もしも今日が、自分の人生の最後の日だったなら…
何故だかわからないけれど、今朝はアラームが鳴る30分ほど前に目覚め、冒頭のような事を漠然と考えた。
外はまだほんのりと薄暗く、静かな雨の音だけが、静寂な帳の中で響いている。
おそらく、ベッドに横たわっていたとして、幸運な事に、あちこち痛いという訳でもない。ただ手足を動かすにも思うようにいかず、天井の電気をぼうっと眺めている。細くなる呼吸の糸を絡ませないように大切に扱いながら、『今日が…最後かもしれない』
そう思うかもしれない。
生きてきた色々なシーンが一気に押し寄せる。特に母が側にいてくれた幼少期の思い出が、ほんわか浮かんで、優しい気持ちになる。
良いことも悪いこともたくさんあった人生だったな。たくさんの人に愛されたくさんの人を愛し、総じて良い人生だったと思えそうな気もしている。
後悔…。
これはどうしたって、あるだろうな。
どんな種類の後悔なのか…
誰かを傷つけてしまい、あの時、ああすれば良かった。
またはあの人と出会わなければ、私はもう少し違う人生だったと思う気持ちなのか。
誰かに恨まれるような事を知らないうちにしたかもしれない。わざとそうしたこともあったかもしれない。
でも、誰かに恨まれたことを後悔するということは、この期に及んで多分そんなにないだろう。だって、良かれと思ってしたことでも恨まれることはあるだろうし、関わらなくて恨まれることもあったかもしれないし。
『恨まれる』のは、自分自身がすることではなく、誰かがする行為だから、自分ではどうしようも出来ない側面があり、気にしてはいられないよね、人生最後の日にさ。
それよりも、自分が誰かを一瞬でも恨み、それを引きずったまま蓋をしていたり、あるいは許せない人や出来事があったり。
こちらのほうがきっと、強い後悔として残るんだろうなあ。
アラームが鳴った。
『おはようございます小百合さん。今日も良い1日を』
いつもの朝と同じように、アレクサがしゃべった。
いつもと同じようにベッドの中でのびをして、いつもと同じように歯を磨いた。
もしも今日が人生最後の日だったなら。
そう思った途端に、当たり前の日常が当たり前ではなくなる。赦せないことなんて本当は何にもないかもしれない。
生まれて来るときは、赤ちゃんは泣いていて、周りの人達は笑顔で溢れてる。
死ぬときは、周りの人は泣いていて、そして私は…
笑うことが出来たなら、それはとても幸せな人生だったはず。
そのうち、答え合わせをする時が来るね、きっと。
さて、週末、今日も一瞬一瞬を大切に進んでいこう
いつもありがとう
SAYURI