あれから4年経とうとしている。

2017年5月9日の事

ゴールデンウィークが終わり、休み明け初日で仕事も慌ただしかった。すっかり疲れ果てて帰宅したのは20時。少量の酒を飲みゴロンとソファーで横になりそのまま寝落ちしたが、スマホの着信音で目覚める。時間は23時。

相手は会社の同僚。何故こんな時間に?電話に出ると緊迫した声で、会社が火事なので今すぐ来て欲しいとの知らせだった。

「嘘でしょう?」

自転車で慌てて会社に向かう。近づくと会社の前の県道は通行止め。規制線が引かれていた。そして焼け焦げた臭いと共にまだ燃え盛る建物を見て言葉を失った。

実際の写真です
既に大半の従業員の姿があったが、皆危険なので建物に近づく事すら出来ず、消防隊の懸命な消火活動を見守る事しか出来なかった。

誰も居ない時間帯なのに何故?

幸いにして、この日は風も無く穏やかな夜であった為近隣への被害は最小限で済んだ。廻りの住人は皆避難して怪我人も無く無事だったが生きた心地しなかったと思う。

翌日改めて見る。絶望的になった。これからどうすれば良いのか。機械も資材もトラックも事務所の中も何もかも燃えてしまった。

翌日、警察から放火の疑いもあるので従業員ひとりひとり退社時間を聞かれ調書取られた。結局事件性は無くその後の調査で建屋の老朽化による漏電が原因と結論された。

社長はこのまま廃業を考えていたが、今の2代目社長と大半の従業員が再建を希望。そして復興させる事となった。

従業員が集められて今後の事を説明された。満足な給料支給も困難と言う事も伝えられた。何人か会社を辞めて行ったが、自分は会社の行く末をこの目で見たかったし、今の面子ならきっと再建出来る!と信じていたので、会社の事情を了承し残る事にした。

会社は売上を伸ばしまさに絶好調だった時に奈落の底に突き落とされた形となった。力なく泣き崩れる従業員も居た。だがいつまでもクヨクヨしていられない。

長くなるので復興の詳細は書かないが、とにかく大変だった。従業員の努力もそうだけど、廻りの協力や助けが無かったら、どんなに再建したくても絶対無理だったろう。

火災から1ヶ月。有志から格安で貸してもらった工場で一時的に業務再開する所まで復旧させる事が出来た。ここに行き着くまで1日も休まずひたすら作業に明け暮れた。

2018年9月

建屋の改築が完了したのは火災から1年以上経ってからであった。保険屋と工務店と揉めて時間掛かったらしい。でもやっとここまで辿りつけた。引っ越しは重機運搬以外、自分たちで4トン車を借りてきて運んだ。

そして現在に至る。火災の被害額は億単位である。保険は満額降りなかったので借金もかなりの額あるらしい。まぁ奇跡的にもここまで来れたんだ。後は前進するのみだ!

再建後、組織変更となり当時の社長は会長となり現役から事実上引退。復興を先頭切って従業員を牽引した社長の息子が2代目となって引き続き会社を引っ張っている。

人間真面目に前向きであればきっと報われる事が必ずある。この災難を乗り越えて得た経験から生まれた教訓だ。それを胸に自分もこれから精進していきたい。