https://diamond.jp/articles/-/84419
「
今の日本には、学歴で個人を評価することに対して「時代遅れ」という風潮がある。
しかし、表には出にくくなっても、
他者の学歴に対する興味や差別意識、
自分の学歴に対する優越感、劣等感
などは、今も昔も変わらずに人々の中に根付いている。
」
「早大卒フリーター中年」の「パム」もこの「学歴」の暗黒面を肌で感じています。
「
先月、東京大学地震研究所の准教授だった都司嘉宣(つじ・よしのぶ)さん(68)
(現在、深田地質研究所客員研究員)
を取材したとき、こんなことを語られていた。
「どこの学校をどのような成績で卒業した、ということは、その後社会人になってから、大きな影響を与えるものではないと私は思います。
私は人をみるとき、学歴は一切、無視します。
研究者の力を判断するときも、論文や学会などでの活躍だけに興味がわきます」
�
筆者もその通りだと思う。
しかし、企業社会を二十数年取材していると、学歴にいつまでもしがみつく人たちがいることもまた、事実なのである。
中には、
「高学歴でもなかなか認められない」
と嘆く人も多い。
その姿は、どこか哀れで悲しみを誘う。
その一例を挙げたい。
2010年の暮れ、筆者はある忘年会に参加した。
主に出版界などで仕事をするフリーライターやフリーの編集者、デザイナーなどが集う場だった。
30人ほどの中で、テーブルの隅に、異様に盛り上がっている女性3人がいた。
筆者はその横に座っていた。
3人は互いに最終学歴を名乗り合い、権威を確かめ合うような挨拶をする。
彼女たちの最終学歴は、
北海道大学文学部大学院修士、
上智大学文学部大学院修士、
早稲田大学第一文学部大学院修士
だった。
平均年齢は30代後半。
現在の仕事の話をすることはほとんどなく、出版社で働く編集者の人事について盛り上がる。
彼女たちが一緒に仕事をしている編集者たちだ。
忘年会よりも数ヵ月前の9月~11月、いくつかの出版社で人事異動や昇格が発表されたのだという。
女性たちは自らの思いを伝えようと、上半身を前のめりにするほどだった。
「(出版社に勤務する編集者が)人事異動を命じられて、その場で“はい”と返事をするのは甘えじゃない?」
「編集者は、自分(の考え)を持っていないよね」
「(編集者は)主体性がない!」
「(編集者は)自分を持たないと!�2本の足で立って生きないと!�プライドを持つべき!」
「どこの大学を出ているのかな?」
「立教とか明治ならば、編集長なんかなれないよ」
「早稲田は、今は局長になるのは無理」
「あの人は東大?�局長はともかく、役員は無理じゃない?」
「私たちみたいな(大学)院を出ている人なんて、あのクラスにはいないよ」
「今は、院ぐらいは出ていないとね」
こんなやりとりが、その後も延々と続いた。
筆者は疑問が尽きなかった。
そもそも、出版社に勤務する編集者が人事異動を受け入れることがなぜ、
「自分を持っていない」
ことになるのか。
「主体性」「プライド」とは、こんな文脈で使う言葉なのだろうか。
ましてや「学歴」などということが関係あるのだろうか。
そもそも、生活を夫に養ってもらいながら、著者として本を1冊も書いたことがないこの女性たちに、そんなことを語る資格があるのだろうか——。
3人は高学歴かもしれないが、実際フリーライターとしての実績は限りなくゼロに近い。
それだけに、理解ができぬものだった。
」
「パム」もこんな経験がありました。
「パム」がある職場にいた時の事です。
ある先輩職員が、内勤社員(大卒正社員)に向かってこんな事を言っていました。
先輩職員:「い~な~!
○○さん(内勤社員)みたいな高学歴って、一生、良い暮らしができるんでしょ~!?
高学歴ってだけで仕事ができるんだもん!
うらやましいなぁ~!」
パム :(ニヤニヤしながら座っている)※先輩職員と同じ雇用で仕事をしている。
内勤社員:「パムさん、何、ニヤニヤしているんですか?(笑)」
※内勤社員はパムの学歴を知っている。
パム :「(先輩職員に向かって)私、早稲田卒業なんですけどぉ・・・・・・」
※「学歴だけ」なら内勤社員より上なのです。
「
早稲田卒の同期をバカにする一橋出身の負け組コンサルタント
もう1つの事例を紹介しよう。
2011年、一橋大学(学部は不明)を卒業した40代半ばの男性を取材した。
男性は、十数年前から経営コンサルタントをしている。
その前は、大手メーカーなどに勤務していた。
その頃の話になると、男性は同期の人たちを徹底的にけなした。
「早稲田を卒業した連中のほとんどは、部長になるのが精一杯。
それも部長とはいえ、出世コースから外れた部長でしかない。
本部長、役員になるコースは東大か、一橋出身」
「早稲田の連中と今会うと、多くは白髪が目立ったり、禿げている。
会社員は本当にみじめだね」
確かに同期生には、早稲田大学卒の社員が比較的多かったようだ。
仮にその会社で東大卒と早稲田卒の社員の昇格に大きな差があったとしても、それがこの男性に何の関係があるのだろうか。
「髪の毛が薄くてみじめ」
だと言うならば、この男性もまた、額の生え際は禿げ上がっている。
自分自身もみじめではないか。
彼ははるか前に退職し、小さな会社に勤務し、そこも退職した。
コンサルティング会社に移ったものの、1年で退職し、数年前からフリーのコンサルタントをしている。
残念ながら、大活躍するレベルにはいたっていない。
40代半ばという年齢を考えると、前途は厳しいかもしれない。
その意味で、不満を感じているようだった。
「一橋を卒業している自分がなぜ、認められないのか」
と言いたいように私には見えた。
童話に出てくる子どものように、疑いのない表情で真剣に、かつての同期生をけなしていた。
胸には抑えることができない焦りや、自分を認めない世の中に対する復讐心があるように思えた。
一方で、言いようのない空しさに打ちひしがれているようだった。
今50歳を前に冷静に見渡すと、復讐の牙で噛む相手もいないし、闘う場すら与えられえていないのが現状だ。
言いようのない空しさに打ちひしがれているようだった。
」
「パム」がある高齢者の先輩職員と雑談していた時の事です。
高齢先輩職員:「パム!お前はどこを出ているんだ?」
パム :「早稲田です。」
高齢先輩職員:「早稲田ならば、○○社では出世コースじゃねぇか!お前、こんなトコで何やってるんだ!?」
パム :「私はもう40歳過ぎているんですよ!?そんなん言わんといてください!」
35歳過ぎた辺りから、もう、「学歴を活かした出世」とか諦めちゃっているんですよ。
そこにしがみつく方がみっともないです。
「
「会社員」を徹底的にこきおろす高学歴な負け組たちの6つの共通点
前述した3人の女性たちとコンサルタントの男性には、いくつかの共通点がある。
(1)超高学歴である(全員が名門大学の修士課程修了)
(2)学部卒でいったん卒業し、会社員になるが、数年で退職・就職を繰り返し、30歳前で3~4つの会社に籍を置いた経験を持つ
(3)そのいずれの会社でも、さしたる実績を残していない
(4)会社員を辞めて、社会人として大学院の修士課程に進む
(5)修士号を得て、また社会に戻るが、大きな活躍ができない。めぼしい実績もない
(6)「母校」を愛するが、大学教授などとして迎えられることはない
この(1)~(6)に加え、会社員を徹底して否定することも共通項と言えよう。
冒頭で述べたように、本連載では、このようなトリッキーな言動をとる人たちを「学歴病」と捉えることとする。
」
「パム」は「卒業前後の自分の気持ち」に向き合った結果、この「学歴病」にはなりませんでした。
30歳が見えた辺りから、学歴を気にしているようじゃ仕事ができない事に気づき始めてまして、
今じゃ、「学歴」なんて「飾り」だとしか思っていません。
「
高学歴者が“潜在的な能力”を持つと“想定”する日本企業の能力観
岩田氏はこう論を進める。
「わが国では、一流大学の卒業生達は、その“就職戦線”において、他の卒業生よりはかなり有利な立場に立っている。
このことは、彼らが、“実力”において他に抜きんでているからではない。
むしろ、これは、彼らがよりすぐれた“潜在的な能力”をもっていると“想定”されるからであり、
入社後の長期にわたる訓練の結果、次第にその“能力”を発揮すると期待されているからである」(151ページより抜粋)
岩田氏の指摘を踏まえると、前述した4人の超高学歴な人たちは、
それぞれが経験した20~30年前の大学受験という競争では、“勝利者”だったと言える。
そして、就職戦線では“潜在的な能力”を持っていると“想定”された。
ところが会社に入り、一定の月日が過ぎると、その想定は誤りだった可能性がある。
4人とも、実績を残すことなく、明確な理由もなく、数年で転職を繰り返した。
30歳前で、その数は3~4つになった。
その転職の流れやキャリアに一貫したものがない。
こうなると、通常はキャリアダウンであり、労働市場においての価値は著しく下がって行く。
」
「パム」の場合は「フリーター」から社会人生活をスタートしていますので、その時点で「労働市場に於ける価値」は下がっています(笑)
「
一方で、4人の同世代の会社員の中には、30代前半~後半で早々と課長、部長などに昇進した人もいたはずである。
その中には、4人よりも難易度の低い大学を卒業した人も少なからずいるだろう。
岩田氏の言葉を借りれば、
「“能力”を発揮すると期待されていない人」
が、
「潜在的によりすぐれた一般的能力を賦与されていて、いかなる領域においてもすぐれた力を発揮する人」
をはるかに追い抜かしてしまったのである。
4人は、この現実を素直に受け入れることができないのではないか、
と筆者は思う。
だからこそ、
「自分を持っていない」
「彼は、早稲田しか出ていない」
「白髪が……禿げ頭で……」
などと、他人をこきおろすのではないだろうか。
前述の能力観をベースにして考えると、4人は拭い去れない劣等感を持っている可能性がある。
それは言い換えると、「恐怖心」なのではないか。
自分が
「実は潜在的な能力が低い人」
とレッテルを貼られることに怯え、ささやかなプライドを守るために、会社員をけなし、否定するのではないだろうか。
岩田氏が唱えるような旧態依然とした日本の能力観が、日本の企業社会の隅々に浸透しているがゆえに、
様々な問題が生じることをこの連載では考えたい。
たとえば、新卒の採用方法が時代の変化についていけない理由の1つも、このあたりにあるのではないだろうか。
社内では、職務給や成果主義がフェアな形で浸透していない。
グローバル化が進まない壁の1つも、ここにある。
社内でのいじめやパワハラ、セクハラ、長い労働時間、過労死などが発生する大きな理由も、実はこの能力観にあると筆者は考えている。
」
40歳になったら「出世」とかどーでも良くなりましてねぇ・・・。
「入賞」とか「支社長に出世できる!」とか言われても、ピンと来ませんでした。
プライベートでの知人で、「パムが早大卒である」事に対してやたらつっかかって来る男性がいます。
そして、どういうワケだか、他の「早稲田OB」と関係したりとかしているのです。
そして、「地方国立大医学部OG」と結婚して、「地方国立大医学部は早稲田より偏差値が高い」などと「パム」に言ってきたのです。
「・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・(゜Д゜)ハァ?」
つー事で、ライブ会場でこのご夫婦に対して、ご主人の出身大学である「明治大学」をdisる替え歌をプレゼント致しましたwww
※本来は「ラグビー早明戦」などで早稲田・明治双方による「disり合い」用に使うネタです。