日本人初のWBCチャンピオン誕生は昭和45年4月5日、王者レネバリエントス🆚沼田義明で判定でレネバリエントスを下し日本人初のWBC王者が誕生した。が直後に大バッシングを受けた。


それを本人に聞いてみた

1970年当時日本はWBAのみでCはチャンピオンとしては認めてないファンや関係者が多くてこの世界タイトルを日本で組むのも相当苦労したようだ。この数ヵ月前に日本でWBCタイトルが行われていたジョニーファメション🆚ファイティング原田戦だ、しかしこれは前回敵地で地元判定による原田の負けで「特例」でこの試合は行われた。結果はファメションのKO勝ちだった。それで「特例」ではない試合でWBCチャンピオンが誕生してしまったのでファンや業界の人間までもが良く思わなかったようだ。

(その試合のチケット)
チャンピオンは1人で良い、なぜ同じ階級にチャンピオンが二人もいるのだ!と言うこと。WBAは小林弘だった。なんやかんだしてるうちに防衛しなくてはいけなくなり日本開催が難しくなった。海外で防衛と言う風向きになり連日ジムには取材が来ていた

その時の写真↑。あまり嬉しそうではない。海外からは3人のボクサーから声が掛かっていた。スペインの元世界王者ホセレグラがファイトマネー1800万出すからスペインでやってくれと、二人目は一度試合しているアメリカのルーベンナバロ「日本でもアメリカでもよい。」三人目はアメリカの元世界王者ラウルロハス「ファイトマネーはいくらでも出す」。交渉の末、一度アメリカで試合したマンドラモスと同門のラウルロハスと試合することになった。マネージャーが同じで話がスムーズに言ったらしい。コミッションと話して日本開催に持っていた。この試合はご存知の通り日本ボクシングの歴史的名勝負となり今でも語り続けられる試合になった。それ以降日本でも頻繁にWBCタイトルは行われるようになった。自分がボクシング見始めた頃はボクシングと言ったらWBCの緑のベルトだった。あれから半世紀が過ぎて日本では4団体チャンピオンベルトがある。当時からしたら信じられない現状だろう。沼田義明会長は今のボクシングはチャンピオンが多すぎてわからない、、と言っている。中でもスーパーチャンピオンやレギュラーチャンピオンが誕生して1階級で6人くらいチャンピオンがいたこともあった。令和の時代ボクシングは進化している絶対無理だけど1団体にしたら誰がチャンピオンになるだろうか?これは見てみたい。今のボクシングの楽しみかたは人それぞれだが自分は統一戦。見たい試合はいくらでもある🥊そして「特例」の試合はちょこちょこある。そういう試合かなりの名勝負になる。これからも「特例」は見たい。