今日は仕事が休みで午前中、父が見ていた再放送のドラマで自殺する俳優さんのアップが映った時、フッと「絶望」という言葉が浮かんだ。その俳優さんの表情は苦悩に満ちていて「絶望」を感じさせる表情だった。


「絶望」→望みを完全に失うこと。


息子が亡くなって(こういう表現は今もしたくないので「天国へ旅立って」ということが多いが)1年が過ぎたけれど今も時々息子がいないのに何で私は生きているんだろう・・と思うことがよくある。長男のことを思うと生きて行かなければならないと思うし、何より自ら死ぬ勇気など私には無いのだ。次男は甘えん坊で、主治医や看護婦さんが居ても平気で「お母さんが大好き」という表現や態度だったし、私たち親子は次男が二十歳を超えていてもじゃれ合うような母子だった。そんな次男が病状が良くならずだんだんと悲観的になりつつあった時、「僕、お母さんがいないと生きて行けない」と言った。私も「お母さんだって拓がいないと生きて行けないよ」と言った。なのに私は今も生きている。ごめんね。お母さん嘘つきだね。拓に触れることも声を聞くことも抱きしめることも出来なくなったのに、お母さんは食べて眠って、息をして、時には笑って生きている・・・ごめんね・・・ごめんね。お母さんね、拓に会えなくなって悲しい・・すごく悲しくてつらくて仕方ないけれど、お母さんが死んだら、やっぱり泣いてくれる人が、悲しんでくれる人がまだいるから、もう少し頑張って、泣きながらでも生きて行くね。家族じゃなくても、お母さんのことを気遣ってくれる優しい人もいるよ。その優しい人たちに会わせてくれたのは拓だよ。お母さん、拓が天国に行ってしまって「絶望」と思ったけれど、神様と拓が少しの光を用意してくれてたんだね。もう少し頑張ってみるよ。見ててね。