子供の頃の特有の「毎日、なんでも楽しい」感じ。
それは全てが目新しく、全てが初めて見るものだから・・・
ということも当然あるだろうが、その根底には、
「未来への期待」があったのではないか。
それは科学技術的な、あるいは経済的な、社会的な
発達への期待はもとより、「自分の人生は楽しいものになる」
という期待。
それはどうしたって、「将来、自分の周りにいる人間」への
期待だったと思う。
現実にいる大人、フィクションストーリーの中の人物を見て、
自分もこうなるんだ、と。
その中で一番大きいのは、やはり異性。自分の恋人、妻だった。
年齢を重ねるごとに、現実を知ってゆく。
自分という人間の限界。容姿、魅力、頭脳、社会的に成功する
ための力。何かの才能。
自分は何者かになれるほどの人間でもなく、異性に限らず
「他者」に好かれることもあまりない。
それが30を過ぎれば、嫌でもわかる。
子供の頃に感じた世界の楽しさの根拠が、なくなるのだ。
すなわち、この世に生き続けている事がつまらない、
と感じてしまう。
しかし誰でもそうというわけではないだろう。
彼女ができ、自分が好きだと思った異性に愛されたり、
自分がやりたいと思った事を仕事にして生きられたら、
子供の頃と同等どころか、それ以上の楽しさなのではないか。
何も叶わず、周りに人はいない。休日には一言も発しない。
生きるためには仕事が必要。そして唯一の対人の窓口も仕事。
その仕事も、楽しくはなく、ストレスの方が大きい。
そんな日々。
それが「俺」という人間の持つ力だった、という事。
さて、それが分かったところで、どう生きる?