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チョウ・ジョゴボウのブログ

家族で交互に書いていく予定です。

嫁です。
随分と御無沙汰してしまい、家族のブログがほぼ旦那のブログと化していましたが、三女のミルクくれ泣きで想定外の早起きとなったため、重い腰を上げてみました。
恥ずかしながら、旦さんも記してある取り、ここのところツイッターに御執心☆でございました。。。

新年初の写真はやっぱり我が家の中心人物達でしょうか。彼女たちの存在に両親は一喜一憂。ついでに一怒。今年もたくさん笑わせてくれることでしょう。。。
チョウ・ジョゴボウのブログ-うちも三姉妹

義母の古希のお祝いと三女の衣歳誕生日祝いを兼ねて、食事会。
下関グランドホテルの和風レストランの個室にて。。新年早々、おおいに笑いました。義父母も喜んでくれて、少しは親孝行になったかな??いつもお世話になってばかりですので(^◇^)次は義父の喜寿ね!と伝えました。とりあえずあと7年はありますから、長生きしてくださいね。料理もなかなかおいしかったです☆
$チョウ・ジョゴボウのブログ

その個室から見渡せる景色。海が大好きな方にはたまらない眺望です。
ちなみにこの写真は長女が撮影。なかなかの名カメラマンです。
チョウ・ジョゴボウのブログ-関門海峡と海響館

今年初めての家族写真。
旦さんが顔は載せるな!!とお許しが出なかったので、へのへのもへじな夫婦でございます。
今年も家族皆、健康に過ごせますように。。。
$チョウ・ジョゴボウのブログ-家族団欒
最後についでですが、三女がお腹の中にいるときの写真。。。
妊娠中の写真はあまり多くありませんが、どの子の時も、このおなかの中に、あの子がいたのか・・・ととてもとても不思議な気分になります。超音波写真を見てもまた然り。何度妊娠しても、自分の中の中にヒトがいるのは不思議です。男の子も一人ぐらいほしかったけど、つわりもヘビーだし体力も限界かな?あ、経済的にも・・・(*^_^*)
 
$チョウ・ジョゴボウのブログ-三女たまごの頃
年初めの我が家でした☆
ビデオの内容は最高に悪趣味で、曲は最高です。
ダブスです。

スタッフの1人が退職したため、朝から売場に出る。
事務所でああだこうだ考えるのも無論経営者の仕事であるが、やはり私の個人的な資質としては売場でお客様と接したり、どうやれば売上が上がるかを考えながら商品を動かしたり、という方が性に合っているようだ。データを見る仕事中心だったここ数日と違い、非常に身体的にも精神的にもすっきりとした感を得る。

午後からはジムに行き、その後保育園に次女を迎えに行く。
ここ数日体調を崩して保育園を休んでいた次女は、今日の保育園での生活が頗る楽しいようだったらしく、帰りの車中もずっとはしゃぐ。
帰る途中で車上に警告灯を乗せた車と擦れ違い、次女は「あ、パトカー!」と言う。私は、「違うよ、あれはパトカーに似てるけど、鉄道の線路を点検する車なんだよ」と言う。次女は、「そうなん!線路なん!ウヒャヒャヒャヒャ」と笑い転げる。よく分からんが、保育園が余程楽しかったのだろう。

その後2時間ほど仕事に戻り、20時頃帰宅する。
小学校2年の長女が、前日の始業式にてちょっとした発表を全校生徒の前でしたのだが、そのことが学級だよりのプリントに書いてある。
その発表は各学年1名づつがすることになっていたそうで、つまり長女は全校生徒800人の中の6人に選ばれたことになる。これには、当人もそうだが親である私も何やら誇らしい気持ちになる。珍しく褒めてやる。

長女と次女が寝室に消えた21時半を過ぎて、三女が泣きだす。妻によるとお腹がいつもより張っているそうなので、少し心配する。
暫くして、三女は屁を三発ほど出す。おやおや、と思いながら私は妻に促されるままにミルクを作る。出来上がったそれを妻が三女に与えてやると幾許の間もなくスヤスヤと眠りだす。屁だったのか。

三女が寝たのと同じくして妻も「ああ、眠たい眠たい」と言い出す。昨晩は深夜1時過ぎまでツイッターをしていたそうな。それは眠たいはずだ。

皆が寝室に消える。
私は徐に文庫本を手に取る。例によって刑事小説だ。
読みながらふと考える。

最近の報道を見るに、世に多くある犯罪は、『変えることが不可能な不幸な環境』か、『突発もしくは偶然』によって起こるものが多いような気がする。

私は、恐らく妻と出会ってなければ、もしかしたら何がしかの犯罪者になっていたような気がしないでもない。しかし今日の一日を見る限り『不幸な環境』も『突発もしくは偶然』も私たち家族の周りには無いような気がする。

犯罪には『紛うことなき平穏な日常』から起こるパターンもあるので、それには気を付けないといけないが、私及び私の家族は大凡幸せだ。

明日もこの平穏が続くなら、それ以上に感謝すべきことは無い。


一連のPVが余りに意図的なものであったので一発屋としてとらえられそうな感じもありますが、そうではないと思います。
次は全然違う曲を出してくるような気がします。

ドラムスです。

昼、「今頃叔母さんの葬式が始まった頃だろうか」と考えながら接客をする。

外国人のお客様が来店する。

表情の整った外国人の男性は、また更に一層表情が整った幼児を連れており、気押される。

私のお店は『ド』を3つ付けてもまだ足りないほどの田舎にあるので、このように外国人の方が来店される度に日本の国際化の進行に気付かされる。また一方、「この人たちは一体これからどこを観光しようというのか?」という思いに駆られる。

困るのはレジの時だ。お生憎さま。外国人男性は幕の内弁当を手に取っている。
「お弁当、温めますか?」という言葉が彼には通用しない。

『May I Help・・・』、いや違うな。
『Can I・・・』いや、違う。
『Would You Like・・・』、いや、続きが思い浮かばん。

そうこうしているうちに男性はレジにやってきた。
私は悩んだ末、「オベントゥ、温めますか?」と、若干ブロークンな日本語にて彼を迎えた。

彼は、「あ、はい、お願いします」
と、意外なほど流暢な日本語で答えた。

これが世に言う取り越し苦労というやつか。若干の恥ずかしさを覚えつつ、私は電子レンジの『弁当』ボタンを押す。

それにしても叔母さんの葬式に参列できなかったことは悔やまれる。

昨日亡くなった叔母さんの葬式に参列しようと、電車の時間やら乗り換えの按配やらを色々と調べていたのだが、ふと思い出し手帳を見ると、明日はお店の棚卸が13時からあり、結局参列できないことに気付く。

「世話になった叔母さんの葬式だから、何とか段取りを付けて出ようと思うよ」と、昨日父母にしたり顔で語った俺の浅はかさといったら!

早朝に、福知山の叔母さんが結局亡くなったと知らされる。

何が辛いかといって、身近な人が突然死ぬことほど悲しいことはない。
叔母さんが死んだことはもちろん悲しいのだが、周囲の人の悲しみを考えると一層悲しい気分が増してしまう。

私の両親は高血圧やら心臓やら、なにがしか悪い部分があるということを私はもちろん周囲の人間も知っている。
だから、(全く不謹慎な考えだが)両親が突然脳や心臓に疾患が起きて倒れたとしても、私はもちろん周囲の人間も「ああ、そうか。やっぱりなあ」という感じで、意外にあっさり受け止められるのではないかと思う。もちろんそれはずっと先の話であってほしいのだが。

ところで叔母さんは全く元気であったので(詳しく聞くと、実は少し兆候はあったみたいだが)、周りにとっても全く予想外の死であったと思う。私にとってももちろん予想外であった。あの明るい叔母さんが死んだなんて。私の従兄にあたる両氏や、お孫さんの思いはどんな具合であろうか。






午後、母の誕生日祝いをする。
私以上に父母にとっては叔母さんの死は重い出来事であったと思うので、お祝いがお祝いになるかなあ、という懸念があったが、ところがどっこい、父母は予想以上に楽しんでくれた。

これは一重に、私の娘達、父母にとっては孫の存在が大きいのかなと思う。
父が叔母さんの話をしようとする刹那、三女(1歳)が関門海峡を渡る船を見て奇声を上げる。
父がまた叔母さんの話をしようとする刹那、長女(8歳)と次女(4歳)が「ねえねえ、写真とらしてやあ」と父母に話しかける。
その度に父母は笑む。

こういった孫の明るさが、『死』の重さを若干和らげてくれているのではないかと、その様子を見て笑いながら私は思う。
叔母さんは私から見ても全く明るい人だったので、こういう時はむしろ自分が場を盛り上げて、暗くならないようにする人だったのではないかと思う。

何かしんどいことがあった時に、あえて明るくしよう、というDNAは確実に我が娘に受け継がれているので、叔母さんはゆっくり休んでください。


・・・まあでも、やっぱりちょっと早いなあ。もう少し喋りたかったし、俺の娘とも遊ばせたかったなあ。






私は大阪に生を受け、現在は下関に住んでいる。
しかし私の両親は両方とも島根出身であるので、私の血は純粋島根県人ということになる。


京都は福知山に住んでいる叔母さん(父の妹)が脳梗塞で倒れ、現在危篤であると知らされる。


知らされたタイミングが高校サッカーのハーフタイムであったのでいささか困惑する。
島根県の代表が準決勝まで勝ち進んでいたので、一緒に応援しようと両親宅に来たのだが。

父が少し涙ぐむ。私若干ブルーになる。うーん。後半応援できるのだろうか・・・・。
しかしながら試合の後半は全く持って白熱し、私は父母とともに嬌声を上げる。
父親は後半の最後の最後、決定的なチャンスを逃した後にブラジル人のような所作をする。
ゴールを逃したにも関わらず私は、良かったな、と思う。

試合は結局残念な結果であったのだが、その場にいた全員が一瞬叔母さんのことを忘れる。それがいいことなのかどうかは分からない。

両親と一言二言会話を交わし、店に向かう。
戻ったものの色々考えてしまい、仕事は全く手に着かず。

考えてみると、つい一か月前に島根にて法事で会ったばかりの叔母さんが、今や生死の境を彷徨っているというのは何とも不思議なことだ。あの時は頗る元気で、死の兆候など全く感じなかった。
多数いる父の兄妹のなかでも、最も元気に感じる人であったのだが、全く人生というのは分からないものである。
本来は私だけが参加する予定だった法事であったが、今考えてみると長女を参加させておいて本当に良かった。
触れ合いがあったか無かったかは結構重要だ。
それにしても、今叔母さんはどんな具合なのか。

なんてことが頭を巡り、仕事にならず。

結局仕事は碌碌せずに義父宅に向かう。
義父宅では三女の1歳の誕生日を祝う準備をしてくれており、皆でケーキを食べる。
一方で赤ん坊の生誕一年を祝う親族がいるのに、この同じ瞬間に、生死を彷徨う人を必死で見守る親族がいるのだと思うと、何やら神妙な気持ちになって、一気に酔いが覚める。
毎週金曜日は午後に両親宅に顔を出すようにしており、今日もそうする。

明後日に母の70歳の誕生日祝いを近くのホテルですることになっているのだが、そのことについて父がとてもうるさい、と母から言われる。

なんでも、「70歳なんて高齢になって、祝ってもらうのは逆に恥ずかしい」というようなことを、なにしろ数日前からネチネチ言ってくるとのこと。

考えてみると、父は昨年70歳を迎えたのであるが、その時は場所を設けて祝うということはしなかった。
ただそれは、昨年の今頃は私の三女が誕生したばっかりで、お祝いをする余裕が無かったというのが実情なのであるが。

私にも「いや、70歳はもう祝うような年やないんやで」と散々言ってくるので、私は「分かった分かった、去年できんかったから、今年は父さんの誕生日にどっか予約とって、盛大にやろうや」と言う。

父は、「いや、それ言われるとワシがゴネたみたいやないか・・・。ワシはただ、70歳の祝いはそんなに目出度いもんやないんやで、というのが言いたかっただけで・・・」とモジモジしだす。

面倒くさいわ。