こんばんはニコニコ


この間、録画してあった宮崎駿監督の「ハウルの動く城」を子どもたちが観ていました。


私も洗い物をしながら何となく見ていると、主人公のソフィーのセリフから今の自分にヒントをもらえた気がしておねがい


ソフィーは映画の冒頭で荒地の魔女から呪いをかけられて老婆の姿にされてしまいます。


普通なら絶望してしまいそうな状況なのに、ソフィーの言葉がすごく前向きで。


鏡に写った老婆になった自分の姿を見て

「大丈夫よ、おばあちゃん。あなた元気そうだし、服も前より似合ってるわ。」


姿が変わってしまってもうここにはいられないと家を出たソフィー。その道中、パンを食べながら

「まだいくらも来てないね。歯だけは前のまんまで良かったよ。」


ソフィーは絶望的と思える状況でも、

「いいこと」を見てるって思ったんです。

一見、「悪いことしか起きてない」と思えることなのに無理矢理でもなく自然に「いいこと」を見てる。


それに呪いをかけられる前は自信もなさげで消極的な感じだったソフィーが老婆の姿になって、ハウルやみんなと旅をするようになってからの方が自信があって楽しそうで堂々と思っていることを言えていて。


その姿が容姿関係なくとても魅力的に見えましたおねがい


前回のブログに書いたとおり、私の状況はまだ好転するどころか望みとは反対に向かってるように思えたり、彼女以外の事でもよかれと思ってしたことが誤解されたりから回ったりとてもいい状況とは思えません。


そういうことが続くと当然、嫌な気持ちが続くし嫌なことばかりが目に付きます。


「もう何もかも嫌だ」


落ち込むだけ落ち込んでそんな自分にも嫌気がさして。


そしたらこんな疑問が。


「でも本当にそうなのかな?」


「今日、本当に嫌なことしかなくていいことはひとつもなかったの?」


その日あった「いいこと」「嬉しかったこと」を思い出す。


幼稚園に子どもを送って駐車場まで歩いていたら、同じ幼稚園のお母さんが後ろから走ってきてくれて話ながら一緒に帰れたこと。


夫が子どもを先にお風呂に入れてくれたから1人でのんびりお風呂に入れて、子どもが「ママ、お風呂気持ちいい?」と言いに来てくれたこと。


それ以外にも「いいこと」「嬉しかったこと」たくさんありました。


私が見ようとしていなかっただけ。


あれだけ嫌で投げやりになってた気持ちが、ポッと明るくなれたんです。


どれだけ嫌なことがあってうまくいかないように感じても、嫌なことしかない日なんて絶対なくて

いいことはひとつでも必ずある。


どっちを見るかは自分で決めれるし、どんな気分でいたいかも自分で選べる


それなら私もソフィーのように「いいこと」を見つけていきたい。

自信をなくしそうになったら人との関わりのなかで「愛されてること」に気付いてちゃんと受け取る。


そう思えた日でしたにっこり


今日も最後まで読んでくださってありがとうございましたキラキラ






こんばんはニコニコ
前回から少し更新が空いてしまいました。

気持ちがつらい、何だか何もかも空回るそんな状態でした。

ブログを書こうと思ってもネガティブなことしか書けないし何を書いていいのかも分からないショボーン

それなら何も書かない方がいいと他の人のブログを読むだけ。

彼女のこともそれ以外のことも望みに近づいてると思ったのにまた前の状態に戻されたような感覚になったり、望みとは正反対の出来事が起こったり

「私には願いは叶えられないんじゃないか」

と自信をすっかり無くしていました。

そしていつの間にか

「現実的に」「常識」「周りからの評価」

そこから外れないように生きていくような考え方をするようになって。

でもそれは元の生きづらかった時の自分の生き方でもあって。

「またあの頃に戻りたいの?」

「それは絶対嫌だ」

「だったらどうしたいんだろう?」

「今まで通りの生き方」をするのか

「最高と思える生き方」をするのか

今、その分岐点に立ってると思ったから。

それならどんなに苦しい状況でもネガティブになっても

「最高と思える未来を生きたい」

そっちを選ぼう

叶えられると自分を信じよう

そこから自分の捉え方、解釈を変えましたニコニコ

一見悪く捉えられることも、図太いくらい自分にとって都合よくいい方に解釈して受け取るチュー

ネガティブな出来事も願いを叶える為に必要だから起きたこととむしろありがたがってみる爆笑

一歩間違えたら痛い人だけど、気持ちはずっと楽で前向きになりましたニコニコ

このブログを未来の自分が見て「そんな時もあったな」と懐かしんで笑っている姿を思い描いて照れ

今日も最後まで読んでくださってありがとうございましたキラキラ








こんばんはニコニコ
今日は素敵な話をシェアさせてください。

この前、子どもの幼稚園最後の参観会がありました。
子どもと一緒に楽しむイベントも用意されていたけど「幼稚園最後の参観会かぁ」と思うと、どうしても淋しさの方が勝って。

そんな参観会も終わって次は懇談会。
担任の先生から年長としてのこの一年の振り返りと子ども達の成長などお話がありました。
いつもなら担任の先生の言葉で終わるところ、懇談会も最後になるので園長先生が来てくれてお話しをしてくれました。

その園長先生のお話しがとても素敵だったんです。

「子ども達はこれから小学校にあがり、それ以降もそして大人になっても、内面のことより何ができるとかできないとか外側のことで判断されるようになる場面が増えます。

でもどうかお母さん達はこれから成長していくお子さんに向ける目線を
何かができる、できないということではなくて、
生まれてきてくれてありがとう、ただあなたがそこに存在してくれるだけで嬉しい、どんなあなたでも私はあなたが大好きだよという気持ちを持って見守ってあげてほしいです。

その思いがこれからお子さん達が大きくなって困難にぶつかった時、お子さん達の心を守り力強く人生を歩いていける力になると私は思っています。」

この園長先生の言葉を聞いた時、思わず涙ぐんでしまうくらい感動してしまって。

園長先生のもとで幼稚園生活を過ごせた子どもがとても幸せでありがたいと思ったこと
私もこれから子どもに対してこの思いを持って見守っていきたいと思ったこと
それから私もこんな気持ちで親からみてもらいたかったなぁと思ったこと

私は親からそんな風に思われてると感じることはありませんでした。
もしかしたら親は心のどこかで思っていてくれたのかもしれないけどそれは伝わりませんでした。

親からは感じられなかったかもしれないけどでもだからダメじゃなくて、この言葉を今の私が私自身にかけてあげればいいんじゃないかと思ったんです。

だって
「生まれてきてくれてありがとう」
「ただあなたがそこに存在してくれるだけで嬉しい」
「どんなあなたでも私はあなたが大好き」

この言葉を聞くだけで、生きていてよかったと今の私も思えるから。

今日も最後まで読んでくださってありがとうございましたキラキラ