古(いにしえ)の戦車小隊 | 軍曹!時間だ!…

古(いにしえ)の戦車小隊

昔の写真で戦車の乗員編成をちょっと紹介する

 

小隊検閲時の記念写真だ。

1981年初夏と記憶している。私は演習後、初級機甲整備教育のため機甲教育隊へと旅立った・・・。

最前列向かって左から

小隊長、小隊陸曹、第2車車長、操縦手(3)

二列目向かって左から

砲手(1)、砲手(3)、砲手(2)、操縦手(1)

最後列向かって左から

操縦手(2)、装填手(1)、装填手(3)、装填手(2)

 

各乗員の()は(1)が第1車である小隊長車乗員、(2)が第2車乗員、(3)小隊陸曹車である第3車の乗員だ。編制上は4両で1個戦車小隊なのだが、当時は乗員の定数割れが常態だったので1両欠の3両編成となっている。

 

定位に並んだ小隊長車の戦車乗員

向かって左から

車長(小隊長)、砲手、操縦手、装填手

階級は3尉、3曹、士長、1士であり、個人装備火器は車長が11.4mm拳銃(M1911コルトガバメント)、砲手、操縦手が11.4mm短機関銃(M3A1グリースガン)、装填手が64式小銃だ。

 

当時、我が戦車中隊は3個小隊編制であり、第1小隊長には防大卒の若い新任幹部が配置され、第2小隊長が部内幹候や3尉候などの古手(年寄り)の幹部、第3小隊長には准尉もしくは上級陸曹(当時は曹長の階級が無かった)が配置されていたが、第3小隊はほぼ編成できない状態だった。

私が中隊配属当時は第3小隊がM41戦車の編成であり、当初は第3小隊の装填手として配置された。最初の任務が徹甲弾(実弾)の装填だった。

61式戦車で教育を受けたのにM41戦車の乗員に配置されたのは「タバコを吸わないから」という理由だったようだ。

ガソリン車だからな。

 

10数年後、小隊長は第1戦車大隊の大隊幕僚になっていた

写真は1991年10月(日にちは忘れた)中央パレード(中央観閲式)において大隊幕僚車の車長を務める元小隊長

ちなみに、この90式戦車は三菱重工相模原工場から朝霞訓練場へ直納された3両の初回納入車の1両であり、重工の御厚意でパレード用塗装になっている(迷彩の境目がスプレー吹きっぱなしのボカシではなくクッキリと分けた塗装がなされている)

納入部隊は戦車教導隊だが、観閲戦車部隊指揮官は第1戦車大隊長なので大隊長車及び幕僚車の3両の操縦手は戦車教導隊員だ。