2018/08/03【社会】剛力彩芽が叩かれる背景に、日本人の国民性 | パムのてきとーブログ

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視聴率的に惨敗でも、連ドラ主演に起用され続けることから、
ネット上では「ゴリ推し」などと叩かれてきたタレントの剛力彩芽さんが、またしても壮絶なリンチにあってしまった。

交際を宣言したスタートトゥディの前澤友作社長と同じタイミングで、
ロシアW杯を観戦した写真をInstagramにあげたところ、
 「浮かれすぎ」
 「ファンへの配慮がない」
などとバラエティに富んだ批判が殺到し、結局過去の投稿を「すべて削除」することになった。

ネット民が脊髄反射で石打ちの刑をおっぱじめる「不倫」というわけでもないし、
なにかの法やマナーを犯したわけでもない。
単に、恋人との旅行を楽しんでいただけなのに、
匿名安全エリアから誹謗(ひぼう)中傷を受けるのは、「いじめ」にも通じる陰湿さと言える。

「パム」はテレビを見ないので、「剛力彩芽」さんがどういう芸能人か全く解りませんが、
「インターネット上でイジられている人」と言うイメージがありました。

しかし、ここまで来ると酷すぎますね・・・・・・。
誰が誰と交際しようがその当人同士の自由だと思います。




「日本人の国民性」に問題あり


なぜネットには、他者の粗探しをしては口汚く罵る人が多いのか。
よく耳にする理由として、「それだけ不幸な人が多い」というものがある。

ちょっと前、
ネット上でさまざまな人々に対して誹謗中傷を繰り返したあげく、
有名ブロガーを刺殺した「低脳先生」は42歳で無職だった。
犯行声明のなかで自身のことを「ネット弁慶」と自嘲しているように、
ネットでイキイキと他人を「低脳」呼ばわりしていた一方で、
現実世界では幸せとは言い難い人生を送っていたのである。

親から暴力を受けて育った子どもが、
大人になると我が子への暴力を振るってしまう事例が報告されていることからも分かるように、
「ハラスメント」は連鎖する。
それは「他者攻撃」も同様で、
幹部から厳しい言葉でどう喝された中間管理職が、それに輪をかけた厳しい口調で部下を脅すように、
行き場のない不満や怒りを抱えながらも、それを現実世界で発散することができない「不幸な人」が、
心の均衡を保つため、有名人をサンドバック代わりにしているというのだ。

「パム」はこの「負の連鎖」を目撃しています。
「毒親の子」が「毒親」になっている現場を目撃しているのです。

お子さんが大ファンな芸能人の悪口を、そのお子さんが横にいるのに、延々と話し続けていた時、
「パム」がその芸能人のフォローをしたりして止めようとしたのですが、止まりませんでした・・・・・・。




非常に納得感のある話だが、筆者にはもっと根本的かつ、大きな要因があると思っている。
それは、一言で言ってしまうと「日本人の国民性」だ。

「不幸な人」だけにあてはまる話ではなく、もともと日本人というのは、よその国の人よりも嫉妬深いのである。
つまり、
 他人の粗探しをしては、よってたかってボコボコに叩く、
というネットでよく見かける人たちは、きわめて“日本人らしい日本人”と言えるのだ。

 「ここまで読んだら不快になった、謝罪しろ!」
 「そんなに日本が嫌なら今すぐ日本から出ていけ!」
といった怒りの声が飛んできそうだが、これはなにも筆者がフィーリングで述べたことではない。
お札にもなっているほど、近代日本最大の啓蒙家がそうおっしゃっているのだ。

そう、福沢諭吉である。

日本人は嫉妬深い


学校の授業でも必ず習う「学問のすゝめ」のなかで、
福沢諭吉は人間が生きていくうえでもっとも害となるのは「怨望(えんぼう)」とした。
これは、他人と比べて自分を不満に思い、
自分を高めずに他人を引きずり下ろそうという陰湿な心でここから猜疑や恐怖、卑劣が生じるとした。
要は、「嫉妬」である。

そして、この「怨望」の分かりやすい例として、「大名の御殿女中」をあげた。
ドラマや映画になった『大奥』を思い浮かべていただければ分かるが、
「御殿」のなかで殿様にかわいがられた女中というのは、周囲からすさまじい「いじめ」に合う。
 私よりブスのくせになんであの女が。
 どうせ汚い手をつかって取り入ったのに決まっている。
剛力さんが女性たちからボロカスに言われるのとまったく同じ構造だ。

そして、注目すべきは福沢諭吉がこのような日本人の「怨望カルチャー」を以下のように総括していることだ。

 「試みに英亜諸国の有様と我日本の有様とを比較して、
  その人間の交際において孰かよく彼の御殿の如きを脱したるやと問う者あらば、
  余輩は今の日本を目して全く御殿に異ならずというには非ざれども、
  その境界を去るの遠近を論ずれば、日本はなおこれに近く、英亜諸国はこれを去ること遠しと言わざるを得ず」(岩波文庫 P120)

なんのこっちゃという人のために要約すると、日本人はよその国と比べて嫉妬深いと言っているのだ。

幕末の知識人は、圧倒的な国力の差がある欧米列強に対して、どうすれば日本が飲み込まれないかを必死で思想をめぐらせた。
その切迫感は現代の知識人とは比べものにならない。
そのなかでも「国際派」として知られてた福沢諭吉が、「日本人」をこのように分析していた事実は重い。

 「そんなの福沢諭吉の妄想だろ!
  日本人ほど他人に優してく、寛容な心をもつ民族は世界を見渡してもそういないぞ!」
という怒りの反論が聞こえてきそうだが、
残念ながらそういうセルフイメージは戦争に負けた後、マスコミを中心にしてせっせっとつくりあげてきたもので、
「古き良き日本人」の実像とかけ離れている。

「幕末」とは実は、「日本がどこかの国の植民地になってしまう危機」の時期なのです。

 ・フロンティアから太平洋へ進出しだしたアメリカ、
 ・香港や(現在の)マレーシアを領有したイギリス
 ・インドシナ半島を領有したフランス
 ・シベリアや沿海州を領有したロシア

などなど、欧米の列強諸国が日本に迫っていた時期なのです。
あの「戊辰戦争」でさえ、
 ・討幕派:イギリス
 ・旧幕府:フランス
と、「英仏の植民地獲得戦争の代理戦争」の局面もありました。

すると、この福沢諭吉の指摘もこんな危機感から産まれたとすれば、鋭い指摘だったとも言えます。




例えば、
 ほとんどの日本人は自分たちのことを気が長いと思っている。
 列もきちんで真面目に並ぶし、満員電車も文句を言わずに乗る。
 中国や韓国の人たちのほうが短気で、なにかあればすぐにキレる——
なんてイメージを抱いていることだろう。
だが、ほんの70年前は、「気が長い」「温厚」は中国人の代名詞だった。
では、我々はどう思われていたか。

同調圧力に弱い国民


1919年に出た石橋朝花氏の『紅き血の渦巻』(別所万善堂)のなかには、日本が大好きだという外国人のこんな言葉が掲載されている。

 「されど悲しい哉、日本人に一の欠点あり、そは短気なる事なり、日本人は短気な国民なり」(P96)

また、1938年に出た『青年将校と共に国家を語る』(赤松寛美/春陽堂)には、
「勤勉」「忍耐」「正直」といった平成日本でもよく自画自賛される日本人の美点が並べられている一方で、
最後にこのようなマイナス点が述べられている。

 「我国民は、斯の如き幾多の美質を有するのであるが、若し其欠点を挙げれば、即ち短気なことである」(P105)

この数年、
 「キレやすい高齢者」が増えている、
といったニュースが多いが、それは「日本人は温厚」ということが大前提となっている。
もともと、日本人は急にキレたりしない。
温厚で他人に迷惑などかけない。
にもかかわらず、「キレやすい高齢者」が増えていることは、なにか現代社会がおかしな方向へと進んでいるのではないか——。
こういう危機感がニュースとなって伝えられているのだ。

だが、この大前提が間違っているとしたらどうだろう。

キレる高齢者たちがまだ赤ん坊だったころ、「日本人といえば短気」は自他ともに認める常識だった。
短気な国民が高齢化すれば、「キレやすい高齢者」が増えるのは特に驚くようなニュースではなく、当たり前だ。

そう考えれば「満員電車」や「行列」なども、「気が長いから」という説明は成り立たない。
むしろ、
 キレやすい人がおとなしく満員電車に乗り、黙って行列に並ぶことは、
 その短気さをねじ伏せるだけの、すさまじい「同調圧力」が我々の社会にはある、
という見方になる。

つまり、我々日本人は生来、嫉妬深く、キレやすく、その短気さを押さえ込むほど同調圧力に弱い国民といえるのだ。

「同調圧力に弱い」って指摘は当たっているかもですね。
「日本人は横並び」って言葉を子供の頃から良く聞いてました。

「長いモノに巻かれろ」って事ですねwww




「いじめ」や「他者攻撃」を正当化してきた


そういう国民がネットやSNSというツールを持てば、
  「出る杭」を執拗(しつよう)に叩いたり、「空気を読めない人」を私刑する
 「不謹慎狩り」が始まったりする
のは当然だ。
これが誰かに命じられたものではなく、我々のメンタリティからくるものだということは、歴史が証明している。

例えば、満州事変が起きた年、東京・麻布で行われた反戦運動に対する「私刑」だ。
反戦ビラを街頭に撒(ま)いた人々を叩いたのは、陸軍でも憲兵でもない。
戦後教育では
 「戦争に嫌々つきあわされた」
と描かれる「市民」たちである。

 「付近の住民は時節柄とて憤慨し二、三十名が棍棒や薪を持つて
  『非国民を殴り殺せ』
 と追跡した」(読売新聞 1931年9月21日)

棍棒や薪(まき)が「ネットの誹謗中傷」に代わっただけで、現代日本のネット上でやっていることとほとんど同じではないか。

では、こういう「私刑」や「いじめ」を減らすにはどうすればいいか。
個人的には、
 「格差社会が悪い」
とか
 「安倍政権が悪い」
みたいに、「責任転嫁しやすいもの」へと安直にもっていかないことが、まずは重要なことではないかと考えている。

日本人はこれまでなんやかんやと理由をつけては、
自分たちの
 「嫉妬深くキレやすく、同調圧力に弱い」
という国民性から目を背けて、「いじめ」や「他者攻撃」を正当化してきた。

分かりやすいのが、双子の100歳、「きんさんぎんさん」として一世風靡(ふうび)をした蟹江ぎんさんが体験した「私刑」である。
彼女の一家は女の子ばかりということもあって戦時中、コミニティのなかで陰湿な「いじめ」を受けた。
ぎんさんの四女が以下のように振り返っている。

 「道を歩くだけで、非国民といわれたがね。
  おっかさんも、
   "お前さんとこは女ばかりだで、人手が余っとるやろ"
  と、皆が嫌がる消防団の仕事や婦人会の仕事などを次から次へと押しつけられた」(NEWSポストセブン 2012年1月2日)
 
自分たちの醜い部分を見つめる勇気


当時、ぎんさん一家のような人たちに厳しく当たらない人たちもたくさんいた。
明らかに、このコミニティの人たちに問題があるのだが、明治生まれのぎんさんはそう思わない。

 「そりゃあ、おっかさんも悔しい思いでいっぱいだった。
  地団駄踏みたい気持ちだったが、
   “悪いのはあの人たちでにゃあ。
    戦争だがね”
  といって黙って耐えてござったよ」(NEWSポストセブン 2012年1月2日)

そう考えなければ、やっていられなかったぎんさんの気持ちはよく分かる。
が、残念ながらこの
 「責任転嫁しやすいものへもっていく」
というカルチャーが、問題の本質から目を背けさせている側面もある。

例えば、高級官僚の不正を
 「安倍一強が悪い」
で片付けてしまうと、官僚組織の構造的な問題はなんにも手がつけられない。
しばらくすると忘れられて、同じような不正が繰り返されて、時の政権が叩かれることが戦後70年繰り返されてきた。

「他者攻撃」や「いじめ」もこれとまったく同じ問題が起きている。

 あのときは戦争だったからしょうがない。
 あのときは未曾有の災害だったからしょうがない。
 あのときはまだネット社会にまだ慣れていなかったからしょうがない——。

なんやかんやともっともらしい言い訳をつけて、
 「嫉妬深くキレやすく、同調圧力に弱い」
という自分たちの国民性に向き合わない。

つまり、「日本人」は「嫉妬深くキレやすく、同調圧力に弱い」国民なんですね・・・。
そういや、「東日本大震災」の直後に盛り上がったのが、
 ・ネット右翼による反韓デモ
 ・反原発派による反東電デモ
などがありました。

「パム」は「どっちも似たようなモノだ・・・」って思って、外から見ていました。




凄惨(せいさん)な事件が起きると、「社会」や「時代」を論じるが、本質ではないのでいつもお茶を濁して終わる。
そして、しばらくすると同じような「私刑」や「いじめ」が延々と繰り返されるという悪循環が続いている。

ネットリンチ、ブラック企業、運動部……福沢諭吉が問題視した日本人の「怨望」はまだまだ健在だ。
これを克服するためにも、まずは自分たちの醜い部分をしっかりと見つめる勇気が必要なのではないか。

「日本国民の特徴」を現実的に見るには、
 ・こう見られたい日本国民の姿
ではなくて、
 ・日本国民の醜い部分
 ・日本国民の黒歴史
を直視した上で出てくる、
 ・日本国民の長所
を把握する事だと思います。



左右関係無く「過激派」が言う主張には、実は一点だけ共通する特徴があるんですよ。
 「日本は今、危機的な状況にある!」



<参考>
○剛力彩芽 オフィシャルサイト
http://www.oscarpro.co.jp/talent/goriki/

○剛力彩芽 --Wikipedia--
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%9B%E5%8A%9B%E5%BD%A9%E8%8A%BD