「目の前の扉を開けないことには、次の扉が見えてこない。
たくさんの扉を開けて、やっと辿り着けることもあるよ。」

 

そう教えてくれた人も、誰かの受け売りだって言ってたけれど。

 


私は多分、中途半端な完璧主義だ。
完璧じゃないとだめだと思っているから、挑戦しない。
それに、無駄なことはやりたくない、成功の近道があるなら絶対そこを通りたいって、いつも思ってる。
その割に、結構ダラダラ生きてる。だから「中途半端」な完璧主義。


これって、仕事のことだけじゃない。
ほんの小さなことも、そうだなぁって気づいてしまった。

 


私は、一眼カメラを持っている。
5年くらい前に買ったもので、スペックはそれほど高くはない。
でも、私にとっては相当奮発して買った物だった。

 

 

それなのに…シャッターを切った回数は、ものすごく少ない。
撮りたいとは思っていた。
撮りたいとは思っていたけど、中途半端な完璧主義が手を止めてしまった。

 

 

「世界の絶景」みたいな画像、野鳥の飛び立つ瞬間にピントがバッチリ決まってる画像、めちゃくちゃおしゃれなカフェの画像を見て…そういう所へ行ったり、素晴らしい被写体に出会わないと、シャッターボタンを押せないような気になってたんだと思う。

 

 

そんなこったで、カメラは5年間ほぼ使われることなく眠ることになる…。

 


休業中、暇を持て余して、久しぶりにカメラを引っ張り出した。
もうすぐ引っ越しだから、記念に自分の部屋を撮る。

 


…撮った写真は、窓からの光のせいで逆光になり、うまく撮れなかった。

そのあと、なんでもいいから撮ってみた。

 


小さな物を近くで撮る際、スマホのカメラとはコツが違うみたいだ…とか、この設定を変えれば、鳥も撮りやすいとか…カメラをやっている人からしたら笑っちゃうことだろうけれど、私にとっては発見だ。

 


ちゃんとやらなくちゃ…と思って、その時やりたいことをやってこなかったな…と思った。

今なんて、やりたいことがなんだったのか忘れてしまったくらい。

 

 

死ぬ前に後悔することとして「やりたいことをやらなかったこと」があるらしい。

たぶん私、このままだとそうなりかねない…!


その時に、ふと思いついたことを面倒くさがらずに、失敗前提でやってみる。それを積み重ねた先に見える扉があるならば、開けてみたいなぁ~って思った。

 

 

 

 

自然系の博物館で働いていた時、学芸員さんに言われたことがある。

 

 

「虫とか、苦手な人もいると思うけれど、子ども達の前で“気持ちわるっ!”とかは…

なるべくね、言葉にしないでくれたらありがたいなぁ。

 

まあ、好き嫌いは誰にでもあるから仕方ない時もあるけど、大人が気持ち悪がっていたり怖がっている姿って、結構子どもは見ちゃってるからね。意外と影響が大きいのよ。」


 

ちょっとドキッとした。私はそんなに虫が得意ではない。
いやむしろ、ちょっと大きい虫が目の前に現れたら、叫んじゃうほど嫌いだったからだ。

 

 

こんなんで観察会とか、アシスタントとしてやっていけないんじゃないか…。

私の博物館生活は前途多難だった。

 


でも、それは杞憂に終わった。
学芸員さんは、捕まえた虫を自分の手に乗せながら、めちゃくちゃ嬉しそうに虫について教えてくれたからだ。

 

 

「この虫は触って大丈夫。
あの虫は触ると、触った所が火傷みたいになるからだめ。」

 


私は影響されやすい人間なのか、身近で虫を捕まえてニッコニコしている人がいると、虫に対してこわい!危険!というのが薄まっていく。
詳しく知れば、なんとなく可愛らしく思えてくる虫も出てきたくらいだ。

 

 

私だって子どもの頃は、カブトムシやクワガタムシを飼っていたこともあったし、カエルがいたら意味もなく素手で捕まえていたし、全然苦手ではなかった。
大人になるにつれ、いつの間にか虫もカエルも苦手になっていった。

 


大人になって、身近にいたなんとなく嫌いだったものが、そんなでもないと分かった時…むしろ面白い…!と思えた時、なんて豊かなんだろう!と感動した。

 

 

この感動を学芸員さんに伝えなくちゃ!と意気込んで話したら、
「僕、生まれた時から虫好きだったからねぇ…。」
と、あんまりピンと来てないみたいだった…。




あれから10年くらいが経つ。
休業中で買い物くらいしか外に出ていなかったけれど、あまりの運動不足のため、散歩に出ることにした。

 

 

テントウムシが葉っぱにいた。
アリが仲間と話しているみたいに見えた。
チョウチョが飛んでいた。シジミチョウの仲間だろうか…。
カメムシが塀にとまってる。あなたって嫌われ者よね。

 

 

あの学芸員さんに会わなかったら、きっと見えなかった世界が広がっている。
あの時、恐怖だった存在が、ちょっとだけ愛らしく見える。

 


こういうことがあるから、私、相変わらず博物館が好きなんだよなぁって思う。

 

 

 

 

 

 

久しぶりに料理をした。
これまでだって休日はあったんだけれど、余裕がなかった。

 

 

田舎に引っ越してきて2年。
私の今までの食生活は、たぶん、酷い。


住んでいる町にはスーパーはないけれど、近くの道の駅には、新鮮な地元野菜が売っている。ただ、仕事帰りの時間には既に閉まっている。

 

だからコンビニで、カット野菜や納豆や牛乳など、食料はそこで調達していた。まじでコンビニありがとう!って感じだ。


休業に入って1週間以上が経って、ちょっと遠出してスーパーに行ったら、ピーマンがたくさん積まれていた。

「世の中は、もう初夏なんですよ!」
って言わんばかりに濃い緑に輝いている。


気づいたら手に取り、カゴの中に入れていた。

 

 

それに、私にしたら何事!レベルなのだけれど、ジャガイモも買った。


一時、糖質制限にはまったことがあってジャガイモは悪!と思っていたこと、それに芽を取って皮をむくって…レベルが高すぎるって思っていたから。
でも、それを考えても美味しそうだった、すごく。

 


家に帰って、料理した。
めんどくさがりだから、ネットで簡単レシピを見つけて、その通りに作る。

 

 

ピーマンはまるごとレンジでチンして、ツナとごま油とめんつゆで味付け。
ジャガイモは新物だったので、皮をむかずに切って豚肉と炒めた。
母がずいぶん前に送ってくれた手作り味噌とイチジクジャムで味付けをした。

 


ピーマンは一口噛むとジュワーっと甘みが広がった。すごく瑞々しい!

ピーマンってこんなに美味しかったっけ!?って感じだ。

ピーマンにはまってしまいそう…!

 

 

ジャガイモの方は新じゃがだけあって、軽く炒めただけなのにホクホクしっとりしている。

久しぶりにジャガイモの香りを感じる。

2年以上ぶりに食べたジャガイモは、本当に美味しかった!

 

 

新鮮だから栄養価が高いのかもしれないけれど、なんていうか、それ以上のエネルギーをもらった気がする…!

 

 



旬のものを、すぐ料理して食べられるって、幸せなことだ。

休業中、せっかく家にいられるのに、心がどこか落ち着かなかった。
もしかしたら、心が不安…なんかじゃなくて、単純に、こういう新鮮な食べ物の栄養が不足していたせいなのかもしれないなぁ。

 

 

 

 

 

死んだ祖父は若い頃、結核を患ったらしい。
手術の痕が残っていて、
「これのせいで徴兵検査に落とされたんだよ。」
なんて、お酒を飲みながら笑って言ってた。

 


祖父の家族は、ある時期にバタバタと亡くなっている。
祖父のお姉さんは結核で亡くなり、流行の早い頃で隔離されてしまったせいか、お墓は家からとても遠い山奥にある。その後に祖父のお母さん、弟2人に妹も亡くなった。
祖父は父と妹の3人家族になった。

 

 

徴兵検査に落とされた祖父は、「隠れて暮らしてたよ。」と言っていた。

戦時中、いい歳の男子が戦争にも行かず家にいる…というのは肩身がかなり狭い身分だったらしい。



「戦争に行っていたら、おじいちゃん身体が弱かったから、生きて戻れなかっただろうなぁ~。」
なんて、よく笑いながら言ってたっけ。

 


祖父と祖母は、当時にしては珍しい恋愛結婚だった。
馴れ初めは、分からずじまい。

 

 

息子である父なら知っているかな~と聞いてみたけれど、
「あ~、聞いておけばよかったなぁ~。」
なんて、今更なことを言う。

 


死んだ祖母は仏壇をとても大切にしていて、私たち孫が遠足やら修学旅行やらでお土産を持って行くと、すぐに仏壇に置いてチーンとやっていた。

 

 

ある時、祖母が仏壇の掃除をしていたので見ていたら、位牌の中身を見せてくれた。
知らなかったのだけれど、祖父の家の位牌の中には何枚も木の板が入っていて、祖母は「これはおじいちゃんのお母さん、弟さん、妹さん…」と教えてくれた。

 


祖母は私たちが賞状をもらった時など、
「お仏壇にも見せてあげてちょうだい。」
と言っていた。


祖母は、祖父の亡くなった家族に見せてあげようとしてたのだろう。
大人になった今なら分かる。



父に“塞翁が馬”って言葉、知ってる?と聞いたことがあった。

すると、父は
「おじいちゃんが結核にならなかったら、戦争に行ってただろうし、そこで死んじゃってたら、おばあちゃんとも出会えず、俺も生まれなかっただろうなぁ~。」
みたいな…答えになってるのか、なってないのか、そんなことを言った。

 


祖父も祖母も亡くなって、ずいぶん経つ。もうすぐ23回忌らしい。
今だから分かることなのだけれど…
お寺の長女として生まれた祖母は、すごく優しくて正義感がある人だった。

結核を患って引きこもっていた、ちょっと弱っちい感じの祖父を好きになったのは祖母の方だったんじゃないのかな。

 

 

そう思ったら、ほんとに人間塞翁が馬だなぁ~って、やっとこの歳になって分かった気がする。

 

 

 

 


【塞翁が馬】:人生の幸不幸は予測できないものだというたとえ。

 

 

 

休業に入ってちょうど1週間になる。
経済的な不安と、ひとり暮らしだから誰にも会えない孤独感があるけれど、家でのんびり過ごせて、ちょっとホッとしている。

 

 

朝はゆっくり起きて、食べたい物を食べて、山に沈む夕日をぼんやり眺める…すごく平和だ。

 

平和すぎて、頭も身体も靄がかかったように鈍くなって、でもまぁいいか…と開き直ろうとしていた時、それは起こった。

 


引っ越し見積もりの相談のため電話を入れたら、なぜか担当のおじさんが怒っていらっしゃった…。
…というか、私の電話を受ける前からご立腹だったと思うんだよなぁ。

 

引っ越し当日に荷物が増えるお客さんがいて困る(怒)!
…えっ?私のこと?…と思って、おじさんの話を聞いていたのだけれど、どうやら私のことじゃないみたい。



結構長い間、おじさんの話を聞いていたのだけれど、要するに…
もう仕事したくない(立腹)!」みたいだった。


おじさんも大変なんだと思う。
でも、これって理不尽な怒りをぶつけられてないか…自分、と思いながら聞いていた。

 

 

おじさんから通常料金の3倍以上の金額を言われた時に、「はっ!ヤバい!」と気づき、それはそれは丁重にお礼を言って断った。
電話を切る手は冷たくなっていて、震えていた。
やっぱり恐かった…。

 


いつもの私なら怒りをぶつけられた時、ものすごくへこむ。
自分を責めて、責めて…自分が死んじゃえばいい!くらいに思ってしまう。
私のメンタルは豆腐なのだ。(よくぞここまで生きてきたもんだ。)

 

 

ただ、今回は違った。
明らかに自分に非がないと思えたし、休業して7日間、たっぷり寝て食べて、心に泉があるならば水が溢れんばかりに潤って、元気になっていた。

 

 

それでも、手が冷たくなって震えていたから、とにかくお風呂に入った。
お風呂に入って身体が温まってきたら、何だか腹が立ってきた。

なんなん!あれ(怒)!
なんで黙って聞いとった!自分!

 

そしてなんだか分からないけれど、お風呂から上がる頃には、ぶわーっと立ち上がるようなやる気が湧いていた。



あの怒りはおじさんの物であって、私の物じゃない。
世の中の人全員が、自分や身近な家族や友人も含めてすべての人が、聖人君子なわけじゃない。
きっと、これからも理不尽な怒りをぶつけたり、ぶつけられたりするだろう。

その度、こわくて震えたり、へこんだり、泣いたりするかもしれないな。

 


それでも、こうやって落ち着けば、自分のことは自分で決められるってこと。

うまく言えないけれど、自分のコントローラーが自分の手に、やっと戻ってきた感じだ。

 

 

休業中だし別にやることないし、私は全然変わっていないけれど、でもコントローラーを自分で持っていると思うと、何だか内側から強くなった気がしてくるから不思議だ。

 

 

自分のコントローラー、今までどこに放って置いたのだろう。

 

 

 

 

その膝にすがりついて泣きたい人。
そんな私の背中を優しくさすってくれる。
聖母のような存在。

 

 

私は30代も半ばだけれど、怖がりなのだ。
すぐ不安になる。
そういう時に、想像する。



優しそうな顔…母のような気もするし、ずいぶん前に亡くなった祖母のような気もする。


その温かい手は…父のような、祖父のような、あの時出会った友人の手のような気もする。

いつもぼんやりとしていて、はっきりしない。


聖母みたいな存在だと思っているけれど、女性なのか男性なのかも分からない。

 

 

その人のそばにいれば、安心して生きていけるのに。
勇気も湧いてきて、色んな挑戦だって出来るだろう。
夜もぐっすり眠れて、朝さわやかな気分で目覚めるだろう。

 


どこにいるのか、どんな顔をしているのか知りたくて、美術館に「聖母子」の絵画を見に行ったりした。

 

 

そういう人間が、現実的に存在しているとは思っていない。
だから、あの人の一瞬見せる表情の中に、書かれた文章の中に、投げかけられた言葉の中に、描かれた作品の中に…それを見つけた時、泣きそうになる。

 

 

でも何より、自分の中にそういう存在を見出したい。
どうしようもない不安や孤独を、自分自身が受け止めて、背中をさすってあげる。


きっとこれが、今この瞬間の自分にしてあげられること。

 

 

 

転職して、4月から新しい職場へ通勤している。


心配性な私だから、桜咲くウキウキな気持ち…なんて1ミリもなくて、
新しい環境への不安や疲れ、起床時間が早くなって、帰宅時間がすごく遅くなったこと等、

変化に対応するのに死にそうになっている。


上司はちょっと神経質そう…?言葉がきつい時があるな、とか…
私は相変わらずの超ネガティブモードで周りを見渡している。



お母さんに会いたい。
実家で飼っているふわふわな大型犬を両手で抱え込みたい。
とにかく心を安定させたい。安心したい。

 

 

その時、自分が居たいと思える場所に行けるようになりたい。
自分で、自分の歩き出す方向を決めたい。


 

社会人になった時から、幾度となく思ってきたこと。
でも、ずっとできなかったこと。
というか…ちゃんと向き合うこともしてこなかったとも思う。

 

 

だから、ものすごいスローペースでもいいから、ほんの1ミリでもいいから、

自分の頭を使って考える。

 


どうしたら、自分を幸せにできるか考える。
こうやって、文字にして言葉にして、具体的にしていく。

 


このブログがあって良かった。
死にそうなくらいの不安が、書いてみたら、ちょっと薄まった。

 

 

 

 

 

 

「先生」っていうのは、私の実家で飼っている犬のこと。

 

 

齢13歳。
人間に直せば、70代のおばあちゃん。

 

 

先生の若い頃といったら、まるで暴れるカツオのようだった。
キャピキャピを通り越して、ビッチビチのバッタバタ!

 


家具は倒され、カーペットはグチャグチャになり、よく母に怒られていた。

ちょっと前まで、私たち兄弟が遊びに来れば、目の奥がキラッと光り、
暴れまくっていた先生。

 

 


 

最近の先生ったら、のそのそ~としか動かない。
伸びをしてあくびをしながら、面倒くさそうに近づいてくる。

 

 

散歩だって、そうだ。
「散歩いこう!」と言われても、ソファーでぼってり寝ている。
母に揺り起こされて、仕方なさそうに起きる。
後ろ足をソファーに残しながら、ゆっくり伸びをしている。
たまに「ポキ」っと関節の鳴る音が聞こえるよ。

 


私はそんなに実家には帰れないから、先生の歳を取る早さに驚いてしまう。
昔みたいに、空をも飛べそうな勢いで向かって来てくれないかな…。

 


ただ最近、私の悩みを聞いてくれるようになった。
目をじ~っと見つめながら、何でも知ってる仙人みたいな表情で、
まばたきのリズムも何か意味ありげ。
だから「先生」って呼ぶことにした。

 

 


私は今の職場をもうすぐ退職するのだけれど、次の転職先が見つからない。
この歳になっても、不採用の手紙が来れば、いちいち落ち込むし、
恥ずかしいけど、不安でお腹がゆるくなる。

 

 

だから先日、どうしようもなくて、朝4時に起きて実家に帰った。
誰にも言えない、というか言っても仕方ないことを、先生に聞いてもらおうと思ったのだ。

 

 

どんよりとした心で、今にも泣きそうな気持ちのまま、実家に着いた。
先生ったら、ストーブの前で寝そべっている。

 


近寄ろうとした、その瞬間…

「ぶっ…!」
音が聞こえた。
その後、もわ~んと広がる匂い…。
先生のおならは、昔からくさい。

 

 

急におもしろくなってきて、ゲラゲラ笑ってしまった。
あれっ?私、なんで実家に帰ってきたのだろう。

 


相変わらず先生は、ひなたぼっこをしながら昼寝をし、
ご飯をもりもり食べて、のそのそ散歩をしながら
もりっとウンチをしていた。

 

 

「食べた以上にウンチをしていないか…?」
そんなことを考える頃には、泣きそうな気持ちなんて忘れていた。

 

 

私はひとりで何を焦りまくっていたんだろう。
それこそ、過呼吸になりそうなくらいに息苦しくなって。



人生の岐路に立って、大切なことをやろうとしているんだから、
ゆっくり、ひとつひとつ丁寧に、慎重にやっていけばいいじゃないか。

 

 

うまく行かない日があっても、きっと大丈夫だ。
先生は、ゆっくりまばたきをした。

 


久しぶりに帰省したので、帰る時、両親は、あれも持って行け~、
これも持って行け~と、母の料理やら、家庭菜園で育てた野菜やら、
どこかで買ったモフモフのスリッパやら、色んな物を持たせてくれた。

 

 

それを横目に先生は、相変わらずソファーで餅のように
でろ~んと寝ている。

 

 

先生の「時」は早い。
でも流れる時間は、ゆっくりだ。

 


自分の住む町まで、車で5時間。
心の風向きが変わったことを実感しながら、
また近いうちに、先生に会いに行こうと思った。