村上春樹の無自覚な不正学位取得会見が示す病根

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181113-00054648-jbpressz-soci&p=1

 

伊東乾先生がご立腹な様子。

あろうことか、大学の公的な「記者会見」として、単位取得や卒業を不正に行っていた事実を、とくとくと、もしかすると半ば自慢げに語る記事を目にしたのです。

 「・・・テストも準備せずに受けて、問いも読まない。答案用紙の裏に、自分の書きたいことをぎっしり書いて出したら、点をくれました」

 「卒論も、参考文献なんか1冊も書かずに、1週間で原稿用紙100枚をでっち上げで書いた・・・」

 こんな問題外な内容を、こともあろうに大学の公的な記者会見で、固有名詞を挙げながら、何かの戦果であるかのごとくに語る内容。

 例えば、米ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学、英ケンブリッジ大学で、自分が取得した単位や卒論が、本来の水準に達していないのに、教員が不正に合格させた事実を大学当局同席の場で公表したら、どういうことになるでしょう? 

 不正採点を行った教員は、当然責任を問われ、また取得した不正単位は剥奪、卒業証書は返還し、卒業資格停止が妥当な判断に一点の疑いもありません。

 

「テストも準備せずに受けて、問いも読まない。答案用紙の裏に、自分の書きたいことをぎっしり書いて出し」ても単位をもらえたことを「不正単位取得」と言っているみたい。

 

まあ、大学が単位認定に出席日数などを厳しく設定するようになったのはけっこう最近で、かつての大学の単位認定の甘さは早稲田大学に限ったことではないはず。

 

後発先進国日本における文学受容、歴史や哲学への軽視ないしは微妙な嘲笑まで、率直に感じることがあります。

 そういう情けない軽佻浮薄の開き直りにすぎないわけで、21世紀のグローバル社会で、現実には、文学も、歴史も、哲学も、本当にトップの大学では厳密に水準を問われる学術にほかなりません。

 米コロンビア大学でも英オックスフォード大学でも、同じことを言ったり開き直ったりすることを考えてみてください。率直に申して、かなり情けない、恥ずかしい話です。

二言目には英米の一流大学をだしてきて、海外の大学を基準にしないと語れないほうが恥ずかしいと思ってしまう。

 

 私が12年前の「日経ビジネスオンライン」連載以来、一貫して経済コラムを記しながら、地味な手仕事でマクロやファイナンスの第2専攻を自分の研究室で続けてきたのは、すべて父の無念のあだ討ちという個人的な動機があります。

 

村上春樹への怒りもこの「あだ討ち」の一貫?という印象を受けてしまうのですが。