戦車今昔物語(その1) 4. 揺りかご時代苦心の数々
4. 揺りかご時代苦心の数々
さて、研究には着手したものの何分にも我が国では初めての事であり、戦車に関する知識が全くないので、その運用の事でも、戦闘法でも、技術上の事でも、制度に関する事でも、ほとんどど外国の書物を参考とするより仕方がなかったのである。
それでまず、それらを頼りにして、何より第一に実地研究によって戦車というものの各種の性能を知る事が最も重要であると考え、その運動能力、戦闘法、射撃法、指揮連絡法、歩兵との協同戦闘及び対戦車戦闘法など、およそ戦車戦術及び戦闘に関する基礎的研究資料となるものは概ね研究した様に思う。
運動性に就いては、各種の地形地物及び障害の通過力、走破力においてほとんど考え得ることは可能性の範囲において研究したと思う。又この牛歩式戦車で三泊行軍(内一日は夜行軍)を実施し、その結果、部隊行進は時速三キロ、一日の行程は約二十キロであれば数日間の連日行軍に堪え、一日の整備の後であれば充分戦闘に参加し得る能力があることを知った。(これはルノー戦車であってA型戦車では時速四キロは可能)。現在、各国の戦車が時速四、五十キロ、一日の行程が二百キロに及ぶ事に比べると、実に隔世の感がする。
射撃に関しては、行進、停止、躍進各種の射法について研究したが、特に前にも述べた通り、A型戦車に装備してあるヴィッカース軽機関銃の弾薬があったので不充分ながら実験射撃が出来て、だいたいの射撃効力を判定することが出来た。
また、幸いにもA型戦車の鋼板があったので、それと大阪工廠製鋼板に対する平射歩兵砲弾の侵徹力に関する射撃試験を各種の距離と角度で行ったが、A型鋼板に対しては弾丸が当たった瞬間に破裂して一つも貫かなかったので、更に弾頭に二重焼入れを施したところ難なく貫いた。また、大阪工廠製鋼板は堅いばかりで靭性がなかったため、鋼板が破れてしまった。
砲兵及び歩兵砲による機動中の戦車に対する実験射撃は、模型戦車を利用し野戦砲兵学校とも協同して各種の条件において実施した。その後、英国の砲兵学校で戦車に対する射撃実施を見学した事があるが、馬で模型戦車を牽引し各種のジグザグ機動を行ない、これに対する射撃実施を見て、その簡単にして巧妙なのに感心して報告を提出したことがある。
戦車の戦闘法、指揮連絡法、歩兵との協同戦闘並びに対戦車戦闘法等は最も主要なる事項として単車及小隊について絶えず実地の研究を重ねた。これらは歩兵学校だから常にその機会に恵まれた訳である。
その他、戦車の音響の到達する距離、夜間接敵、偽装、戦車兵衛生等においても研究を行った。
以上の研究は戦車隊創設後も相当に役立ったことはもちろんである。これらの研究記事は歩兵学校か戦車学校に、今なお残っているのではなかろうか。また、当時の研究部月報には常に掲載したから、もし残っていればわかる。
この様な実地研究を基礎とし、外国における研究及び戦史などを参考とし、更に図上及び現地の戦術研究等を行い、その結果を我が国の戦術原則に当てはめて戦車戦術に関する基礎研究を行ったのである。
また、実地の研究に使った戦車は旧式であったが、その頃すでに英国では高速度戦車が現出し、戦車運用上に新紀元を画しつつあったので、その情勢に遅れないように新式戦車についての机上研究だけは続けていた。それで大正十年に陸軍大学校の課外講義として三回にわたり戦車戦術ならびに戦史を話した際にも、その頃すでに新式戦車の運用を加味して述べたものである。
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