ボクシングには必ず階級の壁というものがある、まさにこの試合もそれの一つ、1969年アメリカ、ロサンゼルスで行われたWBA WBC世界ライト級タイトルマッチ マンドラモスVS沼田義明を本人に聞いてみた。


この試合は小林に負けて2年後に突如やってきた1階級上げての試合で決戦の為にアメリカに乗り込んだ。ハワイ経由でロス入りしていて、ロスの街を歩いていたら前座に出る花形進にバッタリ会ったそうだ。食べ物は肉とフルーツで調整してライト級の身体になりいよいよという矢先にラモスが怪我をして試合は中止に。正直笑ってしまったらしい。一度日本に帰国して再度日にちが決まり再びアメリカに乗り込んだ。日本でも生中継され極東ジム(今現在の極東ジムではなく赤坂にあったジム)で辻本兄弟をはじめ皆で見ていたそうだ、試合が始まるとラモスの身体のデカさに驚いたとの事、正直2Rでこれは勝てないと思い勝負を捨てた、何度もダウンをして6RにKO負け。幸いにも頭のダメージはなかったようだ。まるで壁を殴ってるかのようにびくともしないラモス。

これは当時のプログラムの一部。当時現地観戦したLAボクシング殿堂のリックファリス氏から贈られた物、ジムに飾ってある。今は団体も増えて複数階級制覇チャンピオンはゴロゴロいるが、マニー・パッキャオと井上尚弥だけは階級を上げても強さを感じる。ボクシングの階級の壁を撃ち抜くのはテクニックではなく、パンチ力だと思った。
マンドラモスはいまで言うカネロのような身体の強さがあったのかもしれない、生い立ちも、すごいラモス、学問を放り投げたラモスは15才でボクシングをやりながら母親が経営するレストランで皿洗いをはじめた、ボクシングセンスもあり18の時には10回戦を戦っていた人気ボクサーに、イケメンで人気に「リングのエルビス・プレスリー」と言われた。西城正三と闘ったフランキークロフォードと闘い判定で負けたが控え室ではクロフォードが倒れた。リマッチでは判定勝ち。そして日本の極東ジムでも練習していたカルロステオクルス(ドミニカ共和国)の持つ世界ライト級王者に挑戦したが判定負け。リマッチではKO勝ちして二十歳で世界チャンピオンに。晩年は酒とドラック中毒になってしまったラモス、今は少なくなったがチャンピオンになり薔薇色の人生になり脱落していくチャンピオンは昔、沢山居たような気がする。映画になったチャンピオンもいた。人間らしくジーンときた