防衛技術ジャーナル2009年6月号
防衛技術ジャーナル2009年6月号
短期連載ということで掲載されていた
「火薬の歴史的大爆発事故の教訓に学ぶ」が完結
今までは外国での例だったが、最終話は戦後間も無い福岡県で起こった事例。
終戦からわずか3ヵ月後の11月12日夕刻
福岡県田川郡添田町において、旧軍が臨時火薬庫として使用していた二又トンネルという鉄道トンネルが大爆発し、死者147人、負傷者149人という大事故の話
死者の中にはトンネル上の山にドングリ拾いに来ていた小学生29名が、山ごと吹き飛ばされてしまうという悲惨な爆発事故である。
戦後の混乱期との事もありほとんど知られていないとのことで、自分も火薬・爆薬の取扱などの教育を受けたが、国内でこの様な事故があったのは初見だった。
火薬の焼却処分は進駐軍(米軍)指示の元実施されており、本来くすぶった様に煙を出して燃え尽きる訳だった。
焼却処分を受けた火薬は砲弾等の発射薬として一般的に使われる「無煙火薬」という物だが、半密閉された状態だと「無輝炎燃焼」と呼ばれる炎を発しない燃焼をするようで、付近住民等にも爆発の危険はないと知らされていたようである。
しかし、燃焼の際に発生する煙は可燃性ガスで、空気中に何らかの点火源があると容易に着火してしまう。
事故原因は、トンネル内の火薬を焼却処分してた際にトンネル口から出ていた煙に近くの民家の夕食準備等の火が引火し、結果として残りの火薬が爆発したようだ。
実際、同じ日に近くの別のトンネルでも焼却処分を実施したのだが、このトンネルでは40数日間トンネルから発煙していただけで焼却処分が終了している。
このトンネルは付近に火元となる民家等が存在しなかったのが成功した理由のようである。
自分は装薬の焼却処分の実技教育の時に、装薬の激しい燃焼様相を経験しているので、この様な多量の焼却処分を行うなんて思ってもみなかった。
あらためて危険物を扱う際の危険予測を的確に行うことの重要さを知ると共に、犠牲になった方々の冥福を祈ります。