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「
新発見や大ニュース、あるいは複雑な事象が起こると、メディアなどで、しばしば専門家の解釈が添えられることがあります。
前回のコラムで、
問題が困難で曖昧なときほど、人は無意識のうちに焦りや恐怖感を覚えてしまい、
知識豊富で信頼できると思われる専門家に頼ることで、それらを解消しようとする傾向がある
ことに触れました。
これは、
いったん情報を入手したら、専門家が言っているのだから正しいのだとついつい思い込んでしまう
ため、実にやっかいです。
批判的思考力(クリティカルシンキング)が低下したり、重要な意思決定の場でネガティブに作用したりするため、
深刻な認知バイアスとして知られています。
「専門家に頼ってしまうこと」
の危険性は、2つの要素に分解できます。
ひとつは、専門家が自分の直感を無意識のうちに過信して予測をしてしまうこと、
もうひとつは、聞く側も安易にそれを信じてしまうことです。
ということで、この専門家自身に起因するものと、解釈を受け取る側の、2つの視点から、危険性について考えていきます。
」
「保険外交員」も「専門家」なのです。
「パム」がお客様から「保障内容の丸投げ」をされた時は緊張感と共に恐怖心も感じました。
「
医師や棋士の直感は信用に足る
まず、専門家自身に起因する危険要素、言い換えれば
「専門家でも間違うことがある」
というリスクについてです。
医師、警察官、アートの鑑定士など、その道の専門家の直感は、どれだけ信頼できるのでしょうか。
ノーベル経済学受賞者でもあり行動経済学者のダニエル・カーネマンは、
科学的な実験結果を実施し、専門家の直感を信じても良いときの条件として、次のことを結論づけました。
それは、 専門家が働く現場が予測可能な規則性(訓練で学べるもの)を備えた環境であることです。
つまり、直感は実体験を通して習得できるものの、それが的確に通用するのは、ある程度規則性をもつ環境に限られるというわけです。
複雑とはいえ、規則性のある環境を相手にする医師やチェスや将棋のエキスパートなどの直感は、ある程度信用するに足るというわけです。
一方、ほとんど予測不能で変動性の高い環境のなかで仕事をする専門家、
例えばファンドマネージャーや政治評論家は、その直感は、残念ながら信頼できない、とカーネマンは結論づけます。
どれほど経験を積んだ専門家でも、変化が多く予測不能な環境下では、その直感は多様なバイアスに歪められてしまいます。
その上でカーネマンは、専門家であっても、不確実性の環境では直感に頼らず、
チェックリストを活用する(アルゴリズムに基づく)ことで、直感がバイアスに左右されないように注意する必要があるとしています。
」
・・・・・・「棋士」は置いときます。
「医師」は「商売」でやっているんですよね。
まず、「医師」と「患者」の間では、保有している情報量に落差がある点に注目する必要があります。
これを「情報の非対象性」と言います。
つまり、その気になれば、「医師」は「患者」をコントロールできてしまうのです。
「
「仮説」であることを忘れるな
次に、専門家の解釈を受け取る側のリスクや、それを緩和するにはどんなことができるのか考えてみます。
専門家が一般の聴衆に向けて、
「これはこうである」
と断定的すると、人はどうしてもそれを信じてしまいがちです。
そして解釈がそれ以上先に進まず、他の疑問との整合性がとれなくなって、混乱することにつながってしまいます。
専門家の「仮説」にすぎない提言を、「真実」だと判断してしまい、そこから歯車が噛み合わなくなってしまうからです。
それを回避するにあたり、まず念頭に置いておきたいのが、
科学者のなかの常識といわれる「サイエンスの法則」で、
知識は推測にすぎず、絶対的な真実は決して存在しない、
ということです。
Epistemology(認識論)にもとづき、エビデンスは常に発展途上であり、
専門家(科学者)は、仮説を様々な実験を通して検証していくことで、徐々に確立した知識をつくり上げていくのです。
そのプロセスにおいて、他の専門家からの賛成を得られることは不可欠です。
しかしこうしてつくり上げられた知識も、科学者のあいだでは、
あくまでも
「正しい」
と断定されるわけでなく、
「反証(否定)できるに足らない」
として扱われるのが一般的です。
しかし、この原則は重要であると同時に、科学者であっても無意識に忘れる危険性を含んでいます。
「確証バイアス」という、人間が最も陥りがちな認知バイアスは、
仮説を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視あるいは軽視する傾向があることが知られています。
さらに、似たような考え方をもった専門家同士が集まると、その傾向は無意識のうちに強まります。
「あの専門家が承認したのだから、信頼できるだろう」
という判断が働いてしまうからです。
そして、複数から同意を得られると、これは信頼に足るものだろう、というコンセンサスに陥ってしまうのです。
たとえば、スペイン・マドリッドで起こった爆破テロ事件で、DNA鑑定を行ったにもかかわらず、
米国人弁護士がテロ実行犯だと誤って実刑判決を受けたことは顕著な例でしょう。
FBIや科学捜索班の専門家たちが、犯行現場から採集したエビデンスをもとに犯人を特定した結果、
米国でイスラム系の妻を持ち、イスラム教に改宗した弁護士を、本人がスペインに行ってもいないのに、犯人だと断定してしまいました。
これは、犯行現場を調査した科学者たちの確証バイアスや、様々なステレオタイプ(偏見)が複雑に絡み合った誤判断だということが判明し、
結局、米国政府は、のちに弁護士に示談金として約2億円を支払い、謝罪しました。
これほど深刻な判断をすることはないかもしれませんが、
何事も解釈をするとき、絶対的な真実は存在せず、
仮説は継続的に積み重ねられて信頼に足るものになっていくという原則を理解しているのといないのでは、
導き出される結果に違いが出るのは確かです。
職業に限らず、誰もが何かしら専門性を持っているとすれば、
専門外である周囲の意見にも耳を傾け、自分の偏った見方を、客観視するということが重要なのではないでしょうか。
またアドバイスをする際にも、自分が正しいと思いすぎず、謙虚さを保つことも大事なのかもしれません。
」
「専門家」の正体は「保有している情報量が膨大である」だけです。
その気になれば「素人」でも「専門家」を超える事は可能です。