東京地下鉄道の経営戦略と日本初のエスカレーター
昭和2年、浅草~上野で開業した東京地下鉄道(東京メトロ銀座線)は、引き続き上野から新橋へ向けて建設を進めて行くのですが、昭和5年に万世橋仮駅、翌年の神田まで開業した頃から、バスや市電(都電)との競争から、利用率は伸び悩む一方でした。
銀座線の10銭均一運賃に対して市電は7銭均一、バスは1区間5銭と圧倒的に安い訳で勝負になりませんよね。
そこで地下鉄の産みの親である東京地下鉄道常務取締役の早川徳次は、あの手この手の増収作戦を始めます。
10銭均一料金は止めて、4駅まで5銭、5駅目から10銭という区間制に改めました。
例えば浅草から乗った場合、上野広小路までは5銭、末広町から日本橋までが10銭となります。
そして上野広小路で松坂屋、三越前で三越、日本橋で高島屋と白木屋(東急百貨店)、銀座で松屋の各デパ地下に直結するように改札口を設置して利用者を呼び込む作戦に出ました。
改札口=デパ地下は、浅草~上野の建設現場を視察に来ていた三井(住友)銀行頭取の池田成彬が話を持ち掛けた所、三越側からウチが金出すから是非となって誕生した駅で、日本初のエスカレーターまで設置されました。
これがきっかけで口火を切ったように各デパート側から金出すから駅を作ってくれと要請されて次々に開業していくことになります。
向こうが金出すと言って来てる訳なので、東京地下鉄道側からすれば渡りに舟な美味しい話ですよね。
昭和7年の日本橋までの開業に合わせて東京地下鉄道は上野広小路~日本橋(のちに上野広小路~銀座)が乗り降り自由な「デパート巡り乗車券」という企画切符を発売して乗客を呼び込み、さらに回数券を景品付きで発売、定期券購入客に夕刊タダ券を配るサービスまでやらかしました。
これで終わらない東京地下鉄道は駅ナカビジネスに乗り出し、上野、神田須田町、日本橋室町などに「地下鉄ストアー」と呼ばれる衣料、日用雑貨、食料品などを扱う地下街(スーパー)を開いて小売り事業を展開していくことになります。
現在、銀座線は東京メトロのドル箱路線ですが、東京地下鉄道時代からの経営戦略が功を奏した結果ですね。
銀座線の10銭均一運賃に対して市電は7銭均一、バスは1区間5銭と圧倒的に安い訳で勝負になりませんよね。
そこで地下鉄の産みの親である東京地下鉄道常務取締役の早川徳次は、あの手この手の増収作戦を始めます。
10銭均一料金は止めて、4駅まで5銭、5駅目から10銭という区間制に改めました。
例えば浅草から乗った場合、上野広小路までは5銭、末広町から日本橋までが10銭となります。
そして上野広小路で松坂屋、三越前で三越、日本橋で高島屋と白木屋(東急百貨店)、銀座で松屋の各デパ地下に直結するように改札口を設置して利用者を呼び込む作戦に出ました。
改札口=デパ地下は、浅草~上野の建設現場を視察に来ていた三井(住友)銀行頭取の池田成彬が話を持ち掛けた所、三越側からウチが金出すから是非となって誕生した駅で、日本初のエスカレーターまで設置されました。
これがきっかけで口火を切ったように各デパート側から金出すから駅を作ってくれと要請されて次々に開業していくことになります。
向こうが金出すと言って来てる訳なので、東京地下鉄道側からすれば渡りに舟な美味しい話ですよね。
昭和7年の日本橋までの開業に合わせて東京地下鉄道は上野広小路~日本橋(のちに上野広小路~銀座)が乗り降り自由な「デパート巡り乗車券」という企画切符を発売して乗客を呼び込み、さらに回数券を景品付きで発売、定期券購入客に夕刊タダ券を配るサービスまでやらかしました。
これで終わらない東京地下鉄道は駅ナカビジネスに乗り出し、上野、神田須田町、日本橋室町などに「地下鉄ストアー」と呼ばれる衣料、日用雑貨、食料品などを扱う地下街(スーパー)を開いて小売り事業を展開していくことになります。
現在、銀座線は東京メトロのドル箱路線ですが、東京地下鉄道時代からの経営戦略が功を奏した結果ですね。

