フォローしている人のブログを読んでいたら、あいたいなあ、という気持ちを子どもの頃から持っていたなあと思った。


 中学生の時、テレビから流れてくる化粧品のCMソング「君にあえた、君にあえた。この気持ちをどうしよう。巡り会うと信じていた〜」が好きで、自分もそのCM場面のように橋の上で好きな子に会いたいとよく思っていた。何故か4月1日に会いたくて、5・6年毎年4月1日になると自転車でそこへ出かけて行った。橋が近づいてくると胸がキュンとしてきてCMソングが頭を駆け巡っていた。だが巡り会うことはなかった。そんな偶然は起こるわけがないと思った。


 年齢を重ねて、ある日ふと昔お世話になった人にあってみたいと思った。かなり風貌は変わっているだろうが、あって一言二言言葉を交わしてみたいと思った。同じ県内にいて、同じ職種の仕事についているから調べれば居場所はわかるかもしれないが、そういうことはしたくない。あうことがあるかもしれないと偶然に期待した。偶然は起きないかもしれない。でも思いは通じるかもしれない。既に10年が過ぎていた。だが、その時が来た。ある集会に参加した私は、偶然そこでその人を見かけた。たくさんの人の中にその人はいて、私が話しかけられるような雰囲気ではなかったが、互いに認識することはできた。もうそれだけで胸がいっぱいになった。

 そのとき私は、思いは通じるんだと深く思った。


 あれからもう20年以上が過ぎている。今もあいたい人はいる。今あいたいのは羽生結弦選手だ。公式YouTubeであえるのは楽しい。どこでも見せない自分を出してくれる特別感がある。雑誌でさまざまな表情を見たりコメントを読んだりするのも彼への理解を深めることができて楽しい。

アイスショーで彼の演技を見ていると興奮と感動を覚える。

でも、あったという感覚は薄い。あいたい、あえるだけでいい。そういう日が来るかどうか偶然の起きる確率はないような気がする。でもそういう日が来ることを待っているのが私は好きなのかもしれない。