ある冬の日の光 -8ページ目

ある冬の日の光

今まで自分の日記じみた事を書くツールは何度かやってきたけど、結果的にリアルの知り合いが見ているものは
自分をよく見せようとする気持ちが働いてしまって、自分のダメな所はさらけ出せない。
ここでは、素性を隠す替わりに本当に心の内を書いていってみたいと思う。

子供の頃の特有の「毎日、なんでも楽しい」感じ。
それは全てが目新しく、全てが初めて見るものだから・・・

ということも当然あるだろうが、その根底には、

「未来への期待」があったのではないか。


それは科学技術的な、あるいは経済的な、社会的な

発達への期待はもとより、「自分の人生は楽しいものになる」

という期待。

それはどうしたって、「将来、自分の周りにいる人間」への

期待だったと思う。
現実にいる大人、フィクションストーリーの中の人物を見て、

自分もこうなるんだ、と。
その中で一番大きいのは、やはり異性。自分の恋人、妻だった。

年齢を重ねるごとに、現実を知ってゆく。
自分という人間の限界。容姿、魅力、頭脳、社会的に成功する

ための力。何かの才能。
自分は何者かになれるほどの人間でもなく、異性に限らず

「他者」に好かれることもあまりない。

それが30を過ぎれば、嫌でもわかる。
子供の頃に感じた世界の楽しさの根拠が、なくなるのだ。
すなわち、この世に生き続けている事がつまらない、

と感じてしまう。
しかし誰でもそうというわけではないだろう。
彼女ができ、自分が好きだと思った異性に愛されたり、

自分がやりたいと思った事を仕事にして生きられたら、

子供の頃と同等どころか、それ以上の楽しさなのではないか。

何も叶わず、周りに人はいない。休日には一言も発しない。
生きるためには仕事が必要。そして唯一の対人の窓口も仕事。
その仕事も、楽しくはなく、ストレスの方が大きい。
そんな日々。
それが「俺」という人間の持つ力だった、という事。
 
さて、それが分かったところで、どう生きる?