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チョウ・ジョゴボウのブログ

家族で交互に書いていく予定です。

インフルエンザのため、一日自宅にて休む。
37度5分~38度くらいの熱がずっと続き、何やらスッキリとしない。

ところで今朝方、父が電話を掛けてきて、次女を保育園に送ってくれるという。妻と相談し、甘えることにする。

暫くして自宅に来た父と妻のやり取りを寝室から聞いていると、何やら様子がおかしい。
父が自宅内に入るのを頑なに拒んでいるのだ。
どうやら、私からインフルエンザがうつるのを恐れているようだ。

何だかんだで自宅内に入ってきた父に挨拶をしようと、寝室のドアを開ける。
「おはようさん、今日は悪いね」と言いながら寝室を出た私を見て、父が明らかに怯えの表情を浮かべる。
私が2、3歩父に近づくと、父が2、3歩遠ざかる。
バイ菌扱いか!
午前中、体の節々がやたらと痛む。そういえば、熱っぽいような気もする。
早々に仕事を切り上げて自宅に戻り、熱を測ると38度強の熱がある。

午後から近くの病院に向かい、診察を受ける。
問診票に『喫煙量は一日10~20本』『飲酒量は一日1.5ℓ~2ℓ』などと記入する。
記入しながら、この生活では体が弱るはずだ、などと自省する。

診察の結果はB型インフルエンザであった。前日の微熱時にインフルエンザを疑った母の慧眼に驚く。

医者が『とにかく水分をたくさん摂って、とにかくゆっくり寝るのが一番の治療法だ』と言っていたので、自宅に戻り休むことにする。

正直それほど体が疲れている感じはしていなかったのだが、ベッドに入るとすぐに寝入ってしまい、そのまま4時間程眠ってしまう。
前日夜から若干調子が悪かったのだが、朝起きて熱を測ってみると37度2分と微熱がある。
解熱剤を飲んで仕事に向かう。

解熱剤の効果もあってか、午前中は滞りなく仕事ができる。

午後からは両親宅に顔を出すつもりであったが、体の節々に若干の鈍痛があるので、自宅にて休養を取ることにする。

2~3時間横になっていたらば体調も随分ましになり、熱も平熱に戻っていたため、夜は飯を食べ、酒を飲み、普段と変わらず過ごす。

母親から「インフルエンザではありませんか?」というメールが届く。
私が年を取ってから生まれた子供であるからか、母は何かと言えば過剰に心配をする。
私は「体調も戻ったし、全く心配はいらないよ」という返事を返す。
たまに気を揉み過ぎと感じる時もあるが、気にかけてくれる人がいるというのはやはりありがたいものだ。
随分日記を書くことをサボっていたものだ。

ところで昨日、週刊誌の記事にて「断食ダイエット」なるものがあることを知る。
頗る効果が期待できそうであるので、私も本日断食にチャレンジしてみた。

17時頃、チャレンジ開始後9時間で挫折。納豆巻を食べてしもうた。
今はビールを呷っております。

大体、仕事場がこれでもかというほど食品に溢れた場所であるのに、断食は不可能なのだよ。誘惑が多すぎる。書いていて「じゃあ始めからやるなよ」という自責の念が頭をもたげる。

以下雑感。
・もうそろそろ、博多駅がリニューアルオープンする。柄にもなく、雑誌などを購入して情報収集に努める。元々が関西の出だからかもしれないが、こういう大型商業施設のオープン時には、何やら心がふわふわとときめいてしまう。
・小学校二年生の長女が学校からプリントを持ち帰る。何でも、三年生の女の子が長期間の闘病の末に亡くなったらしい。長女はそれを見て、しきりに『可哀そう、ああ、可哀そう』と繰り返している。だけど何が可哀そうなのだろうか?確かに齢九歳とか一〇歳で亡くなった女の子は可哀そうなのだが、しかしまあでも、病気なのだから仕方がない、と客観的に考えてしまうところがあって、自分の心持に少々戸惑う。自分は他人の死に対してここまで薄情な人間だったか。ここ数年で近い人が何人か亡くなったこともあるのだろうが、自分の死生観に幾分かの変化があるのを感じる。人生は決して無限ではない。死ぬ時は死ぬ。ただ、亡くなった女の子の両親は、子供の病状が解った時、或いは子供の死期を悟った時にどんな気持だったか考えると、随分胸が痛む。その女の子の病名は知らないが、生きる可能性が僅かしかないという状況で、両親はどのような心境で、どのような態度を取っていたのか。女の子の死そのものより、そういったことに興味を抱く時点で、自分は人の親になってやはり少し変わったなあと考える。じゃあ自分は今回のような事件を受けて娘に何が言えるかなあ、と考えた末に何も言わず。娘が死の境を彷徨っているわけではないので、何も浮かばず。
これは、それはそれは格好いい。
regaの『VIP』です


21時頃に仕事を終え、その後自宅マンションへと戻る。

毎回駐車に苦労する立体式の駐車場に、私の運転技術からするとにはやや分不相応なデカい車を停め、マンションのエントランスに入ると、エレベーターが五階に停まっており、暫し待つ。

自宅に戻ると娘たちは寝室ですっかり眠っており、静かなものであった。
私は妻から今日の娘の様子を聞き出しながら、妻が用意してくれた鍋料理を貪るように食べる。

22時過ぎには妻も寝室に向かったので、その後は一人で酒を楽しむ。

暫くすると事前に買ってきた酒が切れたので、寝巻をジャージに着替えて、マンション下にあるコンビニに酒を買い足しに行くことにする。
この追加の買い足しは頻繁にあることで、それなら最初から多目に酒を買ってきておいたらいいじゃないか、という自答を毎回のようにしてしまう。

着替えを終え、自室のドアを開けてエレベーターホールに向かうと、エレベーターの表示が五階となっている。
私は、ああ、また五階か。と思う。
このマンションに引っ越してきた時に五階の住人には挨拶に行った。私が六階に住むことになったからだ。
挨拶に行った際に出てきた五階の住人は、至って普通の主婦と見受けられたが、これだけエレベーターが停まるということは、なにかあるのだろうか。

3~4分でコンビニで若干の酒を買い足してマンションに戻ると、ほんの少し前に私が一階で停めたはずのエレベーターが、またもや五階に停まっており、やや戦慄する。
こんな僅かな時間で(しかも23時という時間に)来客が頻繁にある五階の住民というのは、一体どのような怪物なのであろうか。




19時頃に家族で夕食を摂っていると、唐突に次女(四歳)が立ち上がり、一言。


「ねえお母さん、今日も抱いて。」


これは無論『抱っこして』を言い間違えたのであるが。
欲求不満の淑女のような台詞に妻と共に笑い転げる。
朝5時に起き、仕事に向かう。
前日の天気予報から、今日の朝方は大雪と路面の凍結を予想していたが、実際には全くそんなことはなく、安堵と共に少々落胆する。

11時頃まで仕事をし、帰宅する。
2、3時間の休憩の後、両親宅へと向かう。

母が、『待ってました』とばかりに過剰なボリューム感の昼食を用意してくれる。

父母が言うには、午前中には、カルタをしたという。
次女(4歳)の成長に、私の父母はいささか驚いたようだ。

次女は自ら立候補をし、カルタの詠み手をしたという。
概ね上手く詠んだらしいのだが、『頭かくして尻隠さず』というところだけ、『頭隠さず、尻隠さず』と読んだらしい。

・・・隠れる気ないやん!

今日は一人自宅にて過ごしている。

妻と娘は義父母宅に行っている。
本来なら私も義父母宅に行くはずだったのだが、

・今晩から大雪が予想されている
・しかし、義父母宅は盆地にある
・このような気象条件の場合、義父母宅周辺は大体路面凍結する
・私は明朝、六時までに出勤しないといけない
・義父母宅に行ってもいいが、明日の朝、間違いなくツルツルの道路と悪戦苦闘することになる

などの事情を勘案し、私は自宅に戻ることにしたのだ。

18時頃には仕事を終え、自宅に戻る。
当初は「おお、羽を伸ばせるぞ」などと考えていたが、とんでもない。

帰宅後シャワーを浴び、レトルトカレーを温めて食べる。
冷蔵庫からビールを取り出し、出し抜けに飲む。

・・・もうやることがない。
仕方が無いので、リビングに置いてあった乾いた洗濯物を畳む。

それも数分で終え、またもややることが無くなったので、ベランダに行って煙草を吸う。
ちらほらと雪が舞い始めており、何やら寒々しい気分になる。

リビングに戻るがそれほどやることは無いので、パソコンを開きブログの更新などを試みる。
今に至る。

このように手持ち無沙汰になった時、私の妻ならもっと何かをやったはずである。例えば編み物をしたり、アップリケをしたり、という風だ。それを鑑みるに、夫というか私は何と遊びを知らない生き物かと自省する。



昨日夕方の話。



次女が保育園の帰りに突然『♪ザンザンザン、ザンドセルか~』と歌いだすので、私は「ああ、これはランドセルのCMの歌だな」と思い、「上手やねえ、でもランドセルが正解だよ」と優しく嗜める。

続けて私は、「あと2年もしたら、お前もランドセルを背負わないといけないねえ」と優しく語りかける。
次女は、「一年生?小学生?」と言う。

私は「そうだよ、暫くしたらお前も小学校一年生なんだよ」と優しく語りかける。



次女は『小学校一年生』という言葉に反応してか、恐らく長女が小学校に上がる時に聞いたのであろう、うろ覚えの歌を歌い始める。
お馴染、『一年生になったら 一年生になったら 友達百人できるかな』というやつだ。



次女は、周囲の目が若干気になるくらいの声量で、元気よく歌う。


『♪いっちねんせーいになったらば いっちねんせーいになったらば ともだち・・・アレ、続き何やったっけ?』


「らば」って。戦前か。