宗教などで言う、神(カミ)の話ではありません。
神(シン)というのは、五臓六腑の一つ、心(臓)のもつ感情のようなもの。
五臓は、肝・心・脾・肺・腎の五つです。
素門の宣明五氣篇第二十三のなかに
五藏所藏.
心藏神.肺藏魄.肝藏魂.脾藏意.腎藏志.是謂五藏所藏.
という一節があり、書き下すと、
五臓の蔵するところ
心は神を蔵す.肺は魄を蔵す.肝藏魂を蔵す.脾は意を蔵す.腎は志を蔵す.是を五藏の藏するところという.
となります。
この中の「心は神を蔵す」ということですが、他の心臓に関する記述からいうと、「心は虚さず」「心は君主の官(霊枢)」と書かれており、心は五臓の中でも特別の臓のようです。
神とは何か?
これは、諸説が数々あるところですが、これこそが命を命たらしめているものととらえられるかもしれません。
いくら科学が発展したとはいえ、命を作ることはできません。
物質的に、人間と同じ材料を持ってきても、現代科学では未だ、命を作ることは不可能です。
中国の医学古典では、神が絶えたとき、天命が終わる(死ぬ)というような考え方のようです。
なんとも、わかったようなわからないような話ですが、「神」というものが命を支えるうえで、最も大切なものに扱われています。
人が心臓が止まるのを見て、神が去ったと表現したのは、得体の知れない、命を命たらしめている何かだったのです。
人間の力では、作り出すことのできない何かを表現したのでしょう。
昔の人が、「神」と表現したその何かを科学は発見していないのです。
よく、鍼灸をとらえて、
「そんな非科学的な!」
と言う人がいますが、
「その通り!科学ではありませんよ!」
と、お答えしています。
そして、逆に、
「現代科学は全て実証された事実というわけではなく、一応確からしいという仮説のものがたくさん混じっているのをご存知ですか?」
と切り返します。
私、すっかり、頭が古典化してきています。
かなり、古典派の治療なのですが、もちろん古典には、誤植や交錯している箇所があり、全てを信じるのは考えものなところもあります。
ですから、日々古典を少しずつ読んでます。
2千年前の人の書いた古典の説を信じるか、最近の科学者の仮説を信じるか。
年代は違っても、同じ人類のやった仕事です。
私が鍼を打つとき、古典に出てくる五臓六腑をイメージして打っています。
なるべく、古典頭で考えるようにしてやってます。
ただ、釈明しておきますが、科学で証明できたことまで否定して鍼を打ってはいません。
科学が、鍼灸の効果を証明できるほど発達していないので、今のところは古典の方が妥当であるからそうしているだけです。
今日は、すっかり難しい話を書いてしまいました。