2018/12/29 【歴史】フランス外人部隊最大の激戦!ディエンビエンフーの戦い | パムのてきとーブログ

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仏領インドシナ

第二次世界大戦が勃発し、フランスがドイツに敗れると、
フランスの植民地であった仏領インドシナ(ベトナム)には、日本軍が進駐することになった。

その後、大戦中にはフランス軍と日本軍による共同統治という奇妙な構図が出来上がったが、
日本が戦争に敗れるとベトミン(ベトナム独立盟会)を結成して独立運動を展開していたホー・チ・ミンがベトナム民主共和国の独立を宣言。

1945年9月のことであった。

しかし、フランスはこれを認めず、再びインドシナを支配しようと軍隊を派遣する。
これに対し、ホー・チ・ミンは独立のための武力闘争を開始した。

50万の将兵を率いるフランスのインドシナ派遣軍総司令官ナヴァール将軍は、火砲や航空機を総動員してベトミンを掃討しようとした。
だが、中国共産党の支援を受けたベトミンは農村や山林に潜み、ゲリラ戦を展開してフランス軍を苦しめる。
そうしたベトミンの抵抗もあってインドシナでの戦いは長期化し、疲弊したフランス軍はこの戦いの落としどころを模索し始めていた。

この時、ベトナムに残留した旧日本軍の兵士の一部が「ベトミン」に協力しました。




フランス軍の戦力

フランス軍の編成の中核は外人部隊によるものだった。

精鋭の
 第1外人落下傘連隊、
同じく
 第2外人落下傘連隊、
 第2外人歩兵連隊、
 第3外人歩兵連隊、
 第13外人準旅団、
その他
 歩兵17個大隊、
 砲兵3個大隊、
計1万6千にも及ぶ兵力が投入された。
17個歩兵大隊中、7個大隊が外人部隊という計算になる。

この時期、フランス外人部隊には多くの志願者が集まっていた。
本国で入隊した兵士の多くがドイツ国防軍や武装親衛隊出身であり、中には部隊ごと志願したケースも見られる。

フランス本国では戦後の疲弊により、自国軍だけではこの難局を乗り越えられないことから、
身分さえ偽ればかつての敵国だったドイツ軍やイタリア軍の元兵士も公然の秘密として入隊を認めていた。

仏印進駐によりインドシナに残った日本兵も現地採用され、陣地では
 「今度の戦争はイタリア抜きで、ドイツと日本で戦おう!」
というジョークが飛び交い、ディエンビエンフーの戦場にはナチス・ドイツの軍歌が鳴り響いていたという。

https://www.youtube.com/watch?v=WNZG5HjjVjA

このように士気も高く、実戦経験豊富な兵士が集う外人部隊だったが、装備の面では貧弱で、
歩兵の小銃の多くはアメリカ軍から供与されたM1カービン、M2カービン、
戦車もアメリカ軍のM24軽戦車と戦後の余剰品を回してもらう状態であった。
国産のMAT-49サブマシンガンが広く供給されたのは後のアルジェリア紛争になる。

そして、フランス軍に協力した旧日本軍兵士もいます。
そして、旧ナチス・ドイツの一部もフランス軍に協力していました。

このフランス軍には、旧日本陸軍の「一式戦闘機」を運用する部隊もありました。

この地域の「第一次インドシナ戦争」を良く良く考えたら、カオス過ぎますね