急性リンパ性白血病 フィラデルフィア染色体陽性


血液のがん・・拓也の病名・・



本屋で目についた「母のなみだ」という文庫本。


手に取ってしまった。


短編小説集のようだ。


表紙を開いたところに小説の一部分が


書いてあった。


                           


                            

『親やったらみんなそう思うん違うか。


ガンなんてものに負けへん身体に


産んであげたらよかった。


自分より長生きする身体に


産んであげたらよかった。どこの


親が自分のこどもが先に逝くのを


知って平静でおられる?』



本屋でドッと涙が溢れてしまった。


マスクしてたのにマスクも涙で


ぬれてしまった。





                            ちゃ

小さな頃から折々に撮ったビデオテープがある。


生まれた病院の新生児室で、


1歳の誕生日、2歳の誕生日・・・・・


入園式、運動会、スイミングスクール・・・


さすがに大きくなってからは嫌がって


ほとんど撮らせてはくれなくなったが。


今の時代はHDDやDVD,ブルーレイだったり


だろうけれど。


こんなことになってしまったから尚更


大事な大事なものとなった。


我家はブルーレイはなく


DVDレコーダーしかないので


DVDにダビングして大切に保存しなきゃと


思うのだけれど、そのためには映像を


見ることになる。今も見たい気もするのだけれど


怖くて見れない。泣くのは間違いないけれど


自分の感情が怖い。一人で見るのも


怖いけれど、夫や長男と見るのも


自分がどうなってしまうのか


わからないので怖い。


拓也が元気でいたならば


家族で笑いながら見ていただろう。


早いうちにダビングしなければ・・と


思いながら今も出来ずにいる。

骨髄移植という大変な治療を終え、


退院した拓也は高校も卒業したわけで、


かといって受験も出来なかったので


自宅で翌年の受験を目指して自習の日々。


発病する前は就職か進学かはっきり


決めていなかったが病気になってしまって


とりあえず働くということは


しばらくは無理だろうと本人も


家族も思っていた。


夫も私も長男も拓也の体調には


神経質なほどピリピリしていた。


5月に退院し、8月のお盆の頃


拓也が「ほっぺた、腫れてない?」と


言った。見ると明らかに片方だけ


腫れている。病院に電話したが主治医は


お盆でお休み。とにかく他の先生にでも


診てもらわないといけないので


父に車で送ってもらった。


診てもらったのは後期研修医の若い先生。


ほっぺが腫れていたので私は


「おたふくでしょうか?」と聞いた。


検査しないとはっきりはわからないとの


ことで採血した。


翌日、もう1度病院に行ったがやはり


同じ先生。待合で待っていると


移植の責任者の先生が来て下さった。


主治医の上司にあたる先生だ。


「ほっぺたが腫れてるって?」


拓也の頬に触れ「うん、大丈夫だ」と


にこやかにおっしゃった。


拓也はこの先生をすごく信頼していたので


この一言だけですっかり安心した。


結局この腫れはなんだったのか


わからないまま2日ほどで腫れは引いた。


この後も咳が出たり、熱が出たりと


ずいぶん弱くなってしまったなぁと


感じることが多かった。


赤ちゃんの頃から身体が大きく


健康優良児のような子だったのに


白血病が憎かったし、骨髄移植と


いう治療がこんなにも過酷な治療だと


改めて思い知らされた。