なぜマレーシア人には「語学の天才」が多いのか
http://www.malaysia-magazine.com/news/36778.html
もしこの観察が正しいならば、多言語習得能力について「文化的淘汰」と呼ばれるものが、働いている可能性がある。「淘汰」とは進化生物学の用語で、自然環境に適応できるものだけが生き残って子孫を増やせるという論理である。簡単に言えば、それと同じように、文化的な環境によっても「淘汰」が起こるという考えが、文化的淘汰である。
つまり、昔から世界の貿易拠点だったマレーシアでは、文化的に多言語を話せる人の方が生き残りやすかったというメカニズムが働いていたのかもしれない。
同じことはヨーロッパに行っても感じる。地域差こそあれ、ヨーロッパ人は2-3か国語話せる人が多い。もちろん、それぞれの言語が構造的に似ているという要因もあるが、それならばアメリカ人ももっとたくさん言語が話せてしかるべきだ。
文化的淘汰という言葉を厳密にどういう意味で使っているかイマイチわからないのだが、「淘汰」がおこった結果、ヨーロッパやマレーシアでは「言語習得能力が高い」人が多くなっているのでは、という事を言っている。
が、マレーシアやヨーロッパでは単に必要性がたかいだけ、ヨーロッパでもその必要性が高いからという単純な理由としか思えない。アメリカでは複数言語を喋る人がいないのは単に必要が無いからではないだろうか。
いずれにしても議論の流れとしても「それならばアメリカ人ももっとたくさん言語が話せてしかるべき」というのは明らかにおかしい。仮に潜在的に言語習得に対する天賦の才能をもっていたとしても必要が無ければ外国語など学ばないのだから。