶測ですが、ざっと数えて30人から40人ぐらい分の履歴書)が置いてあり、それを見た僕は心の中で
(ここから1人か…かなりの競争率だな…)と呟いたものである。
ま、そんな事はどうでもいいと半分思いながら、喋りたいだけ喋った。
時間的におそらく10分から15分。
そんなに話してないかもしれないけど、あっという間に終わった。
思いのほか、僕はいたって冷静だった。
面接が終わった後も、どこか清々しいくらいだった。
事務所を出るときも、先程のすれ違った青年のことを思い出し、僕も腰を直角に曲げて大きな声で「ありがとうございました!よろしくお願いします」と、言おうかとは思ったけども、そこはあえて
「お忙しい中、お時間を作っていただき、ありがとうございました。それでは失礼致します」
と、柔らかなそして爽やかな雰囲気を醸しつつ、相手のことを敬うような感じで、西村ちなみ事務所を後にした。
その1週間後か2週間後だったでしょうか?
1本の電話が。

続きます。

突然の内閣解散…

これには正直、がっかり魂

いや、むしろ、汚ねぇなぁ…姑息だよもやもやもやもやもやもや

って思わせるくらい。

なんだと思ってんだよ、国民を。


だからなのか?

もしくはわざとそうさせているのか?

国民は政治に期待していない所以。


今回2/8投開票の衆院選挙の投票率はどうなることやらタラー


さて、またまた間隔開いてしまいました「後藤ゆうじ自伝的blog、子育て編」、始めますグッ


当時購読していた日本経済新聞。

そこで

『働く政治家募集』

という民主党の公募記事。


僕は何を血迷ったか、その時の思いというか世の中への憤りを原稿用紙5枚程度に綴り、かみさんに無断で送付。

どうせ何も起こらないと思っていたからおいで

そしたら数日後、返信(薄っぺらい封書1通)が届く。

どうせ、今回は見送りとか、厳選なる協議の結果とか言って、終わるんだろうなぁ…

と思いながらも、「是非選挙に出てください!」なんてことにでもなったらどうしよう滝汗アセアセ

ってあるわけない心配をしながら、恐る恐る開封し中身を確認。

ざっくりとした内容は、

“国政には時間やらいろいろと厳しいから、再来年に行われる地方統一選挙の候補者として民主党名簿に入れてもよろしいでしょうか?”

というような、あまりはっきり覚えてないですけども、そういった内容の返事であった。


返信用封筒が同封されていたので、僕はあまりシビアに考えず、またまた何を血迷ったか

「よろしくお願いします」

と返事をした。

さすがにこの時は、かみさんに相談した記憶がありますニヒヒ


その後、しばらく音沙汰もなく、1年が過ぎたであろうか。

2010年の7月頃だったかと思う。

面接をしたいと言うことで、当時新潟1区の衆議院西村ちなみ議員の事務所へ向かった。

何を聞かれるのかわからなかったけども、その時も思いの丈を話してこようと意気揚々。

無知というものって、本当に怖いものである笑い泣き

自分のことながら、今あらためて…


とある7月の日曜日の午後。

梅雨明けしたのか?していないのか?はっきりしない中旬。

直射日光がきつい昼下がり太陽

よりによって普段着ることのない、上下スーツの姿の僕。

事務所がある建物の階段を上り、入り口前で深呼吸。

と同時に、慣れないネクタイで少しきつめに締め上げられた首筋を、汗が滴るのを感じる。

額から首筋の汗をハンカチでさっと拭い、事務所のドアをコンコンと叩こうとしたその時、ドアがさっと開き、向こうから僕と同い年位の若者(とは言え、34、 35歳くらいの男性)が、180度向きを変え(僕には背中しか見えない)、大きな声で

「ありがとうございました!よろしくお願いします」

と腰を直角にサッと折り曲げ深々とお辞儀…

僕の存在には気づいていないのか、そのまま事務所を後にしていった。

僕はすれ違う彼を横目でチラッと見て、軍隊かよ⁇って心の中でつぶやいた。

で、その人と入れ替わるように、秘書らしきいわゆる中肉中背の男性の方にどうぞと促されるまま、事務所の中へ。

あまり大きな声で、ってのは自分の中でどうしても違うような気がしたからそこそこなボリュームで(事務所の広さはざっと学校の教室くらいでそこそこ広いものの)、そこにいた秘書はじめボランティアなのかわからないけど、高齢の男性が2人に聞こえる程度で

「失礼します。後藤ゆうじと申します」

と軽く会釈。


またまた中肉中背の方から

「少しここでお待ちください」

と、座り心地が良さそうとはお世辞にも言えないソファに腰をおろす。


緊張しながらも、察せられないように深呼吸と共に、顔をあげて事務所全体を見回してみた。

秘書らしき人含め、他の人も僕をチラ見して、なんともいたたまれない空気もやもやもやもやもやもや

冷房効いてんの?って思うくらい、また首筋に汗。


高齢の方の後方に茶色のドア。

おそらくそこから先が応接室で、そこに通されるのか?

はたまたこの場でこのまま面接なのか?

1人で勘繰っている自分。

そうこうしているうちに、そのドアが“ガチャッ”と開き、ポスターや新聞などで見る“西村ちなみ”議員本人が!!

真打ち登場です。


「暑い中、お疲れ様です。どうぞ」

と、イメージ通りと言っていいのだろうか?いかにも政治家です!的、堅い印象。


だけども僕は、そこで逆に目が覚めた気づき

よっしゃ、やってやろうじゃない炎炎炎

と、そのまま応接室へ足を踏み入れるのでありましたグー


次回へウインク

本日1/14(水)。

高市首相、衆院解散って匂わしただけで一気に株価が上昇上矢印上矢印上矢印上矢印上矢印



それと合わせて円安も加速滝汗



これをどう思うかは、人それぞれ。

喜ばしく思う人もいれば、頭が痛くなる人も…


いずれにしても、金融経済での話でしかなく、実体経済においてはあまり関係のない話。

むしろ日本は輸入大国だから、どっちかっていうと我々一般国民にとってはあまり喜ばしいことではなく、物価高騰にさらに拍車がかかるんじゃないかな?


さて、また随分と間が開きました『後藤ゆうじ自伝的blog第2章、子育て編』始めますウインク


随分と“イクメン”という言葉が世に浸透されるとともに、僕はふに落ちないことがふつふつと沸いて出てくる。

※その詳細は前回にも綴ったのでご確認ください。

・どうしてこんなに子育てしづらい世の中なのか?

・どうしてそんなことをみんな声に出さず我慢しながらやっているのか?

・それもこれも世の中がそんな風潮だからなんじゃないのか?

・そんな憤りをどう解消したらいいのか?

・それには政治に興味関心を持つことが大前提になるんじゃないか?


僕はそう考え始めたんです。

そしてその頃から経済新聞を読み始め(当時スポーツ新聞ばかり読んでいたんです)、現場仕事の休憩中、車の中でその新聞を読み、そして気になる事はメモに残し、休日には図書館へ行って関心事や気になる本を借りては読み、返しに行ってはまた借りて読む。

または本屋に行って政治経済コーナーの本を物色し買いまくり、読み漁るうずまきうずまきうずまき

30代前半から半ばにかけて、そんな日々を過ごしていました。


そしてだんだんと僕の中で「こんなことしていたら、気づいた時には子育てなんて終わっている魂とにかく急がないとマズいかもしれないアセアセ手遅れになるかもしれないもやもやもやもやもやもや


そんな焦る気持ちが、はやる気持ちが湧き上がってきたのですくるくる

そんな時、経済新聞の一面広告において



働く政治家募集!!


そんな記事があったのです。

2009年3月?4月?のことだったと思う。

当時、8月に衆院選を控えた民主党が政権を奪いにかかっていて、ブイブイ言わせていた頃の民主党による公募の広告だったのです。

僕は仕事の休憩中、それを目にして自分でもよくわからない湧き上がるものが一気に爆発。

帰宅後、その気持ち(子育てしづらい世の中や、同世代が政治への無関心だったり、をそのまま原稿用紙5枚ほどに綴り、郵送してしまったのです。

もちろん紀子(かみさん)には無断でニヤニヤ笑

無断というか、どうせ何も起こらないだろうなぁ…

なんて思っていたものでおいでニヤニヤ


ところが、思いもよらぬ方向へ進んで行くのでしたくるくる


次回に続きます。