2粒目「命、ことほぎのみょう」 | 砂のブログ

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「線は無数の点から成り、…」で始まるボルヘスの
“砂の本”の様に、始まりも無ければ終りも無い
日々の営みの中で感じたことや思いついたことなどを
つらつらと綴っていこうかなと、ね。

「寿命」

意味は、
生命の存続する期間
物の使用存続の期間

寿命の“寿”は

祝いの言葉、目出度いこと、
命が長いこと、

読みの「ことぶく」は
言祝ぐ(ことほぐ)から
変化したもの

で、ね

生命が潰えるまでの時間という
ネガな意味の言葉に
何ゆえ“寿”なのか

と、思いません?




それを紐解く鍵に
まず“天命”という言葉

命とは
天から、つまり
神様からの
授かり物だという考え方で

「天命を全うした」

という言葉は、
神様から授かった命を
全て使いきった
ということ。


そして“天寿”という言葉

命とは
神様に
祝福され
授かったもの
ということで

「天寿を全うした」

なんて言葉があります。


で、
寿命とは
神様から祝福され授かった
命の期間ということ
なんですが


ま、

宗教的な考え方では
どの宗教でも死を
単なる終わりと考えず

寿命を如何に全うするのか
全うの仕方を
ポジ的に考えるので

こういう言葉が生まれたのでしょう。




只、

天=
神様という宗教的な思考
ではなくても

生命や
命数(寿命と同じ意)
というものが
どこか不可思議で
神秘的なものだという
捉え方感じ方は
無神論者
無宗教無信神な方
(自分を含め)でも
大なり小なり有るのでは

と。


そもそも、
宗教などが
生まれる以前
古代の
自然信仰では


“信仰”って付くと
宗教めいた感じもしますが
自然信仰というのは

人も含め命あるものは
自然の一部であり
抗えない力を怖れ敬い
助けられるものは慈しみ
自然と共に生き暮らそう

という、
何だかラピュタの
シータがムスカに語った
台詞の様ですが

極々、
当たり前の考え方で
地球に暮らす
生物の一員である人間として
本来、有るべき姿のことで

人智を超えた現象などを畏敬し

太陽が輝き
風が吹き
雨が降り
恵みを齎す天を

“陽”ポジに捉え

火山や地震
暗闇に閉ざされ
死者が眠り帰る
地の底や洞の中を

“陰”ネガと捉えるのは

自然なこと。


例えば、
火の
灯る様
尽きる様を
命にダブらせるのは
宗教的にも
無宗教的にも
人種も国も関係無く
世界的に共通でしょう?

漠然と
天=
生命力を司る
何か
みたいな
ね。


ま、

大地に生える
木々や草花の芽吹く様や
沢山の魚介を育む
大海原なんかも
同じ様に
生命力の象徴と
されますし

宗教自体、
自然信仰や
当たり前の道理を
解りやすく伝えやすく
体系化したもので


現代宗教の坊主どもは
権力や富など
欲まみれであれだけど

大体、
宗教を
ビジネスにしたら
そこに神も仏もなく
人そのものだろうに

ねえ?




扠、

何で寿命の話?
かと言えば

改めて
自身の性の問題を
考えたり

親の
年齢や

実弟の子供が
満一歳になったり

昨年末にひいた
喉の風邪が原因なのか

自分は
自然治療主義なんで
放置してたら

おそらく、
細菌性の肺炎と
逆流性食道炎になるも

更に放置中で
拗らせたら
癌になったりして?

でも、
そうなっても
やはり放置して

寿命を縮めることに
なるんだろうなあ
なんて考えたりしていたからで

考えるだけだと
陰に隠ってしまうことも
あるから言葉にしてみよう

と、

それだけのこと。