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立ち位置で解釈を変えればいい それだけで心の栄養素になる


今朝、見た言葉。






出世とは、世の中に出る。という意味と教えられる。
企業や組織から世の中に飛び出しても必要とされて、
活躍できる人が「出世した人」だよ。











なるほど(笑)



言葉は、立ち位置で解釈を変えればいい、それだけで自身の心の栄養素にもなる。
正解なんてひとつじゃないことなんて、いまさら皆、知っているはずだ。
俺が『正しい』と主張し合うから戦争が起きる。
戦争から学べば、馬鹿でも理解できるだろう。

過去は変わるもの、現在の解釈が良ければいくらでも過去の出来事への解釈は用意に変わる。
過去が解釈により変わるように。言葉も自身の『解釈力』で良い方向へ変えてやればいいだけ。

起業して、後ろ盾無い世界に降りて
それこそ必死に目の前を開拓をしている。
起業は、商売は『ルールの無い格闘技』と言われる現実を肌に感じながら、
そんな世界に今は生きています。それを実感しながら空気感を感じながら生きています。
今朝見たこの言葉。ぼくは好きだなぁ。とんっと背中も押し、言葉にはしないけど
励ましてくれているような気分にさせてくれる。


運がいい。今朝から良い言葉に触れられた。
これを読んでいる人も運が良い人だね。
あなたです。









世界は面白い

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最高だ~。見ているこっちも楽しくなるね。


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人が死ぬことを教えないから、命の意味がわからなくなる






小学生か中学生が『なぜ人を殺してはいけないか?』と学校の先生に質問したという話が
世の中大人を怯えさせたことがあった。聞いた話だから正確ではないが、本当は
こういう意味の質問だったらしい。

『牛や豚は殺してもいいのに、なぜ人間だけは殺してはいけないの?』
思春期の子供らしい、まっとうな疑問だと思う。

むしろその子は、人間はなぜ他の動物を平気で殺すのかということを問題にしたのかもしれない。
問題があるのは、子供にそいういう質問をされて慌てふためいてしまう大人の方だ。

生と死の問題を突き詰めて考えていないから、そういうことになる。





その昔、人間は簡単に死ぬものだった。
子供を何人も産んだのも、ひとつには子供の死亡率が高かったからだ。
生まれてすぐに死んだ子供が、兄弟の中に一人や二人いる方が普通だった。
飢饉になれば何百人も何千人もの餓死者が出たし、盲腸やインフルエンザくらいの
病気で、昨日まで元気にしていた人が呆気なく死んでいった。


死が日常にあふれていたから、
生と死が隣合わせだということを誰もが腹の底に抱えて生きていた。
命が儚いものだということを骨身に染みて知っていたから、
逆に生きることの価値とか、生きることの素晴らしさなんて
ものは、誰に説明されるまでもなくわかっていた。


死というものを意識してはじめて本当の命の尊さがわかるわけで、
死を身近に感じるなくて済むようになった現代人が、
生きることの意味を見失うのは当然のことなのだ。



医療が発達して、今の人はなかなか死ななくなった。
なかなか死ななくても結局は必ず死ぬのだけれど、
人は死ぬという事実に蓋をして、社会の表面から見えなくしてしまっているのが現代社会だ。

まるで人は死なないとでも信じているかのようだ。

おかげで、死というものがいつの間にか、
不自然で忌まわしい絶対悪のようなものになってしまった。

あげくの果てに、人の命は地球より重たいなんて意味不明の奇麗事を言って、
子供に命の大切さを教えたつもりになっている。だから子供は混乱する。

生と死は、切り離せるものではない。
死について教えないから、命の価値観がわからなくなる。




ある学校で給食のときに先生が、学校に乳牛と仔牛(こうし)を連れてきて、
子供たちに乳を搾るところを見せたそうだ。牛乳はどうやって作られるかを教えるためだ。
牛も人間と同じで、仔牛(こうし)が生まれなければ乳は出ない。
だから牛乳を取るために仔牛(こうし)が必要なのだ。
仔牛(こうし)が雌なら乳牛に育てるけれど、雄は殺して肉を取る。
学校に連れてこられた仔牛(こうし)は雄だったから、いずれ殺される運命にある。
先生はそういうところまで、子供たちに教えたという。

残酷だとか、
子供が牛乳を飲めなくなったらどうするのかとか、
馬鹿な親は怒るかもしれない。

けれど、

そういうことを教えない限り、
命の大切さなんて今の子供には経験のしようがない。







他の生き物の命を奪って、人は生きている。

生きるというのは、そういうことだと理解するところから、
人は生と死の意味を考えはじめるのだと思う。



ハンバーガーだのフライドチキンだのを好き放題に食わせながら、
命は大切なものだと教えても子供の心には響かない。

子供は大人の偽善を簡単に見抜くのだ。
現代社会が動物の命をまるでモノのように大量消費していることは、
子供の方がよく知っている。そのことに痛みを感じている大人がどれだけいることか。



命の価値に無頓着なのは、今の子供たちではなく、むしろ大人の方なのだ。

死刑になるために罪を犯すような人間を、なぜこの社会は生んでしまったのか。
もしかしたらそのことは、自分自身の問題として考えなきゃいけないのかもしれない。





自分もいつか必ず死ぬ。
死ぬということはどういうことなのかを、
最近考えたことがあるだろうか?



ーーー





これだけ、日々書籍、著者達の頭の中、活字に触れて来ているけど
北野武さんの書籍は全てが『抜き身の言葉』で衝撃的な親近感を
強烈に受ける。他の書籍『少年』『たけしくんハイ!』『僕は馬鹿になった。ビートたけし』
『悪口の技術』『菊次郎とさき』『頂上対談』それぞれに、たけしさんの執筆してきた
書籍は好きだ。活字を読んでいても、やはり、そこに、たけしさんが居るんだよな。
しっかりと地に足つけて立っている。

この書籍は、帯に『取り扱い注意と書かれている』
ほんとに取り扱い注意に思います。
なぜなら、そこに書かれているのは人間という動物の『本能』
自然が人間に与えた消えることのない、本能だから。

本当の本音なんてものは、身も蓋もない欲望でしかないのだ。
本音と言いつつ、別のレベルの建前を言っているだけのこと。


そこには、本当の人間の姿。
醜く、欲望深い、『本能』に結局逆らうことなどできない人間の姿が描かれている。



記憶に残る、良書。
記憶に残る、書籍。
でした。哲学的であり、
とても大きな問いを残す。
あなたに鋭く問いかける。


心して読まなければ、『裸の王様』には気づけない。








上記[ー]部分は、北野武さん(著)
『 北野武 超思考 』からの
引用記録文章・アフォリズムです。
アフォリズムとは、物事の真実を簡潔に鋭く表現した語句。
自身で解釈・理解する為の記録・引用です。
上記文章には前後の文脈があり初めて本来の意味をなしえます。
ぜひ、実際に書籍を手に取り文脈を辿られ理解されることを推薦いたします。


本に書いてあることは、その著者のひとつの意見として受け止めればいい。
世の中にはいろいろな考えの人がいる。それを受け止めるのと受け止めないのとでは、
大きな違いがある。

intelligence making the world a better place.

映画も書籍も、目標は去年超
『本を読む時間がないのではなく、本を読まないから時間がない』
という言葉もあるこの言葉は間違いなく、真実です。
読書は『見えていないことが、見えるようになる』知能の体力づくりです。
そして、読書が新しい人格をつくり、アウトプットをつくる。

6/1 現在40本
【10年269本観了】【09年265本観了】【08年273本観了】

6/1 現在485冊
【10年475冊読了】【09年402冊読了】【08年238冊読了】
【07年143冊読了】通算、1111冊(2010.11/8)、読了通過。

味方であれば心強く、敵に回したら怖い存在であれ。
というのを知能の信条としている。





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