WBA WBCスーパーライト級Championエディパーキンスとの裏話を今回、沼田義明会長に聞きました。


清瀬駅前のポポラマーマに移動、会長はコーヒー☕とスパゲッティ、試合前もスパゲッティだったそう、本題に戻り1964年に高橋美徳との防衛戦の為に来日したエディパーキンス、来日して極東ジムで練習をしていたパーキンス、スパーリングは日本ランカー相手にスパーリングをやったが日本ランカーが、ことごとくやられてしまう。しかも皆ジャブでやられてしまう、どうにもこうにも行かず、極東ジム会長小高会長が電話で「おい、沼田、今北海道か?エディパーキンスのスパーリングやってくれないか?すぐジムに来てくれ」との電話。北海道でのんびりしていたが、すぐ東京に戻り次の日ジムでパーキンスとのスパーリングがはじまった。パーキンスは165センチと言われてるがそんなになかったそうです、ゴングがなるとパーキンスが下からジャブを打ってくる、フリッカージャブだ、三段、四段と分けて打ってくる。左右に動き強いパンチを当てるがケロッとした顔をしている。このスパーはテレビで公開生中継されたそうだ。激しい打ち合いになり、なんとか立っていて、パーキンス側に気に入られ次の日もスパーリングをしたそうだ。それからパーキンスは高橋をtkoで下して防衛した。あれから60年近くたち改めてパーキンスはどんなボクサーだったか聞くと「当時はフリッカージャブなんか打つボクサーは日本ではいなかった、打たれて効いていてもケロッとした顔をして表情を変えない、パーキンスには色々な事を教わった」との事です。エディパーキンス小さく、ずんぐりタイプのボクサー、きっと無理な減量はしないで闘っていたのかもしれない。その後、このフリッカージャブを使い連勝して、3年後に念願の世界タイトル挑戦フラッシュエロルデVS沼田義明が実現。フリッカージャブを使い世界チャンピオンになった。