金曜日にロッテのCMを見た。アッと思っているうちに始まり、画面にしがみつきながら見た。ナレーションは誰だろう。落ち着いた話し方だ。準備という言葉が、羽生選手らしいと感じた。積み重ねたものは残っていく、というフレーズが自分と重ね合わせていると思った。氷上の羽生選手の動きは速い。SEIMEIを滑っているのだろうか。ふと見せた横顔に”yuzu”と叫びたくなった。「報われない準備なんて・・・ない。」という最後の言葉がドンと響いた。そして、顔のアップと立ち去るところ。立ち去ってまた準備を始めるという暗示。

 

 羽生選手は「努力はうそをつく。だけど無駄にはならない。」という名言を2016年ごろに言っている。今回の言葉と同じ意味合いを感じる。サンデーLIVEを見ていて古田さんが「準備もそうだけれど、力強い感じがする。」と言っていた。確かにそうだ。羽生結弦という選手が言うと力強く感じる。それはなぜだ。CM前日の23日の国立競技場で池江璃花子選手が「1年後の今日、この場所で希望の光が輝いてほしいと思います。」と話していた。こうやって闘病してきた池江選手の言葉に希望を感じた。まだオリンピックを経験していない選手に、世界最高の舞台を味わわせたいと思った。そんな選手の気持ちに報いられる舞台を、と思っていたところにこの言葉。池江選手の姿と重なってくる。オリンピックを2度も経験し、頂点を2度も極めた選手がまだ準備を積み重ねている。その準備している姿に自分の限界に挑もうする静かな意気込みを感じ、それが私たちに力強さを感じさせてくれるのだろう。

 

 羽生選手は、「限界のその先」という言葉を使っている。それってどういう事?まだ私には理解できない。羽生選手の準備は一体何を目指すものなのか。次のオリンピックか。それとも自分の理想とする姿か。どこまで自分ができるか、迫れるか、準備しながら自分の目標を決めているというよりも極めていくように感じる。若いときとは違った苦しさや悔しさを噛みしめながら、崇高な思いを抱いて準備をしているのでしょうか。